メディア掲載  エネルギー・環境  2020.05.01

「政治的に正しい」温暖化研究への懸念

NPO法人 国際環境経済研究所HPに掲載(2020年4月16日)

 近年の傾向として、国による研究開発予算には3年や5年といった「短期的に」答えが出る、かつ「役に立つ」成果が求められるようになったが、基礎研究はおろそかにされた。結果として、日本の科学研究力が低下したと懸念されている。本稿ではもう1つの懸念を述べる。それは「短期的に、役に立つ」成果を国が求めた結果、「政治的に正しい」方向に研究計画・結論・メディア発表が誘導される傾向が無いか、ということだ。これは地球温暖化問題において、徒らに環境影響の脅威を煽ったり、極端な排出削減対策を正当化するようなプレッシャーになっていないか。


1.「短期間で」「役に立つ」研究を求めるプレッシャー

 日本の国立大学改革においては、基盤的な資金を分配する運営費交付金は年率1%で削減される一方、競争的資金が増加された(図1)


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図1 運営費交付金等の削減・予算配分バランスの変化(政府資料)



 運営費交付金が恒常的に減少した結果、多くの大学は財政難に陥り、設備の維持更新もままならなくなった。これが一因となって、日本の研究力が低下したとされる(豊田長康, 2019)(岩本宣明, 2019)。代わりに競争的資金は増えたが、そこでは3年や5年といった「短期的に」、しかも社会的課題の「役に立つ」ことが要求されるようになった(毎日新聞「幻の科学技術立国」取材班, 2019)。

 安定した財源を欠くために大学の終身雇用職の採用は減ったが、その一方で大学院の定員は増員されたため、博士号を取得しても多くの研究者は半永久的に任期付雇用にしか付くことができなくなった(豊田長康, 2019)。

 競争的資金の一環として、国が主導する出口志向の大型研究開発プロジェクトが増えた。しかし、内閣府の大型研究開発プロジェクトにはいくつか問題が起きた。研究の公募がやらせであり、事前に内容や担当者まで全て決まっていたことがスクープされた(図2)。また成果についても「量子コンピューターの開発に成功した」等、実際以上に誇大に発表されるということが起きた(毎日新聞「幻の科学技術立国」取材班, 2019,第2章)。

 あらかじめ期間や予算が決まったプロジェクトでは、研究者は必ず実現しそうなものしか提案しにくいので、真のイノベーションは起きにくくなると村山斉は指摘する(毎日新聞「幻の科学技術立国」取材班, 2019, p 250)。それにも拘わらず、強引に基礎研究から社会実装までを短期的に求めた結果として、このようなやらせや誇大宣伝が起きてしまったようだ。


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図2 内閣府の第2期SIPで内閣府想定のPD候補を選定するというやらせがあったとしたスクープ記事 (毎日新聞「幻の科学技術立国」取材班, 2019)



 一般的に言って、「短期的に」「役に立つ」研究が競争的資金の下で実施されると、時間がかかる研究、革新的だが失敗のリスクの大きい研究は敬遠され、短期間で確実に成果が出る小粒の研究ばかりが行われるようになり、また、研究不正も増える(山口裕之, 2017 ,p269)。

 生命科学分野においては、査読付き論文になっている成果であっても、追試の実験を行うと、その多くに再現性がないとして、世界的な問題になっている。STAP細胞事件のようにあからさまな不正だけではない。故意の不正なのかあるいは過失なのか、多くはグレーゾーンにある。研究者も人間なので、実験手法や統計処理に不備があるときに、自らに対して甘くなることがある。あるいは、ノイズの中にシグナルを見出したくなったり、チャンピオンデータを取り出したくなったりする。この他にも、落とし穴は数多い。査読システムは、このような問題点を解決できていない(リチャード・ハリス, 2019) (ドナ・ラフラムボワーズ, 2016)。

 現在の科学業界では、発表件数を増やすというプレッシャーの下で、論文が粗製乱造される。そこでは先行研究を引用しなければならない決まりになっていることから、質の低い先行研究でも引用されて、その被引用回数が増えて、それが成果評価になる、といった「破壊的なフィードバック」が働いている。これが最も問題視されているのは生命科学だが、実際は政策研究の方がより深刻だ。この分野では、実験で追試をすることもできず、はっきりした結論は滅多に出ない。そこで、どのような立場・主張であれ、それを支持するような、都合の良い査読論文をウェブで探し出して、先行研究と位置づけることが出来る(Sarewitz, 2016)。

 

2.地球温暖化研究へのプレッシャー

 それでは、地球温暖化問題研究には、「短期的に」「役に立つ」研究が求められる結果として、どのようなプレッシャーがかかっているか。

 まず第1に、実験や観測よりも、計算機によるシミュレーション研究が志向されるようになる。現実世界を相手にする実験や観測は予算も手間暇もかかり、また不測の事態がつきもので、時間内に結果が出るかどうか、不安がつきまとう。短い期間内に何等かの成果を確実に出すためには、シミュレーションの方が手っ取り早い。

 第2に、シミュレーションの質が落ちる。本当は、シミュレーションはその入力データがどのようにして測定されたかをよく知らないとできないはずだが、このデータの吟味がおろそかになる。また、将来を予言するにあたっては、それに先立ち、過去を十分に再現できているかなど、そのモデルの妥当性を厳しく検証すべきだが、これもおろそかになる。

 第3に、「役に立つ」ことが強調されるため、国際共同研究であること、基礎研究から社会実装まで全てを期間内に終えること、ステークホルダーと対話すること、メディアに発表すること、中間評価を受けることなど、あれもこれもと形式的な要件が増える。たった3年か5年で全てを満たすことは常識的に考えれば不可能であろう。にもかかわらず、国主導でプログラムを細かく審査・管理すると、このような要件が増える傾向にある。結果として、既存の要素技術の寄せ集めに過ぎず実は新規性のないシステム実証といった研究の小粒化や、妥当性評価の甘いシミュレーションへの過度の依存などの研究の粗雑化が進む。それでも、研究代表者は、多くの要件を満たすために飛び回り、極めて多忙になる。

 そして、第4に、本稿の主眼であるが、「政治的に正しい」研究が増えているのではないか。

 現在、地球温暖化問題については、「それが脅威であり、例えば"2050年にゼロミッション"といった、極端な温暖化対策が必要だ」といった「温暖化脅威論」が「政治的に正しい」状態にある。だが、このような極端な温暖化対策が、経済的・技術的に実施可能かどうか、あるいは科学的知見はそこまではっきりしているか、といった点は、なお大いに議論の余地がある。しかし、近年では、「議論の余地がある」というだけでも、「政治的に正しく」はない状況にあり、脅威論に対して少しでも疑問を呈すると、「懐疑論者」「否定論者」とレッテルを貼られることを覚悟しなければならない。

 この状況において競争的資金を獲得したければ、計画書には政治的に正しくないことを書くのは得策ではない。つまり、「地球温暖化は深刻な脅威であり喫緊の対策が必要である」と書かねばならない。もしも「地球温暖化の環境影響には大きな不確実性がある」とか「2050年にゼロ排出など不可能に近い」などと書こうものなら、それだけで審査が不利になることを覚悟しなければならないのではないか。

 また「役に立つ」研究であるためには、メディアへのアウトリーチも要請される。この際は、地球温暖化の脅威を徒らに煽るような発表になりがちだ。シミュレーションは前提条件を変えればかなり極端な結果も出てくるので、この目的にはうってつけである。未来を予言する能力を欠いた、妥当性の評価が済んでいないモデルを、実現可能性の低い極端な前提条件の下で走らせて得られたシミュレーションであっても、メディアで大きく取り上げられ、「地球温暖化の脅威」が煽られることがある。もともとの論文を見れば、大抵の場合、そのような結果は、数ある試算の1つに過ぎず、またさほど信頼性が高い試算でもない、と著者は科学論文らしい抑制を効かせて書いている。だがいざメディアで発表するとなると、煽情的に目立つ記事となるように誘導される。そして、そのような歪んだ形であってもメディアで紹介されることが「役に立つ」として評価されてはいまいか。

 更に、「役に立つ」研究であるために、都度、政策目標に寄り添う傾向が生まれる。パリ協定では2℃や1.5℃という地球温暖化の抑制の目標が言及された。これを受けて、2℃や1.5℃を実現すると称する温暖化対策シナリオが世界中で量産された。その中身を見ると、2030年や2050年にゼロ排出になるといったシナリオになっており、現実的に吟味するならば、ほぼ実現不可能なものばかりである。だがとりあえずシミュレーションは出来るので、ひたすら論文の件数が増えた。またそれに呼応して、2℃や1.5℃の環境影響評価のシミュレーションも増えたが、これもモデルの妥当性の検証に疑問があるものが多い。そして論文の件数が増えたこと(知見が深まったことではない)を以て、諸国の政府は「温暖化問題に喫緊に対策すべきエビデンスが増えた」と宣言し予算をつける。見ようによっては、これは壮大なやらせであり、政府とシミュレーション研究者が社会を欺いているとすら言えるかもしれない。

 一般的に言って、国がスポンサーとなって「役に立つ」研究が推進されることは、「政治的に正しい」研究が横行する危険をはらむ。地球温暖化以外の例をいくつか挙げてみよう。

 考古学分野では、旧石器時代の石器や遺跡が捏造され、それが暴かれた「ゴッドハンド事件」があった。ゴッドハンド事件では、文部科学省、考古学者、それに遺跡ブームに乗って地域振興を図りたいという地方自治体の思惑が絡んで、似非科学研究であったにも拘わらず、大規模に国費が投じられた。結局、その捏造があまりにも杜撰であったので、毎日新聞のスクープで全てが破滅した。しかしそのスクープの直前まで長きにわたって、捏造された石器や遺跡は、メディアや行政にもてはやされ、教科書にまで掲載されていた(奥野正男, 2004)。

 地震予測・予知研究は、科学的根拠が無かったにもかかわらず、国費を投入して長い間続けられた。だが確率予報の形で発表されたハザード・マップは全く当たっておらず、東日本大震災を初め、深刻な被害をもたらした大地震を全く予測できなかった。また前兆を捉えて大地震の警報を出すという地震予知研究も、いまだ予知を出来る見込みはない。地震が予測・予知できるものだと思いこませたことは、東日本大震災などの地震の被害を大きくした可能性すらあり、罪は重い(ロバート・ゲラー, 2018) (ロバート・ゲラー, 2011)。

 時代を遡ると、1870年代のアメリカでは、進化論を唱えた学者が迫害された。多数の国民が進化論を信じず、むしろ宗教上の異端だと考えるからといって、大学は進化論を研究してはならないという考えは、現代の日本人の目から見れば、明らかに誤りであろう(山口裕之, 2017, p147)。

 地球温暖化問題について、ここで挙げた例ほど酷いことが起きているというつもりはない。しかし、地球温暖化問題に関しても「政治的に正しい」研究計画・結論・メディア発表へと導くプレッシャーが存在し、そのプレッシャーに影響を受けた研究活動が多く存在し、それが政策決定に大きく影響を与えていることは確かであろう。


3.改善に向けた提案

 「政治的に正しい」方向へと研究活動がプレッシャーを受けることは、研究活動の本来の役割に照らして望ましくない。例え「政治的に正しくない」結論になろうとも、研究活動は多様性を確保し、幅広く実施しておくことが、社会としての意思決定をより適切なものにする。では、どのような改善が可能か。全てを一気に解決する方法は思いつかないが、幾つかの提案をしたい。

 いまの日本の大学では、博士課程から30代、40代にかけての最もイノベーティブで働き盛りの年齢層の研究者が、定職を得てじっくり独立した研究をできる状態になっていない。国のプロジェクト研究を3年ごとに渡り歩き、都度成果を求められ、次の職を探し続けねばならない。これでは、野心的な研究もできないし、「政治的に正しくない」ことを言うことは困難を窮める。なぜなら、予算獲得に失敗すれば、研究者としての人生が終わり、生活も崩壊してしまうのだ。このような状況において「政治的正しさにおもねることなく、科学精神を貫け」などと研究者個人に心構えを説いたところで、空疎に響くだろう。 

 現状を改善するためには、制度を変えねばならない。特に重要なのは、科学研究の中身に国が直接に口を出すのを控えるようにすることであろう。これにはいくつかアイデアがある。


1.運営費交付金の漸減を止め、給付を増やし、働き盛りの研究者が安定した職について、国とは独立にじっくりと研究を進めることが出来るようにする。

 国は運営費交付金の削減への対処として、大学が自らを改革することを期待していた。しかし、実際には、大学を財政難に陥れた結果として起きたことは、若手の就職難の悪化であった。大学を改革するためには高齢で成果の乏しい教員は削減したほうがよいが、そのような目的を達成したいならば、例えば早期退職制度など、別の手段が必要だ。


2.大学改革の名のもとに細かく政府が大学に行政指導をすることを止める。

 大学間の競争は、政府が基準を決めて審査するという計画経済的な疑似競争ではなく、学生の獲得・教育や産学連携の推進など本来の大学の実力での競争にゆだねるべきである(山口裕之, 2017)。


3.国の影響力を弱めるために、企業や個人からの大学への寄付を、税控除の拡大などによって促進する(上山隆広氏の提案)、(毎日新聞「幻の科学技術立国」取材班, 2019 ,p157)。


4.米国の国防高等研究計画局(DARPA)のように、少数の人間の裁量に大きな予算と大幅な裁量を付与する研究支援機関を別個に作る。

 DARPAは、数々の画期的イノベーションを実現した(アニー・ジェイコブセン, 2017)。科研費のような審査システムや学術論文の査読システムとは無縁の、少数の人間の裁量に委ねる方法で予算を大胆に運用することで、米国の研究活動に革新性と多様性をもたらした(シャロン・ワインバーガー, 2018)。日本も同様な形で研究予算の配分において、全く異なるチャンネルを作ってはどうか(なお前述の日本の内閣府の大型研究開発プログラムは、運営に行政が深く関与しており、この点においてDARPAとは全く異なるものになっている)。



 そもそも終身在職権(テニュア)制度が何のために出来たか、という逸話が参考になる。米国では、私立大学が歴史的に主力であったところ、スポンサーの意向によって教授が解職されるということがしばしば起きた。これが自由な思想を妨げるものとして問題視された。結果として、スポンサーの意に沿わないことを言っても構わないように、テニュア制度で教授の身分が保証されるようになった(山口裕之, 2017)。

 国が「短期的な」「役に立つ」研究を求め、大学運営や研究開発予算配分に影響力を行使することは、「政治的に正しい」研究活動を助長するプレッシャーとなりかねない。地球温暖化問題でこれが起きる懸念があり、注意が必要である。


<参考文献>

・Sarewitz, D. (2016, May 11). The pressure to publish pushes down quality. Nature. Nature Publishing Group.
 https://doi.org/10.1038/533147a

・アニー・ジェイコブセン. (2017). ペンタゴンの頭脳 世界を動かす軍事科学機関DARPA. 太田出版

・シャロン・ワインバーガー. (2018). DARPA秘史 世界を変えた「戦争の発明家たち」の光と闇. 光文社.

・ドナ・ラフラムボワーズ. (2016). 査読/ピアレビューの問題点: 懐疑主義こそ不可欠.
 Retrieved from http://ieei.or.jp/wp-content/uploads/2019/12/Laframboise-Japanese.pdf

・リチャード・ハリス. (2019). 生命科学クライシス―新薬開発の危ない現場. 白揚社.

・ロバート・ゲラー. (2011). 日本人は知らない「地震予知」の正体. 双葉社.

・ロバート・ゲラー. (2018). ゲラーさん、ニッポンに物申す. 東京堂出版.

・奥野 正男. (2004). 神々の汚れた手―旧石器捏造・誰も書かなかった真相 文化庁・歴博関係学者の責任を告発する. 梓書院.

・山口 裕之. (2017). 「大学改革」という病――学問の自由・財政基盤・競争主義から検証する. 明石書店.

・岩本 宣明. (2019). 科学者が消える: ノ-ベル賞が取れなくなる日本. 東洋経済新報社.

・毎日新聞「幻の科学技術立国」取材班. (2019). 誰が科学を殺すのか 科学技術立国「崩壊」の衝撃. 毎日新聞出版.

・豊田 長康. (2019). 科学立国の危機: 失速する日本の研究力. 東洋経済新報社