メディア掲載  グローバルエコノミー  2020.05.08

百年前のパンデミック

公研』2020年4月号に掲載

 新型コロナウイルスの勢いが止まらない。筆者の勤務する大学でも、例年武道館で行っている入学式を今年はオリパラの関係で国技館に場所を移して開催する予定であったが、春場所が無観客試合になったのをみて、国技館での式典の取りやめを決めた。

 しかし、このコロナ騒動はその程度では収まらないようだ。世界各国の株価は3月初から波乱の展開となっており、現時点で日経平均は2万円を大きく割り込む水準まで低下している。株価急落の背後にはコロナ騒動で経済活動が停滞し、GDPが大幅に下振れするとの見方がある。日本のGDPはコロナショックで1%下振れとの見方が広がっている。

 コロナウイルスは人々に「巣ごもり」を強いる。人々は感染を恐れて公共交通機関を用いた移動を控える。人込みを避け、他人との間隔をあけようとする。人々のモビリティが低下し、他人との接触も激減する。これが経済活動を停滞させる。

 第1は生産活動の停滞だ。何かを生産するには労働者が互いに協力し合わなければならない。それには職場まで移動し、仲間と協働する必要がある。コロナで移動と協働が減り生産性が低下する。第2は消費活動の停滞だ。外食や映画などサービスの消費にはその場に移動し他人と接触することが不可欠だ。しかしこれもコロナで不可能になる。

 ウイルスの国際的な感染の事例として有名なのはスペイン風邪だ。1918年に発生しピークを迎え、1920年まで続いた。全世界で4000万人(当時の総人口の2%)の犠牲者が出たと言われている。ちなみにこのパンデミックの震源地はスペインではない。当時は第一次世界大戦の最中で、参戦国の政府は感染に関する情報の開示に消極的だった。中立国だったスペインは情報開示を躊躇わず、状況が広く知れ渡ったと言われている。

 第一次大戦の戦死者は総人口の約0.5%だったのでパンデミックによる死者が大きく上回っていたことになる。当時はこの二つの理由で大量の犠牲者が出てそれが生産活動を停滞させGDPを低下させた。両方の理由で犠牲者が出たので、どちらの要因でどの程度GDPが低下したのかを正確に推計するのは容易でない。しかし最近発表されたある研究はこの推計を試み、パンデミックによる死亡(総人口の2%)でGDPが6%、個人消費が8%低下したとの結果を得ている。なお、この時期は犠牲者の増加で労働力不足となり賃金が上昇したことも知られている。

 推計の精度もさることながら、百年前の経験をそのまま現代に当てはめるのは危険である。しかしコロナは人類にとって未知であり、これ以外に頼りになる手がかりも乏しい。この推計をもとにGDPへの影響を試算してみよう。

 まず致死率であるが、中国等のこれまでの経験を踏まえると、感染者の約1%が犠牲になっている。問題は感染率(全人口のどれだけが感染するか)で、これは誰にもわからない。しかし前回並みに総人口の3分の1が感染すると仮定すれば、総人口の0.3%が犠牲になるという計算になる。これは百年前の2%に比べればだいぶ少ないが、それでも犠牲者は数千万人のオーダーになることを意味する。

 百年前のデータを用いた推計結果をこれに適用するとGDPは約1%低下する計算になる。リーマンショックの約4分の1に相当する衝撃だ。ただし、今回は前回と比べると働き盛りの世代の犠牲が少ないと言われているので、GDPへの影響はその分、割り引いて考えるべきかもしれない。一方、経済活動を通じた人や企業のつながりは百年前と比べはるかに密になっており、GDPへの影響を大きくする方向に作用する。

 各国の政府や中央銀行は株価暴落等に対処すべく経済対策を模索している。中小小売りの売上減や労働者の賃金減少の補填を政府は急ぐべきだ。しかし、現代の通信技術はリモートでの協働や消費を可能にしており、この活用で感染率を下げることができる。また感染者を治療する医療技術も進歩しており致死率を下げられる。この二つの技術をフル稼働させ犠牲者の数を抑えること ― これが何よりも有効な経済対策だ。