コラム 国際交流 2020.02.18
1.中国中央電視台による公式報道直後の上海オフィス街の様子
新型コロナウィルスの感染拡大問題が中国国内で本格的に表面化したのは1月20日(月)からである。ちょうど筆者は中国出張で上海に滞在中だった。その前週は1週間、北京に滞在していたが、1月15日(水)の米中貿易協議の第一段階合意のニュースが主要な話題であり、毎日の面談において新型コロナウィルスの問題が話題になることは殆どなかった。
週末頃になってようやく事態の深刻化が事情通の間で話題になり始めた。19日(日)からはSNS上で情報が拡散し始め、20日(月)の朝のCCTV(中国中央電視台:日本で言えばNHKに相当)のニュースで感染者数、死者数、地域別動向等詳しい情報が一斉に報じられた。
この報道を受けて、政府、企業等は即日、武漢出張から戻ってくる職員の数日間の自宅待機命令、武漢への出張中止、ウィルス防護用マスクの配備、オフィス封鎖時に備えた緊急人員配備体制の準備等に即座に着手していた。20日(月)に上海でメガバンクの中国現地法人本社など日本企業が集中する高層ビルを訪問した際には、大量のN95対応防護マスク(SARSの時などに使用する密閉度の高いマスク)を両手に抱えてエレベーターに乗り込んでくる中国人従業員の姿もあり、臨戦態勢に入った感じが如実に伝わってきた。
21日(火)からはホテルや交通機関等、公共性の高い職場では政府の命令でマスク着用が義務付けられたことから、ホテルのサービススタッフや地下鉄の職員など全員がマスクを着用し始めた。これが街全体の雰囲気を一気に変えた効果が大きかったように思われる。
そうした影響もあって、街中では一斉に人々のマスクの着用が始まり、21日(火)の出勤時には、オフィスビルに通勤してくる人々のほぼ全員がマスクをしていたのを見て、中国国内の反応の速さに驚かされた。
私が21日(火)に面談した複数の中国人が、旧正月(春節)休暇(1月24日~31日)中に予定していた国内旅行を即座にキャンセルしていたのも印象的だった。その全員がなるべく外出を控えて、休暇中は自宅で過ごすことにしたと話していた。
2. 中国国内の感染拡大状況
(1)主要都市での防疫体制
今回の新型コロナウィルスの感染者数は現在(2月11日)も増加し続けているため、中国経済への影響は予測不可能である。湖北省は2月13日まで、北京市、上海市、広東省、江蘇省等20省市は2月9日まで、政府機関・企業等一部の防疫強化事務関連部門を除き出勤停止命令が出されたため、中国経済は1月24日以降17日間麻痺状態が続いた。多くの主要都市では、「社区」と呼ばれる住民の居住区(アパート・マンションの集合単位、中庭を取り囲む形で複数の建物が建てられている)の入り口のところに住民の入退出を管理する検問が設けられ、住民の出入りが厳格にチェックされた。一家族につき2日間に一人だけ社区からの出入りが許可されるという外出制限が徹底された。
こうした制限が徹底された地域では感染拡大を抑制することに成功している。中国事情に詳しい筋からの情報によれば、北京、上海といった中核都市ではこうした管理体制が比較的徹底されたほか、元国家衛生・計画生育委員会副主任(以前の日本の厚生省副大臣に相当)がトップ(省書記)に就任している貴州省でも的確な措置が実施されたため、感染者数が比較的少数に抑えられている。
(2)感染者数・死者数は湖北省とそれ以外の地域では大きな違い
今回の新型コロナウィルス感染者数累計は、2月11日午前0時時点で42,638人、感染が疑われている人数は21,675人、死者数は1,016人(致死率2.3%)に達した(図表1参照)。2月1日以降の感染者新規増加数の推移を見ると、2月3日~5日頃を境に徐々に減少し始めているように見える(図表2参照)。ただし、湖北省のデータについては、今もなお、医療現場が大混乱の状況にあるため、感染者数等の実態をどの程度正確に把握できているのかはやや疑わしいとの見方もある。一方、湖北省以外のデータについてはほぼ正確に実態を表していると見られている。
図表1のデータから明らかなように、中国国内では湖北省とそれ以外の地域では感染状況に大きな違いが見られている。とくに致死率をみると、湖北省とそれ以外の地域の差は歴然としてる。
専門医の見解によれば、新型コロナウィルスの致死率は、武漢市で4.1%であるのに対して、湖北省以外の中国国内では0.17%(図表1中の致死率は筆者が手元で単純計算により算出したものであり、専門家による推計ではないためこの数字と一致しない)とインフルエンザの致死率0.1%とあまり大きな差がないと報じられている(東京新聞2月7日朝刊)。
2003年に中国で流行したSARS(重症急性呼吸器症候群 severe acute respiratory syndrome)は、致死率が9.6%に達した。新型コロナウィルスの致死率だけ見れば、湖北省以外の地域ではインフルエンザに近いとも言える。
湖北省とその他の地域でこれほど大きな違いが生じた原因は、湖北省、武漢市等において、初期段階の防疫体制・医療対応が不十分だったため、感染者が急増し、非常に多くの患者が一斉に病院に押しかけ、重症患者と軽症患者が相互に感染し合い、重症患者が急増したことが原因と言われている。
3.SARSとの対比から見た中国経済への影響
以下では、2003年に生じたSARS(重症急性呼吸器症候群 severe acute respiratory syndrome)の影響と対比することにより、今回の新型コロナウィルスが中国経済に与える影響について考えてみたい。
2003年末時点のデータ<資料:国立感染症研究所>によれば、2002年11 月〜2003年8月に中国を中心に8,096人が感染、うち774人が死亡(致死率9.6%)。
SARSのケースでは、2003年3月12日にWHO(世界保健機構)が全世界に対して警告を発してから7月5日に終息宣言を出すまで、約4カ月間を要した。当時の経済データを見ると、2003年の1Qから2Qにかけて、実質GDP成長率は2%下落した(図表3参照)。しかし、同年3Qには実質成長率が+10.0%まで回復しており、深刻な悪影響は2Qの1四半期だけで終息したように見える。新型コロナウィルスはSARSに比べて感染力がはるかに強く、防疫が難しいことから、終息までに要する時間も長くなると見られている。
SARSの流行により最も大きな影響を受けたのは消費である。消費動向を示す消費財小売総額(四半期ベース)前年同期比の推移を見ると、02年4Q+10.1%から03年1Q+8.4%、2Q+8.7%、3Q+8.8%と3四半期にわたり景気下押しの影響が見られており、実質GDP成長率の動きとは一致しない。これは投資が高い伸びを維持したことが原因である。
当時は安くて豊富な労働力を梃子に中国が世界の工場としての役割を急速に高めつつあり、内外企業の製造業設備投資を中心に固定資産投資が非常に高い伸びを示していた(図表4参照)。このため、SARSの影響による消費の不振を投資の大幅な伸びによってカバーすることが十分可能だった。
それに加えて、SARSは発症前の段階で人から人へ感染することがなかったため、今回の新型コロナウィルスに比べて防疫体制が比較的組みやすく、沿海部の主要産業集積地においては通常の操業体制を維持することが可能だった。このため、工業生産あまり大きな悪影響を受けず、投資も高い伸びを保持した。その結果、実質GDP成長率はSARS発生にもかかわらず、順調に拡大を続けた(図表5参照)。
当時の中国経済の成長を牽引していた主要コンポーネントは固定資産投資であり、消費の寄与度は小さかった(図表5参照、2003年の実質成長率への寄与度は、消費+3.6%、投資+7.0%、外需-0.6%)。
これに対して、2010年代の中国経済は、すでに消費主導型の成長パターンへと移行しているため、消費が経済成長に与えるインパクトはSARS当時に比べてはるかに大きい(2019年の実質成長率への寄与度は、消費+3.5%、投資+1.9%、外需+0.7%)。さらに、今回の21省市における経済活動の一斉停止は全産業の生産、投資、消費に大きな影響が及ぶため、この点でも影響は深刻である。
以上を考慮すれば、少なくとも第1四半期の経済活動が新型コロナウィルスの感染拡大によって受ける下押し効果はSARS当時に比べてはるかに大きなものとなると推測される。
4.SARSとの対比から見た世界および日本経済への影響
世界経済への影響もSARSに比べてはるかに大きくなるのは確実だ。IMF(国際通貨基金)World Economic Outlook, October 2019のデータベースによれば、2003年当時の中国経済が世界経済全体(GDP合計)に占めるウェイトは4.3%に過ぎなかったが、19年には16.3%に達したと見られる。すなわち、中国経済が世界経済に与えるインパクトはSARS当時の約4倍に達している。こうした経済データから推測すれば、新型コロナウィルスの感染拡大が及ぼす影響は、中国国内のみならず、世界経済にも大きな影響を与えることを覚悟せざるを得ない。
日本との関係においても、輸出全体に占める中国向けのウェイトは2003年の12.2%から19年の19.1%まで増大しているほか、中国から日本を訪問するインバウンドの旅行客は同45万人から960万人と約21倍に増加した。しかもこの間の賃金上昇と人民元高により中国国内の平均賃金がドルベースで7倍以上に増加したことから、中国人の購買力は想像もつかないほど高まっている。また、中国国内市場での乗用車販売台数は03年の202万台から19年は2,143万台と10.6倍に増加した。そのうち日本車販売台数は457.5万台と、同年の日本国内の販売台数519.5万台(軽自動車191万台を含む)に迫ってきている。
数量面からみても日本と中国との貿易投資関係の拡大、中国国内市場への依存度の上昇は顕著である。加えて、この間に中国企業の技術力が格段に向上したため、日本企業の中国製品への依存度も質量両面において格段に高まっている。
もはや日中両国は経済活動においては国境がないと言っても過言でないほど相互に緊密に連携し合っているため、日本経済へのインパクトも計り知れない。2011年の東北大震災の時は、東北地域の日本企業が長期の生産停止に追い込まれた結果、中国国内の多くの工場が突然の部品調達難から操業停止を余儀なくされたが、今は逆に、日本国内の多くの工場が一時的な操業停止を余儀なくされている。その要因は、対中輸出の停滞、中国からの部品調達難など様々である。
影響は製造業に留まらず、中国人旅行客に大きく依存するホテル、飲食、小売りなどサービス産業面でも大きなダメージを受けている。これは2003年のSARSの当時には思いもよらなかったことである。
こうした観点に立てば、中国の新型コロナウィルスの感染拡大は日本自身の問題でもある。日本としては政府・企業を挙げてこの感染の早期終息に全面協力することが日本経済の安定確保のために極めて重要である。
5.今後の日中関係への影響
日本からの各種支援に対する中国人からの高い評価
今回の新型コロナウィルスの感染拡大が深刻化した直後から、日本は政府・企業・個人とも中国に対して様々な支援の手を差し伸べ続けている。
1月26日、茂木外務大臣が中国の王毅外相に対して、感染の拡大を防ぐために協力できることがあれば全力で支援すると伝えた。28日には自民党の二階幹事長が、「お互いに日常活動で友情を交わしている国に何かがあれば、隣のうちが何か火災に見舞われたとか、急病で困っておられるとかいう時に助けに行くという、そういう気持ちと同じです」と語った。
また、イトーヨーカ堂が成都市に対してマスク100万枚を寄付したほか、ツムラは在日本中国大使館に500万円の義援金を寄付した。多くのドラッグストアでは、マスクを買い求める中国人に対して、「加油中国(がんばれ中国)」「加油武漢(がんばれ武漢)」といったメッセージを書いた看板を売り場に掲げた。さらには、日本人の小学生たちがビデオメッセージを添えて武漢にマスクを送ったほか、街中では蜂蜜を配って中国への義援金を募っていた。
日本各地で様々な人たちが中国のことを自分の国のことのように心配し支援に動いている様子が、SNSを通じて中国国内の多くの人々に毎日伝えられている。その都度中国の友人たちが筆者にその情報を送ってくれる。その伝播力はテレビよりはるかに速く広範である。
日本人は地震、津波、台風、豪雨、洪水など、自分たち自身が様々な災害に見舞われることが多く、その都度支援の手を差し伸べてくれる人々の温かい心に深い感謝の想いを抱いてきた。それだけに人の痛みも深く理解し、自分にできることを何かしてあげたいと思う人が多い。それが今回のこうした中国の人々に対するごく自然な形での支援につながったと考えられる。
この間、米国は中国人の入国を拒絶し、欧州諸国は中国と自国との間の航空便を止めた。台湾は自国内のマスクを確保するため、中国向けのマスク輸出を禁止した。こうした海外の中国に対する厳しい対応が続く中で、日本の政府・企業・個人からの心のこもった温かいメッセージ、マスク・義援金の寄付など、日本人の思いやりあふれる姿勢はとくに際立っていると中国の友人たちが伝えてきている。
こうした状況がこのまま続くとすれば、中国人の間で日本への感謝の想いとともに日本ブームが一段と高まることは想像に難くない。
その時に備えて、日本企業は中国国内市場での自社製品・サービス需要の急拡大、中国向け輸出の急増、インバウンド旅行客の大幅増加等を事前に予想し、そのビジネスチャンスをしっかりとつかむことが重要である。
特に今年は習近平主席の訪日も予定されている。訪日の時期はこの新型コロナウィルス問題が終息するまで最終決定することは難しく、延期される可能性も十分あると考えられる。それがいつになるにせよ、習近平主席が訪日する際には、日本の各層からの支援に対する感謝の気持ちが熱く伝えられることになるはずである。それは習近平主席の訪日を一段と意義深いものとすることが期待される。
人の悲しみを自分の悲しみとし、人の喜びを自分の喜びとする。この慈悲の心は日中共通の精神基盤である。自分が苦しい時ほど人の思いやりはありがたい。
今回の新型コロナウィルス問題で日中の心の絆が強まった。作為ではなく、自然な心の働きがこの結果を生んだ。こうした真心のこもった相互信頼関係こそが日中関係にとって最も大切なことであることを改めて認識できたように思う。