メディア掲載  グローバルエコノミー  2020.03.19

農協・農林族議員・農水省の「農政トライアングル」に不協和音:食料自給率、米減反、農産物輸出を巡り利害対立。農家と農協の利益乖離が広がっている

論座 に掲載(2020年3月5日付)

 コロナウイルスや桜を見る会に隠れて、ほとんど報道されることはないが、5年を期間とする"食料・農業・農村基本計画"の見直しが行われている。2000年度に"食料・農業・農村基本法"に基づき第一回の計画が実施されてから、今回で5回目の計画策定となる。

 本来これは国民に食料を安定的に供給するうえで重要な計画のはずなのだが、これまでも一般国民の関心は高いとは言えなかった。

 農水省があらかじめ農協や農林族議員と意見をすり合わせて、最終計画とほとんど同じ内容の計画案を作り、この計画案を農協など農業団体関係者や政府に好意的な意見を持つ学識経験者たちをメンバーとする審議会に諮って、その同意(お墨付き)を得たという形をとったうえで、閣議決定されてきた。実質的には、農業界の内部だけで基本計画は作られてきた。

 もちろん農協、農林族議員、農水省の意見がすべて同じであるはずはなく、この三者間で計画案についての十分な根回しや調整と言う、日本的な意思決定方式がとられてきたわけだが、基本的な方向や内容について、意見の齟齬が生じるということはなかった。特に、基本計画のうち最も重要とされてきた食料自給率について、前4回の計画ではその向上を図るという点で、異論はなかった。

 それが、今回様子が違うのだ。

農政トライアングルの形成と戦後農政の骨格

 農政は、農協、農林族議員、農水省の三者による連合体で実施されてきた。

 農協は多数の農民票を取りまとめて農林族議員を当選させ、農林族議員は政治力を使って農水省に高米価や農産物関税の維持、農業予算の獲得を行わせ、農協は高米価等で維持した零細農家の兼業収入を預金として活用することで日本第二位のメガバンクに発展した。

 私は、『農協の大罪』という著書の中で、これを"農政トライアングル"と呼んだ。これは極めて強力な利益共同体だった。

 この農政トライアングルは、どのようにして形成され、何を政策として実現してきたのだろうか?

 戦後の農地解放で、地主から農地を取り上げ小作人に安く売り渡した。所有権を与えられた小作人は自作農となった。終戦直後に小作人解放を目的として農村に進出した社会主義・共産主義勢力は、農地解放が進んで小作人が小地主になり保守化したことから、農村から撤退した。

 この事態を見たマッカーサーと池田勇人が、農村を共産主義からの防波堤とするために、農地解放の成果である自作農を維持することを目的として農林省に作らせたのが"農地法"である。

 株式会社の場合、耕作は従業員、所有は株主となって自作農主義に反することになる。このため、実家が農家ではない若い人がベンチャーの株式会社を作って出資金を募り、農地を取得して農業を行うことは、農地法上認められない。

 終戦直後は凶作で大変な食糧難となった。闇値が高いので、農家は政府に売るよりも闇市場に米を売ってしまう。そうなると貧しい国民にも等しく食糧を供給(配給と言った)しようとする政府に米が集まらない。それでは困るので、農家から米を集荷させるため、戦前の統制団体を改組して作ったのが、今のJAと言われる農協である。

 酪農や果実にはJA以外に専門農協があるが、米にはJA以外に農協はない。JAは米の集荷のために作られた組織だったからである。JAが米に異常にこだわる理由はここにある。

 農地解放で、均等な農家で構成される農村が出来上がった。これは一人一票主義(大きい農家も小さい農家もすべての組合員が等しい発言権を持つ)を組織原理とするJA農協にとっては好都合だった。農村はJA農協によって組織された。

 マッカーサーと池田が思い描いたように、農村は保守党を支える礎となった。農地法と農協が戦後の長期保守政権を実現したと言っても過言ではない。ある意味、この二つは最強の防共政策だった。

農家戸数を維持し、政治力を保持した

 1980年代から90年代にかけての日米貿易摩擦は米ソの冷戦時代と重なった。農産物の貿易自由化を主張するアメリカに対し、日本の農水省は「日本に社会主義政権ができてもよいのか」と反論していたのである。

 日本経済が復興するにつれ、農業と工業の所得格差が拡大していった。1961年の農業基本法は、米作については規模拡大によるコストダウン、米作を止める農家については米から需要の伸びると考えられた果樹や畜産への転換(選択的拡大と言われた)によって、農業所得を増大させ、農工間の所得格差を是正しようとした。

 これによって畜産などでは規模拡大が順調に進み、現在畜産農家は一般の国民の数倍の所得を稼ぐまでになった(『あなたの知らない農村~養豚農家は所得2千万円!』『続・あなたの知らない農村~酪農は過重労働?』参照)。

 しかし、JAが基盤とする米についてだけは、農政は農業基本法が求める政策を採らなかった。1960年代、政府が農家から買い入れていた米の価格(生産者米価と言った)を上げたのである。農業基本法のように、農業の構造改革によって農家所得を向上させようとするのではなく、農家票を意識して安易な方法をとったのだ。

 しかし、米価が上がったので需要は減り生産は拡大し、政府に大量の過剰米が累積した。この処理に多額の財政負担を強いられた政府は、農家に補助金を出して減産させることで、事前に過剰米処理を行わせようとした。こうして始まったのが、減反(正式には生産調整と言う)だ。

 減反の始まりは財政的な理由からである。当時財政当局の力は、今からは考えられないほど強かった。

 1995年食糧管理制度が廃止され、米の政府買い入れがなくなった今、減反が唯一の米価支持の方策となった。食糧管理制度の時には全量買い上げを主張して減反に反対していたJA農協が、今は熱心に減反を推進している。他の農業と異なり、高米価政策で零細な農家が大量に滞留した。

 これらの農家の主たる収入源は兼業収入と年金収入である。農家全体でみると、多数の米農家の存在を反映して、2003年当時で農業所得に比べ兼業所得は4倍、年金収入は2倍である。これらの所得はJA農協の口座に預金され、JAバンクが預金量百兆円を超える日本第二位のメガバンクに発展することに貢献した。

 酪農については、多数の農家が離農し、残った農家がそのあとを引き継いだりして規模拡大が順調に進んだ。酪農家の戸数は、この50年くらいの間に25分の1以下に減少しているが、JAはこれに関心を示さなかった。

 農業基本法が処方した米農業の規模拡大は、農地面積が一定の下では米農家の戸数減少が前提だった。しかし、これはJAの受け入れられるところではなかった。JAが推進した高米価政策によって多数の零細農家が米農業に滞留した。これは農林族議員にとっても選挙を勝ち抜くうえで好都合だった。

 農家数で言うと8割程度の農家が米を作っているが、その生産額は日本農業の2割にも達しない。他の農業に比べ、いかに非効率な農家が米に滞留しているかがわかるだろう。

 農水省の役人も変心した。戦後しばらくの間、農林省では小作人を解放した後は、零細農業構造の改善に手を付けるべきだという意見が主流だった。これが戦前の農業の二大課題だったからである。省内で"農地改革から農業改革へ"というスローガンが唱えられた。農林省が理想と信念に燃えた時期だった。農業基本法はその集大成だった。

 しかし、農業基本法のように米農業の構造改革=規模拡大をしようとすると、農家戸数は減少する。そうなれば、農林省は政治力を利用して大蔵省(財務省)から予算を獲得することはできなくなる。天下り先の確保にも支障が生じる。

 このように考えるようになった農林官僚は理想を放棄した。こうして、農協、農林族議員、農水省三者の利益が一致する農政トライアングルが形成された。

農家の経済学的には合理的な減反政策

 農産物需要の特徴として、価格を下げても他の産品ほど需要は増えないという特徴がある。テレビの値段が半分になると、二台テレビを持とうと考えるかもしれない。しかし、胃袋は一定なので、米の値段が半分になっても、米を倍食べようとする人はいない。需要量はそれほど増えないのである。

 野菜が豊作になると価格が暴落することがニュースになる。市場がわずかな供給の増加を吸収しようとすると価格を大幅に下げなければならないからだ。生産が増えても価格がそれ以上に下がるので、生産量に価格を乗じた売上高は減少する。これが"豊作貧乏"と言われる現象である。

 減反は、この農産物需要の特徴を逆手に取った政策である。豊作貧乏とは逆に、供給量を少し減少すれば価格を大きく上げることができ、売上高は増加する。米価を上げると農家は高い農業機械なども購入することが可能となる。農協は高い米価と高い農業資材価格の両方で高い販売手数料を稼ぐことができた。

 日本農政の特徴は、財政支出(納税者負担)ではなく高い価格(消費者負担)によって農業を保護してきたことである。アメリカは60年前、EUも30年前から、価格支持から財政支出へ農政を転換している。国際価格よりも高い国内価格を維持するためには関税が必要となる。貿易自由化交渉で農業がいつも障害となるのはこのためである。

 しかし、消費税については逆進性が問題とされたのに、逆進性の塊のような農産物の高価格・関税政策を維持することは国益とされる。

 医療政策など通常の政策では、財政負担をすれば国民は安く財やサービスの提供を受けられる。ところが、米政策の場合は、農家に4千億円もの補助金を与えて減産させて価格を大幅に引き上げるという政策を採っている。

 米農業について、国民は、納税者として負担し、なおかつ消費者として負担している。国民経済学的にはあってはならない政策だが、農政トライアングル、特に農協にとっては、きわめて重要かつ合理的な政策である。

食料自給率についての仲間割れ

 国民のほとんどが、食料自給率が低いことを知っており、これを引き上げるべきだと考えている。

 そもそも食料自給率は政策的には意味のないものだ。食料自給率とは、国内生産を輸入も含めた消費量で割ったものだから、飽食と言われる今の消費を前提とすると、自給率は下がる。

 今の生産でも、つつましかった過去の食生活を前提とすると自給率は上がる。飢餓が発生した終戦直後の自給率は、輸入がなく国内生産が消費量に等しいので、100%だ。今の37%よりこの時の方が望ましいという人はいないはずだ。

 カロリーベースの自給率は不適切で金額ベースで表示すべきだとする主張もあるが、以上のことは金額ベースでも同じである。消費量の変化によって上下する食料自給率という指標には意味はない。

 しかし、2000年閣議決定された食料・農業・農村基本計画は、10年間で食料自給率(カロリーベース)40%を45%に引き上げることを目標とした。以降政府は20年もこの目標を掲げている(途中民主党政権で50%に引き上げ)が、目標に近づくどころか37%へ下がっている。

 自給率目標が正しいとしても、それを低下させた責任は農政にある。というより、農政としては、食料自給率が下がっても痛痒を感じないのである。

 1960年以降米価を大幅に上げて国産の米の需要を減少させ、麦価を据え置いて輸入麦主体の麦の需要を拡大させた。こうした外国品愛用政策を採れば、自給率は低下する。今では米を500万トン減産する一方、麦を800万トン輸入している。

 閣議決定された食料自給率向上目標がこれほど長期間達成されなければ、普通の行政なら担当者の責任問題が生じるはずだが、農水省はこれを恥じる様子さえない。食料自給率が下がってうつむく職員など、誰一人としていない。責任を取って辞任した幹部などいない。食料自給率向上に意味はないことを理解しているからだ。

 逆に、食料自給率が上がれば、もう農業予算など要らないのではないかと言われてしまう。国民に農業保護を支持してもらうためには、食料自給率は低い方がよいのである。

 おそらく農水省は、今回の基本計画改訂においても、形だけの食料自給率向上目標を掲げようとしたのだろう。しかし、農林族議員から、自給率目標を掲げるべきではないという否定的な意見が出された。これだけ時間をかけても目標が達成されないことに選挙民から批判が出ているからだ。

 目標未達成に一切責任を採ろうとはしない農水省とは違い、国民に直接接するのは政治家である。これ以上批判を受けたくないと考えたのだろう。

 もちろん農協や農水省は、国民の農業保護への支持を確保するために、自給率目標を降ろしたくない。そこで、農水省は、食料自給率を高く見せかける方便を考えた。畜産物について、ほとんどを海外からの輸入飼料に依存していること(国内の飼料自給率は25%)を無視した新しい自給率の提案である。  これまでの食料自給率は、輸入飼料から生産された畜産物を国産とは扱ってこなかった。輸入飼料が途絶えると畜産の生産もなくなってしまうからである。これは正当な考え方である。『あなたの知らない農村~養豚農家は所得2千万円!』で述べたように、輸入飼料の加工業のような畜産には、食料安全保障上何らの意義もないからである。

 しかし、それでは自給率は低いままである。

 そこで飼料の自給を無視した食料自給率も提示することにした。完全輸入飼料依存の畜産物でも国産とカウントするのである。例えば牛肉については、従来通りの自給率は11%に過ぎないが、新しい自給率だと43%に跳ね上がる。食料全体の自給率は従来の37%が46%に上昇する。目標の45%を達成したように見せかけられる。ごまかしだが、農水省としては自給率が低位にとどまることについての責任逃れをしようとしたのだろう。

 ところが、これに異を唱えたのがJA農協である。

 新しい自給率では、飼料自給の向上がおろそかになってしまうという正論を主張しているのである。畜産農家からすると、自給飼料だろうと輸入飼料だろうと、生産物には変わりない。自分が作ったものが国産と扱われないという不満を解消するためには、新しい自給率の方がよい。

 しかし、JA農協の基盤は畜産ではなく米である。守りたいのは減反による高米価である。減反の基本は、主食用米の作付けを止めて他の作物に転作すれば補助金を交付することで、主食用米の生産を減少させることである。その転作作物として重要なものが飼料米である。

 つまりJA農協は、飼料自給の向上という政策目標が失われれば、飼料米生産への補助金がカットされ、減反による主食用米の生産減少が困難となるのではないかと恐れているのだ。

輸出目標についての農協の異論

 今の農政の目的は、農家の所得増加である。2013年自民党が取りまとめた「農業・農村所得倍増目標10ヶ年戦略」で「地域や担い手の所得が倍増する姿を目指す」としたことを受け、政府も「農業・農村の所得倍増を目指す」と閣議決定まで行っている。農水省だけではなく政府全体の政策目標にしたのである。

 そのための手段として、政府は農産物の輸出拡大を掲げている。輸出することで農家所得を上げようというものだ。

 具体的には、農林水産物・食品の輸出額を1兆円にしようという目標である。2019年の輸出額は前年比0.6%増の9121憶円、うち加工品を含む農産物は5877憶円である。

 JA農協はこの輸出目標は農家所得の増加につながらないのではないかと批判している。それは、輸出農産物というものの、ほとんどが外国から輸入した小麦や砂糖などの加工品で、国産農産物と言えるものは極めて少ないからである。

 実は、この事実は私がずいぶん前から指摘していたことである。例えば、2014年の農産物輸出額3570憶円のうち、国産農産物やそれを使ったものを最大限見積もっても、890憶円にしかならない(『日本農業は世界に勝てる』日本経済新聞出版社104~106ページ参照)。

 2018年で明らかに国産農産物と言えるもののうち大きなものでも、牛肉247億円、緑茶153億円、リンゴ140億円、米38億円に過ぎない。農林水産物・食品の輸出額の中で占める割合は、それぞれ2.7%、1.7%、1.5%、0.4%である。

 農協がこのような批判をする背景には、安倍政権が農協改革を実施したことに対する確執がある。

 他方で、自民党農林族議員の中には、米価を維持し続けるために、毎年10万トンずつ米の生産を減少しなければならないことに対する農家の不満や批判を感じている人が少なくない。農協は懸命になって米の減産を呼び掛けているが、これを続けていくと、米生産はどうなっていくのだろうかと言うシンプルな不安である(『世界でいちばん持続可能な水田農業を潰す日本農政』参照)。

 そして、一部の農林族議員は米の輸出を振興すべきだと主張する。これは正論である。しかし、そのためには米価を下げなければならない。彼らがどこまで考えているかわからないが、論理的には減反廃止となる。  『農産物の輸出が伸びない本当の理由』から米の輸出の方法を再掲する。

  2018年のカリフォルニア米の価格1万1464円(日本の輸入価格)からすれば、品質面で優位な日本米は1万3000円程度で輸出できる。生産調整(減反)を止めれば、米価は一時7千円程度に低下するが、商社が7千円で買い付けて1万3000円で売ると必ず儲るので、国内市場から米の供給が減少し、国内米価もすぐに1万3000円に上昇する。経済学で言う価格裁定行為である。

 つまり、国内市場だけ考えると、米価は大きく低下するように思えるが、輸出は米価低下の下支え効果を持つ。現実にも、米が主要な輸出品目だった明治初期には、国内米価は国際価格よりも低下しなかった。  減反廃止直後の価格から米価は上昇するので、翌年の米生産は大きく増加する。さらに、減反廃止でこれまで抑制されてきた収量の高い米が作付けされるようになると、米生産は1500万トン以上、輸出は量で750万トン、金額では1.5兆円となる。米だけで1兆円の政府目標は十分以上に達成できる。

 アメリカやEUと同様、価格低下で影響を受ける主業農家に、現行1万4000円と1万3000円との差1000円を補塡(対象数量は現在の生産量の4割300万トン)すれば、所要額500億円。現在減反に納税者(財政)が負担している4000億円を大幅に縮減できる。しかも、零細農家が米価低下で米産業から退出すれば、主業農家の規模が拡大してコストが下がり、収益が増加するので、この補塡は一時的なものに過ぎず、いずれ廃止できる。

 戦前、農林省の減反案を潰したのは陸軍省だった。減反は食料安全保障に反するからである。

 減反を止めて国内消費以上に生産をして輸出すれば、分子が増えるので、自給率も上がる。本当に、日本の農産物の輸出振興を図ろうとすると、最も潜在生産力が高い米を中心に考えざるをえない。しかし、それは減反による米価維持に立脚する農協と対立することになる。

成るか?農政にビッグバン

 都府県の平均規模の1ヘクタール程度の農家の米作所得はゼロであるが、20ヘクタール以上の規模の農家の所得は1500万円である。1ヘクタール規模の農家が20戸集まっても所得はゼロだが、これらの農地を一人の農家に集積すれば、1500万円の利益を得る。

 農地の出し手はこの中から地代として配分を受ける。これは地主として、農地、農道、水路などのインフラ整備を行うことの対価である。農業をする人、そのインフラを整備する地主という新しい農村像を作る必要があるのではないだろうか。

 具体的には、減反を廃止して米価を下げると、コストの高い零細な農家は農地を出してくる。財政から直接支払いを主業農家に交付すると、その地代負担能力が高まって農地は主業農家に集積する。規模拡大によるコストダウンで収益が上がるので、地主に対する地代も増加する。農村にいるすべての人が利益を得る。

 アメリカにもEUにも農家の利益を代弁する政治団体はある。しかし、これらの団体とJA農協が決定的に違うのは、JA農協それ自体が経済的な行為を行っていることだ。このため、JA農協が代弁する利益は農家と言うより自己の組織の利益である可能性が強い。

 米価を下げても直接支払いをすれば農家は保護されるが、農協は利益を受けない。構造改革をすれば農村は救済されるが、農家戸数が減少するので農協は基盤を失う。農政トライアングルの亀裂は、農家と農協の利益の乖離が大きくなっていることを示しているのではないだろうか。

 農家に接している農林族議員が、農協や農水省と利益を共有しないことを明確に理解したとき、かつて農地改革で地主階級が崩壊したように、農政にビッグバンが起きるかもしれない。