メディア掲載  グローバルエコノミー  2020.01.15

あなたの知らない農村~養豚農家は所得2千万円! :現代日本の農村に「おしん」はいない。国民の血税で所得補塡する必要はない

論座に掲載(2019年12月27日付)

影響がないのに講じられた農家対策

 これまで政府は、米国も入っていたTPP合意への対策として、毎年3千億円の農家対策を講じてきた。今回の日米交渉で、政府はTPPの範囲内に農産物の譲歩を収めたと主張している。それならこれまでの対策だけで十分なのに、TPP交渉対策にさらに上乗せした対策を講じようとしている。

 そもそも、日本農業の重要品目と言われるもののうち、TPP等で関税を削減したのは、牛肉(38.5%を16年かけて9%へ削減)と豚肉くらいである。これで影響はあるのだろうか?

 結論から言うと、農林水産省自身大きな影響はないと主張していたのに、対策が打たれてきたのである。しかも、農林水産省が大きく見積もっても生産の減少は2千億円としているのに、それを上回る対策費となっている。

 今から8年前100円の牛肉が輸入されたとして、38.5%の関税がかかると138.5円で国内市場に入ってきた(この関税が9%になったら109円となる)。しかし、当時から比べると35%程度円安になっているので、当時100円の牛肉は関税なしでも135円で輸入される。これに9%の関税がかかると147円で国内市場に入ることになる。8年前の状態と比較すれば、牛肉は関税が削減されても円安によって保護水準はむしろ高まることになる。

 豚肉については、特殊な関税制度によって関税が下がっても、今までと同様の価格で輸入される仕組みになっているので、関税削減・撤廃の影響はない。複雑な制度なので詳細な説明は省くが(知りたい方は、小著「TPPが日本農業を強くする」を参照されたい)、これは、農林水産省自身がTPP交渉の成果として誇らしげに語っていたことである。


絶好調の畜産経営

 では、実際に影響は生じているのだろうか?

 TPP11には牛肉の重要な輸出国として、オーストラリア、カナダ、ニュージーランドがあり、2019年度の関税はすでに26.6%に、削減前からすれば10%以上も下がっている。関税が下がれば国内価格も低下し、大きな影響が生じているように思われるかもしれないが、次のグラフを見ていただきたい。これは2001年の価格を100とした場合の和牛の子牛と枝肉の価格指数を縦軸にとり、その推移を年次別に示している。国産和牛の価格は右肩上がりで推移し、現在では歴史的な高水準を付けている。

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 影響が生じるどころか、国内牛肉業界を巡る状況は、バブル到来と言ってよいほどの絶好調である。豚肉も同様であり、関税低下の影響は全く見られない。

 では、TPPや日米交渉対策の対象となる農家の所得はどうだろうか?

 次の図が示す通り、肉牛8百万円超、酪農1千7百万円、養豚2千万円である。(なお、図の農外所得とは、サラリーマン所得などを指している。この図から、米作農業のほとんどは、サラリーマン所得が主の兼業農家や高齢な年金生活者によって行われていることがわかる)

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 仮にTPPや日米交渉で多少収入が減少したとしても、このような高額所得者に平均所得が4百万円程度の国民が、その支払う税金から補助金を支払わなければならないのだろうか?


国民は今の農業や農村を知らない

 なぜこのようなことが起きるのだろうか?

 それは、国民が農業や農村から遠く離れ、実態を全く知らなくなっているからである。

 日本の国民が知っている農業や農村は、今ではなく戦前の姿である。確かに、戦前の農民、特に小作農は、貧農であり、農奴と言ってよいほどだった。小作農は収穫物の半分を小作料として地主に現物納付させられた。昭和恐慌の際、東北の農民は娘を身売りして糊口をしのいだ。まさに、"おしん"の世界である。柳田國男たち戦前の農政官僚は農民の貧困からの救済を目指した。

 現実はどうだろうか?

 まず、農村が変わった。次の円グラフは、農業集落について、農家戸数が占める比率(農家比率)が低いものから大きいものまで、農業集落全体に占める割合を示したものである。これを見ると、1970年ではまだ農家比率が70%以上の農業集落が全体の63.4%を占めていた。つまり農業集落の構成者のほとんどは農家だったのである。

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 ところが、2015年になると、農家比率70%以上の農業集落は6.6%を占めるに過ぎず、農家比率30%未満の農業集落が6割近い57.3%を占めるようになっている(下の円グラフ)。農村で工場や役所などに勤務するサラリーマン世帯が増加し、混住化が進んだのである。

 もはや、農村=農家ではないのだ。

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 農業も変わった。

 昔、米という字は八十八と書くほど、コメ農業は手間と労力がかかると言われた。しかし、10アール当たりの年間の米作の労働時間を示した次の図が示すように、機械化の進展によって、コメ農業の労働時間は大きく減少した。1日8時間労働すると仮定すると、都府県の平均的な1ヘクタール規模の農家の年間農作業日数は、1951年の251日から2015年29日に低下している。ひと月も農業をしていないのだ。

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 50年前は、田植えの重労働で、腰の曲がったおばあさんたちが農村に多数いた。今は機械が田植えをしてくれるので、そのような光景は見られなくなった。もう"おしん"はいない。

 農家も変わった。

 なにより、その所得が上昇した。1965年以降農家所得はサラリーマン世帯の所得を上回って推移している。農村から貧困はなくなった。


酪農バブル

 それなのに、国民は未だに農家や農村は貧しく救済すべき対象としてみている。

 稲作の規模を拡大して効率化を図るべきだと言うと、TV局のキャスターは規模の小さい兼業農家はどうするのですかと言う。先に示した図の通り、兼業農家は週末少しだけ農作業を行うサラリーマンだから、所得対策は必要ない。

 今回もある新聞記者が酪農家を訪問して、TPPや日米交渉で経営が大変になるという酪農家の声を紹介している。乳製品の中で市場が解放されるのはホエイやプロセスチーズ用のナチュラルチーズであって、国産の生乳の仕向け先としては微々たるものである。主要な乳製品であるバターと脱脂粉乳の関税は削減もされない。

 影響があるでしょうと聞かれて、いや影響なんてありませんよと答える農家はいない。この記者は、農家が影響を受けるという結論を持ってインタビューをしたのだろう。そのような記事を国民が予期し期待しているからだ。

 北海道の実態を知っている新聞記者は、「今酪農バブルといわれている状況だが、北海道でそんな記事は書けませんよ」と私に言っていた。

 自民党の農林族と言われる人たちも、牛肉や養豚などの畜産農家の経営実態をどれほど把握しているのだろうか。2千万円の高額所得者に、国民の血税から所得補填をしようとしていることに気付いているのだろうか。

 畜産農家の戸数も知っているのだろうか。牛肉農家4万6千戸、酪農家1万5千戸、養豚農家4千戸である。これらを衆議院小選挙区数289で割ると、一選挙区当たり、牛肉農家160戸、酪農家51戸、養豚農家14戸しかいない。大きな票にはならないのだ。

畜産を保護すべきなのか?

 畜産を保護する理由は何だろうか?

 貧しいからという理由がないとしても、食料安全保障など保護する理由はないのだろうか?

 牧草地で飼育する一部の酪農と肉牛を除いて、日本の畜産はアメリカ等から輸入されたトウモロコシ、大豆、乾草などをエサとして生産している。シーレーンが破壊され、飼料の輸入が途切れると、日本の畜産は壊滅する。食料危機の際には、何の役にも立たない。

 環境面でも多くの糞尿を副産物として排出している。この結果日本の国土に大量の窒素分が蓄積している。ヨーロッパではこれによってブルーベイビー現象が生じた。世界的には、畜産自体、牛のゲップにより、二酸化炭素より温暖化効果があるとされているメタンを発生させるので、植物由来の肉や細胞培養の肉生産への技術開発など、世界では畜産を縮小させる動きが見られている。

 コメなどには食料安全保障など保護する理由はあるかもしれないが、日本の農業界は、50年にわたる減反政策で食料安全保障に不可欠な農地資源を減少させてきた。多面的機能の主張も、水資源の涵養や洪水防止など水田を水田として活用するからこそ発揮できる機能なのに、水田を水田として使わない減反政策を推進してきた。すべて虚偽だった。

 農業界は国民が農業や農村を知らないことを利用して、政府から多額の金を受け取ってきた。

 通常の企業なら、経営が悪くなれば、自ら経営の立て直しを図ろうとするだろう。経営悪化の責任を政府に押し付けたりはしないだろう。関税が削減・撤廃されたことを政府の責任だというのかもしれないが、これまで高い関税で、自分たちより貧しい国民を含め、国民消費者に高い食料品価格を払わせることで、他の産業にはない保護を受けてきた。これまでの保護が、あってはならない異常なものだったのだ。

 政府の金と言っても、結局は同胞である国民が収めた税金である。もう国に依存するのは止めようではないか。いつも国からの支援や保護を待っている人を見て、その後継者となりたいという若者は出てこないのではないだろうか。


自立を阻む「農業保護」

 戦前、第55代内閣総理大臣となった石橋湛山は、農家を取り巻く人たちに対して、厳しい指摘をした。


 日本の農業はとても産業として自立できない、故に農業には保護関税を要する。低利金利の供給を要する。(中略)政府も、議会も、帝国農会も、学者も、新聞記者も、実際家も、口を開けば皆農業の悲観すべきを説き、事を行えばみな農業が産業として算盤に合わざるものなるを出発点とする。斯くて我農業者は、天下のあらゆる識者と機関から、お前等は独り歩きは出来ぬぞと奮発心を打ちくだかれ、農業は馬鹿馬鹿しい仕事ぞと、希望の光を消し去られた。今日の我農業の沈滞し切った根本の原因は是に在る。


 本邦最高の農政学者柳田國男も、国や政府に頼らない自助の精神を農民に求めた。


 世に小慈善家なる者ありて、しばしば叫びて曰く、小民救済せざるべからずと。予を以て見れば是れ甚だしく彼等を侮蔑するの語なり。予は乃ち答えて曰わんとす。何ぞ彼等をして自ら済わしめざると。自力、進歩協同相助是、実に産業組合(農協)の大主眼なり


 柳田國男にとって、望ましい農協とは、農家が力を合わせて(協同相助)、事態を自分たちの力で切り進む組織だった。政治運動によって、国から保護や補助を引き出すことに懸命となる組織ではなかった。

 農家を保護して選挙での票をあてにしたり、自己の組織の延命を求める人たちにも責任がある。津田塾大学の創立者津田梅子の父、津田仙は、官制の札幌農学校と期を同じくして民間で初めての農学校を創設した。アメリカ流のプロテスタントの精神に立脚する彼は、政府に依存することなく、自主自立の精神に立って企業的に農業経営を行うような日本農業界のリーダーの育成に努めた。彼は政府の農業保護を次のように痛烈に批判する(農商務省は今の農林水産省と経済産業省の前身である)。


 凡そ民業の発達は事業家が自家の力に依頼し全幅の精神をその事業の上に注ぎて初めてその功を見るべきものなり。然るに政府が保護を与うるの弊は、或は事業に熱心ならざる人に浮利を博するの投機心を発せしめ、或は自立の精神なき人に起業の依頼心を生ぜしめ、結局受恵の事業は終始真面目に之を従事するものにあらざるが故に、其事業の結末を見ることを能はざるのみならず、他の誠実なる事業家を害し遂に国家全体の民業を衰退せしむるに至る。

 農商務省が今日迄の経歴に於てその保護の跡を尋ねて当初の目的を達したるもの実に何物かある。従来農商務省の保護政略が民業を妨げたることは論者と共に其非を鳴らさざるを得ざるなり。