コラム  国際交流  2020.06.11

新型コロナ克服のためのロードマップの検討:ハーバード大学報告書「パンデミックに対して強靭な社会を目指して」の評価を中心に

人材交流 新型コロナウイルス

Ⅰ.はじめに: 新型コロナ克服のためのロードマップに関して

 本年5月22日、東京都は「新型コロナウイルス感染症を乗り越えるためのロードマップ~「新しい日常」が定着した社会の構築に向けて~」を発表した。日本は今まさに新型コロナを克服しようとしており「新しい日常」を迎えようとしている。しかしながら海外や過去のパンデミックの記録を見れば、現在の第一波が収束したとしても、第二波、更には第三波と感染症が発生する危険性が存在する。

 本年4月20日、ハーバード大学のエドモンド・J・サフラ倫理学センター(Edmond J. Safra Center for Ethics)は、"Roadmap to Pandemic Resilience: Massive Scale Testing, Tracing, and Supported Isolation (TTSI) as the Path to Pandemic Resilience for a Free Society" (仮称: 「パンデミックに対して強靭な社会を目指して」)を公表した。同報告書は倫理学センターが中心となり米国内の他の研究所と協力を基に23人の著者によって作成されたものである。現在猛威を奮うCOVID-19は大恐慌や第二次世界大戦に比肩する規模の危機的な状況を民主主義社会にもたらしている。こうした認識に基づいて同報告書はパンデミックに対して社会を強靭化する1つの方策を提示している。

 本稿は、パンデミックに対し我が国経済社会を一段と強靭にするため、英文で書かれた50ページ余りの上記の報告書を、日本の読者向けに簡潔にまとめたものである。


Ⅱ.報告書「パンデミックに対して強靭な社会を目指して」の目的と意義

 上記報告書は、検査、濃厚接触者の追跡、隔離、検疫(Massive Scale Testing, Tracing, and Supported Isolation、略してTTSI)といった一連の防疫体制を全国民に対し提示・提供することの重要性に触れている。広範かつ迅速な検査をはじめとする体制は、疾病の経過観察や公衆衛生サービスの迅速な対応、更には疾病管理にとって極めて重要であるからだ。

 同報告書が提示する方策の最大の利点は、パンデミックに対応して交互に発生する経済活動の停止と再開というサイクルを防止する点である。この方策により、経済の諸分野を着実に再開させ、労働者をパンデミックから守り、しかもワクチン開発までの間はウイルスの拡散を有効に抑制することが可能となるのである。

 ロードマップによる政策提言はTTSIが、個々人の身体的安全性に対する信頼を回復させる設計を提示している。こうした信頼が回復してはじめて経済制度の刷新と流動性の高い経済再活性化を実現することが出来るのだ。このように同報告書は米国民に対し、如何なる国家戦略が合意されるのかを教示している。


Ⅲ.本論の概要

 上記で示した内容をハーバード大学の報告書は31ページ、付属資料も含めると48ページにわたって本論として詳述している。ここでは日本の読者のために、その概要を紹介する。報告書の構成は次の通りである。最初の主要概念の説明に続き、第2にパンデミックに対する強靭性を高めるため、経済再開に向けた部門別の段階的再開方法の説明。第3に連邦政府における諸段階における実施計画上特定された責任の提示。第4に中核的役割を果たす民間産業分野の役割を提示。第5に労働者の役割を提示。次いで市民社会の役割を提示。その後に他の主要機関の役割を説明が加えられ、最後に総括として要約と結論を示している。

 COVID-19は、大恐慌や第二次世界大戦に比肩する規模の危機を民主主義社会にもたらしている。こうしたなか米国経済社会はお互いのために(for one another)、またお互いと共に(with one another)、この危機を克服しなくてはならない。社会的距離の保持をすることだけで、ワクチン開発までの間、危機を克服しようとすると、12から18カ月、経済活動の停止と再開を繰り返し、その費用は莫大なものになる。しかしながら効果的な手段を採用すれば、8月までに経済活動を完全に再開することが出来るであろう。このためには前述した濃密接触者の追跡と彼等に対する警告や検疫・隔離(TTSI)に有効な策を練り上げる必要がある。TTSIを採る際に必要とされる検査件数は全人口の2から6%、即ち1日当り5百万から2千万件に上ると考えられる。検査の対象は最も重要と思われる医療従事者や国民の日常生活に不可欠な交通運輸から開始し、その後、国民全体の実施へと順次拡大することとする。また報告書は、2千万件でも経済全体を安全にするには不十分と考えている。従って検査件数を更に増加する過程では、革新的手段により良い体制を確立する必要があると述べている。

 上記のような大規模な対策には第二次世界大戦以来初の全国的な協力体制、即ち連邦・州政府の組織再編をはじめ、民間産業を中心に学界や労働者の迅速なる協力も必要とする。対策を実施するに際し、予算は2年間で5百から3千億ドルに達すると見積もられるが、1カ月当り1千から3千5百億ドルに達する経済封鎖による損失に比すれば、わずかであろう。しかもこの損失には様々な機会費用を含んでいない。例えば、医療、公益・運輸等の不可欠な産業の従事者や経済的弱者が罹病時にこうむる損失は含まれていない。また検疫を経験することで発生する社会的人間関係のほころびによる損失も含まれない。こうした状況を踏まえて、同報告書は、迅速で戦略的に集中する行動計画、しかも野心的な行動計画を通じ、過酷な恐慌を回避し、それも人権、正義、民主主義を遵守しつつ行うことを考えている。


Ⅳ.ハーバード大学の報告書の評価と残された課題

 ハーバード大学の報告書の優れた特徴は、一度で収束せずに第二波、第三波と襲って来る危険性の高いCOVID-19に対する危機認識と、その危険に対して経済社会全体を強靭にするという米国の「体質構造変化」及びそのための思考転換の方向を示した点である。

 本報告書は、全国パンデミック検査委員会といった新たなる組織の設立や関係諸機関の相互注意喚起体制といった組織改革を提言している。こうした組織改革を通じて、国民全体の危機意識を高め、COVID-19に対する科学的知識の普及を実現しようとしている。しかも米国特有の政治制度、即ち連邦・州政府レベルでの特徴を理解した上で、共同業務と役割分担、更には大規模な検査体制のための公衆衛生局士官部隊及び医療(衛生)予備部隊の拡充、その部隊員に必要な訓練の実施といった人的資源の投入方法にも触れている。

 本報告書の評価に際し、筆者はハーバード大学エドモンド・J・サフラ倫理学センター及びケネディー行政大学院(HKS)の知人・友人と連絡をとり、彼等の知見を確認しつつ意見交換をする機会を得た。こうした意見交換を通じ到達した筆者の意見は次の通りである。 現在、欧米先進国ではCOVID-19の第一波を克服しつつあり、経済社会活動を再開する準備段階を迎えている。と同時に活動を再開した途端に、第二波が襲来した時、再び都市封鎖を行う必要に迫られる危険性が存在している。従って現在の対策を講じているだけでは、第二のみならず第三、第四と、ワクチン開発まで、都市封鎖の開始と終了を何度も繰り返すかも知れないという危険性、またそれに対する社会不安が残存する。

 こうした社会不安とそれに伴う経済的損失を勘案すれば、この報告書は、米国の「体質構造変化」とそのための思考転換を促そうと試みる点は評価出来よう。このための具体策として、測定・定量化可能な濃厚接触者の追跡と濃厚接触者に対する警告の方法、また経済部門別段階的再開に際しての行政管轄領域を超えた計画立案に関する諸提案は、正鵠を射る形のものであると評価出来よう。 しかしながら、こうした思考転換の必要性を国民に理解させ、政治経済的に「体質構造変化」を実現するための具体的な政策手段に関して、報告書の中で列挙している項目を実施するだけでは難しいというのが、知人・友人達の意見であり、筆者もそれに同意している。

 例えば、報告書では中核的な役割を果たすべき民間産業部門が、学界と協力し連邦政府との協力関係を構築することを挙げている。そして具体的な事例として、第二次大戦時の英国生産省を提示している。だが、英国生産省の設立は1942年2月であり、欧州大戦開始の1939年9月から2年以上経って実現したことを考えねばならない。即ち同省の設立には、政治的リーダーシップ、国民全体の意識とフォロワーシップ、そして国民に対する啓蒙と制度的調整のための長い時間が必要であったのだ。

 第一に政治的リーダーシップの必要性である。1940年5月に首相に就任したウィンストン・チャーチルの比類なき政治的リーダーシップが不可欠であったことは周知の事実である。前任のネヴィル・チェンバレン首相でも、チェンバレンの後継者としてチャーチルの対抗馬と目されていたハリファックス外相でも、生産省の設立は、もし可能であったとしても、チャーチル以上に時間と労力を要したと考えられよう。

 第二に、産業界及び一般国民の意識とフォロワーシップについて考えてみよう。ナチス・ドイツに対する英国国民の反感は、ヒトラーが独裁政権を確立した1933年3月以降強まる一方であった。しかも1940年6月にフランスが敗れ、それ以降、欧州でドイツと対峙出来るのは英国とソ連のみになってしまったという危機感が英国国民全体に深く浸透していた事を思い起こさなくてはならない。

 第三に国民全体の意識改革に要する時間である。新型コロナウイルスは、ヒトラーと異なり見えない敵である。可視の敵と不可視の敵とに対する心理的反応の差について、ここで詳しく述べる必要はないが、ヒトラーを不可視のウイルスとしてカリカチャーを描くことは出来ても、ウイルスを可視のヒトラーとしてカリカチャーを描き、それで恐怖心を煽ることは難しいであろう。このため国民全体の意識改革には相当の時間を要すると考えられる。


 以上のように考えると、ハーバード大学の報告書は思考転換の上で非常に参考になると同時に、具体的政策を検討する際には、慎重かつ更に詳細な検討を加える必要があると言えよう。またロードマップに関しては、例えば欧州委員会が4月15日に報告書("A European Roadmap to Lifting Coronavirus Containment Measures")を発表している。また米国では、カリフォルニア州政府が4月14日に最初のロードマップ(Resilience Roadmap)を提示し、状況の変化に応じて更新している。こうした諸機関のロードマップも並行して検討した上で、我が国経済社会の強靭性を高めるため、独自のロードマップを練り上げてゆくことが肝要である。