メディア掲載  国際交流  2020.03.26

新型コロナ対策で安倍首相が示した勇気と覚悟:危機においてトップリーダーに求められる思想哲学

JBpressに掲載(2020年3月18日付)

1.重大決定に踏み切った勇気と覚悟

 2月27日、総理大臣官邸で新型コロナウィルス感染症対策本部が開催され、安倍晋三総理が全国すべての小学校、中学校、高等学校、特別支援学校について、3月2日から春休みまで、臨時休業を行うよう要請した。

 その決定を受けて、企業の出勤体制など経済社会を含めて日本中の雰囲気が一変し、不要不急の集団行動の自粛が本格化した。

 その後、WHO(世界保健機関)によるパンデミック宣言もあり、世界各国において深刻な経済的ダメージが避けられない状況となっている。

 3月15日時点において、世界全体の感染者数は15万人、死者数は5000人を超えている。

 日本は感染者数(798人)、死者数(24人)とも欧米諸国に比べても比較的低位にあり、総理の決断が日本国中の雰囲気を一変させたインパクトも含めて評価すれば、一定の効果を発揮しているように見える。

 ただし、安倍総理の全国学校臨時休業要請をめぐっては、発表直後から感染症の専門家やメディアなどからの批判が続いた。

 政治決断あるいは経営判断に基づく重大決定の場合、通常明確な正解はない。

 十分に確信が持てない将来予測に基づいて、将来起こりうるリスクあるいはチャンスを想定して、大きな決断を下すことがトップリーダーに求められる。

 それには重大な覚悟と勇気が必要である。

 重大な政治決断・経営判断を行わざるを得ない理由は、決定を下すための明確な根拠を示すことができるようになってから決断するのでは手遅れになるリスクがあるからである。

 決断が遅れれば多くの人々に取り返しのつかない不幸と負担がもたらされる。だからこそリスクを覚悟で勇気をもって決断を下すことが求められる。

 その結果はリーダー自身、この場合は総理と政府が全責任をとるという選択肢しかない。

 そうした重大局面において勇気と覚悟をもって決断を下すのがトップリーダーの最も重要な責務である。

 その意味では、今回安倍総理が勇気と覚悟を示してこの重大決定を決断したのはトップリーダーにふさわしい姿勢だったと評価できる。


2.記者会見打ち切りの問題点

 筆者は感染病に関する専門知識がないため、学校臨時休業要請の判断が的確であったかどうかついて専門的な観点から論じることはできない。

 ただし、国家全体、国民各層に大きな影響が及ぶ重大決定を下す時にリーダーが考えなければならないことについて論じることは可能である。

 2月29日、安倍総理は臨時休業要請に踏み切った経緯を説明するため、記者会見を実施した。

 今回の公立学校全面臨時休業の是非はともかく、その判断を下した考え方を国民に対して説明する記者会見は極めて重要である。

 この突然の決定が国民の日常生活や経済活動に直接大きな影響を及ぼすことが明らかだからである。

 国民全体に対して、かなりの程度納得がいく形で、今回の決定に踏み切った根拠と総理自身の覚悟についてきちんと説明することが必要である。

 国民が納得して総理の指示に従う場合と、不信感を抱きながら行動する場合では、実際の政策効果が大きく異なるからである。

 その意味で、第1に学校臨時休業を要請した当日に記者会見を行わなかったこと、第2に、29日の総理会見において多くのメディアからの質問にある程度詳しく答えることなく、短時間で一方的に切ってしまったことは不適切だったと言わざるを得ない。

 会見を途中で断ち切ったことにより、政策決定自体に対する不信感を生んでしまったからである。

 27日当日に会見を行わなかったにせよ、29日の記者会見である程度の時間をかけて丁寧に安倍総理の考え方を説明していれば、総理の勇気ある決断に対してより強い納得感を得られた可能性は十分あるように思われる。

 会見を打ち切ったのは会見担当責任者である政府職員だったと報じられている。通常の政策に関する会見であればそれでも問題はなかった可能性が高い。

 しかし、今回の決定は通常の政策決定とは重みが全く異なる重大決定である。

 記者会見に臨む前にこの会見が国民の意識に与える重大性を十分認識していれば、こういう打ち切り方をすることはなかったのではないかと思われる。


3.トップリーダーの決断の重さ

 政府や企業において真に重大な政策・経営判断を下さざるを得ない時、総理、社長などトップリーダー以外に責任を取ることができる人物は誰もいない。政策・経営判断を下すのは総理、社長ただ一人である。

 その時、トップリーダーは孤独そのものである。

 極めて例外的に総理や社長の身になって政策・経営判断のあり方について解雇や左遷を覚悟でトップリーダーに対して直言する幹部人材がいるケースがある。

 その代表例は中国古典の「貞観政要」で紹介されている。

 唐の太宗皇帝に対して文字通り命がけで皇帝の問題点を指摘して厳しい内容の進言を行った諫議大夫(皇帝に対して諫言する立場にある高官。太宗の時代は魏徴、王珪、房玄齢、杜如晦の4人が中心)が存在した。

 これは中国の5000年の歴史上でも極めて稀な事例として取り上げられるほど例外的な存在であり、実際にこのような信頼に足る側近をもつ総理や社長はほとんどいない。

 また、いたとしても、総理や社長自身がそうした人物を遠ざけるケースが多い。

 自分の意に添わない進言を謙虚に受け止めて自らを律するのは真のリーダーとしての修養が身についている人物だけであり、そうした真のリーダーは極めて稀だからである。

 今回の安倍首相が置かれた立場はまさに重大決定を下すことを迫られたトップリーダーであり、その側近には真の意味での諫議大夫はおそらく存在しなかったはずである。

 したがって、孤独な立場で覚悟を決めて勇気を奮い立たせて決断を下したものと推察される。

 人生においてこれほど重要な決断を迫られる機会は一般の人間ではまずない。


4.組織の弊害

 リーダーが決断する時には信頼できる専門家の意見に基づいて、その時点で最善の方針を判断し決断することが必要である。

 これは今回のクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号における感染防止初期対応、あるいは、中国湖北省武漢市で新型コロナウィルスの感染拡大が始まった段階における中国国内での初期対応に関して共通の問題点が指摘されている。

 それは末端あるいは中間の政府組織の責任者=各層においてリーダーの立場にある人物が事態を認識しながらも問題を隠蔽し、都合の悪い事実をタイムリーに公表せず、問題が深刻化して隠せなくなった段階で初めて五月雨式に公表したことである。

 その間に取り返しのつかない深刻な事態が表面化した。

 通常政府や大企業などの巨大組織においては、内部規定上、自分の職務責任の範囲ではない分野の問題について、問題点を認識していても自分がそこまで責任をとって主体的に動く必要はないといった縦割り組織の弊害が生じる。

 また、関係部門の中で問題を認識した人がいても、適切に対応しようとしない上司に諫言すること、自らの判断で他の関係部門に問題を伝えることをためらうという姿勢もよく見られることである。

 職務上の本来の責任より狭い組織内の周囲の目の方を気にして、適切な行動をとらないケースは官民を問わず大組織において日常茶飯事である。

 日本は、3.11の津波による原発事故発生時の初期対応、1990年代前半における不良債権問題処理に対する初期対応など、いずれも国家の安全と信頼に関わる重要局面において的確な判断と必要な措置を断行できなかったという失敗を経験している。

 これは太平洋戦争の開戦、日中戦争の戦線拡大などの事例でも見られた現象であり、戦前から続いている傾向と言える。


5.真のリーダーを育成する道徳教育

 リーダーとは危機時においてどうあるべきか、という基本的な人間教育が明治維新以降欠如している。

 それは先進国へのキャッチアップを重視し過ぎて科学偏重の教育システムを採用したため、国家戦略を担えるような人材を育成するために不可欠の思想哲学・地政学・歴史教育といった基本的リベラルアーツの教育が軽視されたことに原因がある。

 危機に直面するとき、その対応を決定する立場にあるリーダーはタイムリーかつ的確な最終決断を下すことが求められる。

 その時に必要なのは、義、それを実行する勇気、私心のない姿勢である。

 その根底に必要なのは至誠惻怛(明治維新当時、横井小楠、山田方谷らが重視した根本理念)、放勲欽明・文思安安(書経の冒頭の句)といった思想哲学である。

 西郷南洲の「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己を尽くして人を咎めず、わが誠の足らざるを尋ぬべし」もその代表例である。

 これらは危機に直面したリーダーがその時に付け焼刃で身につけようとしても身につくものではない。

 常日頃から自分がリーダーとして生きていくべきことを自分に言い聞かせ、自己修養の努力を積み重ねていなければ、いざという時にリーダーとしてふさわしい行動を実行に移すことはできない。

 しかもそのいざという時は、人生においてしばしば生じるものではない。数年に1度、あるいは人生において数回しかないのが普通であろう。

 したがって、リーダーとしての自覚に基づく自己修養を長期にわたって継続するには、余ほどの責任感、使命感、正義感がなければできるものではない。しかもそれを実行するときに求められる勇気も並大抵のことではない。

 国家、地域社会、企業、組織等においてリーダーの立場にある人物は常にその覚悟をもってその職務を遂行するべきであることは明白である。

 そのためには、誰もがそうした立場に置かれた時に、その立場にふさわしい判断と決断ができるよう日頃から準備が必要である。


6.小中学校における道徳教育拡充の必要性

 そのために必要なのは幼少時からの道徳教育である。

 人間としての精神の基本は15歳頃までに形成されると言われる。特に重要なのは小学校教育である。

 仁義礼智信、リーダーとして求められる知見や勇気など、きちんとした人間教育の基礎を醸成し、国民全体の共有財産として身につけるべきである。

 日本は国土も小さく、資源もなく、人材だけが国家発展のよりどころであると認識されてきた。

 その人材を見ると、中間層のモラルは今も高く、世界中から称賛されることも多い。

 ただし、それも最近は子供への虐待、大企業の不正事件やメディアの報道姿勢などにみられる職業倫理の低下、新たなことにチャレンジして社会に貢献しようとする活力の低下など、問題点が目立ち始めている。

 この現状からみてやらなければならないことは明確である。

 小中学校における道徳教育の重視、リーダーシップ教育の導入、高等教育課程における思想哲学・歴史・地政学等リベラルアーツ教育の充実による人間教育の拡充である。

 そうした日頃からの人材育成努力の積み上げにより20世紀以降繰り返されてきた危機時におけるリーダーシップ欠如の問題を根本的に改善し、令和の時代における日本再興の土台とするべきである。