メディア掲載  国際交流  2020.04.24

中国に大差つけられた日本のオンライン教育:教育水準の低下は致命的、政府は政策失敗の真摯な反省を

JBpressに掲載(2020年4月21日付)

1. 政策対応の不備に真摯な反省を

 安倍晋三総理は4月7日に緊急事態宣言を発出した。しかし、そのタイミングは遅すぎたとの批判がある。

 緊急事態宣言のタイミングのみならず、3月下旬以降の日本政府の新型コロナウイルス感染症への政策対応は様々な点で遅れや不備が目立っている。

 新型コロナとの戦いは長期戦になると言われている。これからでも過去の政策対応の遅れや不備を挽回できるチャンスはいくらでも残っている。

 そのためには、これまでの戦いの中で、経験した失敗と真摯に向き合い、その原因となった行動を謙虚に反省し、その反省の上に立って今後の政策対応を進めていくことが必要である。

 その姿勢が、これまでの失敗の経験を糧に新たにパワーアップして新型コロナとの戦いに立ち向かう原点となる。

 しかし、政策対応の失敗を素直に認めず、失敗の原因をきちんと究明せず、真摯な反省に基づいて政策を練り直す謙虚さを持っていなければ、このままずるずると同じ失敗を繰り返すこととなる。

 その失敗の代償として日本で暮らす人々の命と健康と安心が失われ、人々が長期にわたる経済停滞と生活困窮に苦しむことになる。


2. 緊急事態宣言発出の遅れ

 世界各国で感染者数が爆発的に増加する中で、3月までは台湾と日本は例外的に感染者数の急増が抑えられており、世界から注目されていると言われていた。

 しかし、3月末頃から事態は急変する。日本政府の政策対応の遅れが各所で目立ち始め、多くの国民が政府の対応に不信感を抱き始めている。

 その代表的な問題点は緊急事態宣言発出の遅れだった。

 これについて、WHO(世界保健機関)事務局長上級顧問の渋谷健司氏は、多くの医師が早期の緊急事態宣言発出の必要性を訴えていたにもかかわらず、政府による発出は1週間遅かったと指摘し、以下のように述べている。


「WHOは、加盟国に対して一貫して、必要なのは『検査と感染者の隔離』だと主張してきました。それが感染症対策の基本原則です」

「検査をするべきかしないべきかで議論しているのは日本だけ。海外では議論にすらなりません。検査と隔離。それをやるかやらないかが、明暗を分けます」

「(中略)検査をしないから、検査されてない人が病院に来てしまう。クラスター対策という初期の成功体験に固執し、検査数を絞ったことが、今の院内感染を引き起こしています」(ハフィントンポスト4月7日掲載)。

「検査によって患者が増えることで医療が崩壊する」のではなく、「検査不足による院内感染で医療がすでに崩壊し始めている」(文春オンライン4月7日掲載)。


 3月下旬以降の事態の変化に合わせた新たな政策対応が必要となっている。

 しかし、日本政府にはその状況変化を謙虚に受け止めて柔軟に対応する姿勢が伺われず、それ以前の「成功体験」に固執しているように見える。

 ここに日本政府が過去の危機対応において何度も繰り返してきた失敗の本質が集約的に現れている。


3. 政策対応の遅れと不備の事例

 これまでの段階で安倍政権の新型コロナ対応上の遅れや不備として指摘されている主な点は以下の通りである。

 第一に、緊急事態宣言の発出時期について、3月末頃には医療崩壊を防ぐために宣言発出の必要性を主張する意見が医師や感染症対策専門家の間で強まっていたにもかかわらず、政府は宣言発出時期を先延ばしにした。

 第二に、緊急事態宣言後の休業要請の時期と対象業種をめぐり、経済活動を重視する安倍政権と感染拡大防止を最優先とする東京都が対立した。

 その後、一部の地方自治体が東京都に追随し、政府の緊急事態宣言(7都府県が対象)の対象外の地方自治体が独自の緊急事態宣言を発出する動きが相次ぎ、安倍政権の優柔不断な政策対応への不満が表面化した。

 この間、厚生労働省および関係省庁が、日本より先に感染者数が急増した主要国の状況と政策対応をきちんと把握して分析していれば、事前により的確な政策対応ができていたと思われる問題点は以下の通りである。

 第一に、PCR検査拡大の遅れ。

 これにより保健所は膨大な件数に及ぶ日々の電話応対に追われ、感染の不安を抱く患者は保健所に電話しても迅速に応対してもらえず、陽性の疑いのある患者は病院の診察も受けられずたらい回しにされている。

 その結果、救急医療体制が限界に近づき、病院は陰性か陽性か不明の患者による院内感染リスクに晒されている。

 第二に、初診患者へのオンライン診断適用許可、オンラインによる患者受け入れ可能病院の検索システム構築などオンライン診療・救急医療体制拡充の遅れ。

 第三に、ホテルなどの転用による軽症患者の受け入れ先確保と患者移転の遅れ。

 第四に、重症患者を受け入れる病院が必要とする医療物資・機器の不足。

 第五に、人工呼吸器の生産拡大や新薬の開発加速のための特別施策実施の遅れ。

 欧米主要国、韓国、中国などでは平時の対応を見直して危機対応のための施策を迅速に実施したが、日本政府の対応は遅れている。


4. 深刻なオンライン教育環境の遅れ

 このほか、日本以外の多くの国ではオンライン教育が発達しており、学校が長期間休校になっていても、オンライン授業によってかなりの程度カバーすることが可能だった。

 日本でも2023年度にはすべての小中学生にノートパソコンやタブレット型端末を配布することが決まっているが、この実施時期が他国に比べて遅かったことが明らかとなった。

 海外の小中高等学校、大学では毎日オンラインで授業を受けている一方、日本ではオンラインで授業を実施することや宿題を出すことさえできない。

 このため、今回の長期休校期間中に、世界の中で日本の生徒・学生の学力が相対的に低下するはずである。

 ちなみに、上海市では今回の新型コロナ対応として全校休校措置が採られ、オンライン教育に移行したが、その中で唯一対応できなかったのが日本人学校だったと聞く。

 日本は高い教育水準に支えられた平均的に優秀な人材が頼みの国家であると言われてきているが、学校教育基盤がこのままではその国家の礎が揺らぐのは時間の問題である。


5. 政府の慢心と政策運営の構造欠陥

 以上の点は、中国、韓国、欧州、米国などの感染拡大状況と政府の対応策を理解していれば、感染者数の急増時期が遅かった日本には事前に対策を講じるためのある程度の時間的余裕があった。

 それにもかかわらず、ここまで政策対応が遅れたのは政府に慢心があったと言われても仕方がない。

 そして、政策対応が遅れたもう一つの要因は日本の政策運営枠組みの構造欠陥にある。

 1990年代以降、グローバル化が急速に進展し、国家間の国境は以前に比べて格段に低くなった。新型コロナ感染が急速に全世界に拡大した主な要因もそこにある。

 日本政府が海外の感染状況の研究や当該国の専門家・政府関係者との情報交換を早期に進めて、それを生かした対策を採っていれば、3月下旬以降に感染者数が急増した事態をかなり抑制することが可能だったはずである。

 それにもかかわらず、そうした対応を採らなかった背景には、政府のグローバル化対応意識の希薄さがある。

 日本では政策運営が中央省庁内部からの政策立案に依存している。

 このため、グローバル化やIT化の急速な進展により経済社会環境が大きく変化し、政策枠組み自体の構造的転換が迫られているにもかかわらず、従来型の縦割り型組織の足枷の中で前例踏襲型の政策立案しかできない状況が続いている。

 これこそ日本経済が1990年代以降、長期停滞に苦しんできた根本的要因である。言い換えれば、「政策マーケットの不在」と言われる構造欠陥である。

 新型コロナの感染対策では前例がない危機管理対応が求められるため、中央省庁の一般的行動様式である、前例踏襲方式が機能しない。

 中央省庁は基本的に、前例のある事象に対して既存の法規制に基づいて対処するための組織である。

 このため、過去の前例がなく、それに基づく法規制もない新たな事態が生じたケースへの迅速かつ柔軟な対応は苦手である。彼らの政策立案に依存すれば政策は手遅れになる。

 こうした状況を打破するには、外部の専門家や有識者からの政策提案を広く受け入れ、政策に直結させる仕組みが必要であることは、筆者の知る限り1990年代以降、ずっと指摘され続けている。

 それにもかかわらず、政治家も中央省庁もそれを受け入れず、中央省庁依存型政策運営システムに固執してきた。

 今回の政策対応の遅れと不備のもう一つの根本的な原因はそうした政策運営の構造欠陥である。

 中央省庁の官僚にはこの仕組みを改めるインセンティブはないため、これを変革できるのは政治家だけである。したがって、この構造欠陥は政治家の慢心の結果と言える。


6. 求められる強力なリーダーシップ

 危機対応に際しては政治家がとくに強力なリーダーシップを発揮し、信頼できる専門家の意見をよく聞いて、従来の政策運営の枠組みにとらわれない大胆な施策も含めた対処方針を判断、決定して実行するしかない。

 中央省庁に対しては、政策立案を任せるのではなく、政治家が専門家とともに判断を下した後で、それを執行するよう指示する。

 その中で、円滑な行政執行手続きを考えさせ実行させるという指揮命令のあり方が必要になる。

 日本では明治維新以降、人格教育が軽視されたため、周囲の人や公の利益のために「義」を貫く勇気の大切さを重んじる意識が不足している。

 危機時にはそれが集中的に表れてしまう。

 3.11直後の危機対応と復興の遅れ、バブル崩壊後の長期経済停滞、さらに時代を遡れば日米開戦など、過去における大きな政策の失敗の原因はいずれもこの問題に帰着する。

 これを立て直すには、保育園、幼稚園、小中高等学校において、人格教育を充実させ、リーダーシップの大切さ、他者のために自己の最善を尽くす道徳観の醸成など、明治維新以降軽視されてきた道徳教育の再興を図ることが不可欠である。

 日本では道徳教育と軍国主義、全体主義が結びつきやすいと考える傾向がある。

 しかし、健全な道徳教育を通じて人格形成が図られていれば、戦前の非人道的な軍国主義を容認する国家体制も修正されていたと考えられる。

 そうした失敗の繰り返しを防ぐためにも健全な道徳教育が必要である。

 今後長期戦となる新型コロナとの戦いにおいて、いま政府に求められることは、これまでの政策対応上の問題点を究明し、真摯に反省し、日々新たな発想で戦いに立ち向かうことである。

 時々刻々と変化する状況に合わせて、専門家の意見や欧米諸国・韓国・中国の対応を十分参考にしながら、従来の方針や過去の前例にこだわることなく、タイムリーに有効な対策を打ち出して、一歩一歩困難な状況を打開していく。

 それが日々最前線で命がけで新型コロナと戦う医療関係者、感染症に苦しむ患者の方々、雇用不安・生活困窮に苦しむ人々、感染リスクに不安を抱く全国民に対する政府の責務である。