メディア掲載  グローバルエコノミー  2020.02.10

安倍官邸もアンタッチャブルな農業保護政策:安倍首相は自民党総裁選を含め毎年選挙をしている状態で農林族の意向を無視できない

論座 に掲載(2020年1月19日付)

バブルの畜産経営と非正規雇用の人々

 今回の日米貿易協定で農家が影響を受けるとして、安倍政権は畜産を中心にTPP対策に上乗せした対策を実施する。影響がないのに対策が打たれるのは、6兆100億円を投じたウルグアイ・ラウンド対策の繰り返しである。

 日米貿易協定やTPP11で多少関税が下がったとしても農家は影響を受けない。

 すでにTPP11が発効して1年以上が経過し、オーストラリアやカナダから輸入される牛肉の関税は38.5%から25.8%へ10%以上も削減されている。しかし、国内産の牛肉や子牛の価格は歴史的な高水準にあり、関税削減の影響はほとんど見られない。和牛主体の国産牛肉と輸入牛肉とでは品質の差から一定の棲み分けが行われているからである。

 しかも、酪農や養豚などの大規模経営では農家所得が4000万円を超えるなど、畜産経営はバブルと言ってよいほど絶好調である。

 他方、就職氷河期の世代は未だに50万人が非正規雇用だと言われている。

 厚労省が10名の正規雇用を募集したところ190倍の応募があった。低い賃金で苦しい生活を強いられている非正規雇用などの人がいるのに、国民の平均年収の数倍以上の所得を持つ農家に、国民納税者の負担で補助金を交付することが適当なのだろうか?

 狭いアパートでカップラーメンをすするしかない人がいるのに、ポルシェに乗ってフォアグラやキャビアを食べているような人の所得をさらに上げることに懸命になっている政治というのは、どこかおかしいのではないだろうか?


農水省がひねり出した畜産を保護する理由

 前3回の記事(『あなたの知らない農村~養豚農家は所得2千万円!』『続・あなたの知らない農村~酪農は過重労働?』『農家はもはや弱者ではない』)で述べたように、日本の畜産は輸入された穀物を飼料とする。草地から作られる牧草を飼料にしていた北海道の酪農でも、輸入穀物への依存度が高まっている(飼料費のうち購入した穀物等の流通飼料費の割合は7割を超えている)。

 畜産を保護する理由は、食料安全保障、環境保全、国民の健康・生命の維持のいずれの観点からも、ないと言ってよい。国民経済の観点に立つと、外部不経済効果を持つ畜産は、保護や振興するのではなく、課税し縮小しなければならない。

 農林水産省のホームページから、同省が畜産を保護する必要があると考えている理由を一つだけ見つけた。「世界的に牛肉需要が急激に伸び、関係者からは、いつまでも我が国が思うままに牛肉を輸入出来る環境になく、買い負けがおきるという声。このため、国内生産をしっかりと振興することが重要」というものだ(こちらの18ページ参照、豚肉にも全く同じ文章が29ページに存在)。

 しかし、これは国民を愚弄している。

 関税があるため国際価格よりもはるかに高い牛肉・豚肉を買わされている日本人が、国際市場で買い負けするはずがないではないか。国際価格よりも安いコスト・価格で供給できてこそ、このような主張は成り立つ。それなら関税など要らない。

 また、日本の畜産物はアメリカなどからの輸入穀物の加工品だ。国際市場で穀物を買い負けたら、日本の畜産自体成り立たなくなる。

 農林水産省はいつか国際価格が上昇して食料危機が起こると主張する。しかし、2008年穀物価格が3~4倍になったときに、何が起きたのだろうか。

 フィリピンなどの所得の低い途上国では、食料が買えないという危機が起きた。しかし、海外に穀物供給を大幅に依存しながら、所得水準が高い日本では、コメやパンを手に入れるために行列を作るという事態は起きなかった。このとき食料品の消費者物価指数は2.6%上がっただけだった。


国民負担を高める農政

 農政の問題はこれだけではない。畜産振興のための政策自体が、国民利益の増進とは逆の方向に働いているのである。

 通常の場合、医療政策に見られるように、納税者として負担をすれば、国民は安く財やサービスの提供を受けられるはずである。ところが、畜産の場合、巨額の財政資金を投下しながら、国民の購入する畜産物価格は逆に高まっているのである。

 歴史的な高水準にある牛肉だけでなく、酪農家が販売する生乳の価格(総合乳価)も2007年度のキロ79.2円からほぼ一本調子で上昇し2018年度は103.4円をつけている。日銀から表彰されそうな、デフレとは別世界の右肩上がりの価格上昇である。

 しかし、生乳価格が上昇すると、牛乳や乳製品の価格も上昇する。関税が削減される中で価格を下げて国際競争力を上げなければならないのに、ベクトルは全く逆方向を向いている。また、消費税の逆進性にあれだけ大騒ぎしたのに、これを問題視する政治家はいない。

 他方で、一戸当たりの規模拡大によってコストは低下している。このため、価格に販売量を乗じた売り上げからコストを引いた所得は増加する(この関係については先ほどの農林水産省資料の9ページを参照)。

 政府資料によると、農業全体でも、2014年から2017年にかけて、売上高に相当する農業総産出額は8.4兆円から9.3兆円に9000億円増加し、生産農業所得は2.8兆円から3.8兆円に同じく9000億円増加しているという。農政は農業所得の向上に貢献しているとアピールしたかったのだろう。

 しかし、所得は売上高からコストを引いたものなので、売上高と所得の増加が等しいということは、買う人、つまり消費者の負担によって所得が増えたことを意味している。国の政策の効果と農業の努力によってコストが下がり、所得が増えたというものではない。

 農家所得を上げたのは消費者であって、国の政策は何の貢献もしてない。なお、2014年の水準が低いのは、この年米価が大幅に低下したからである。

 また、1月15日に公表された2018年の統計では、農業総産出額は2184億円(2.4%)、生産農業所得は2743憶円(7.3%)、それぞれ減少した。政策の効果はなくなったようである。

 選挙で選ばれた国会議員も国家公務員も"国民全体の奉仕者"のはずである。しかし、農林族議員や農林水産省は自分たちの業界のことしか考えられなくなっている。

 以前はそうではなかった。農業・畜産を支援するのは、コストや価格を下げて国際競争力をつけさせるとともに、国民消費者に安く食料を安定的に供給するためだという目的や使命があった。農家の所得さえ上がれば他の国民はどうなってもよいのだという偏狭な農政ではなかった。

 今の畜産政策の目的は、畜産農家の所得を上げることだけである。その所得が国民の平均をはるかに上回るようになったので、畜産政策は目的を達成したので止めてもよいと思われるが、止められない。それが選挙のために必要だと思われているからである。

 しかし、皮肉なことに、これだけ対策を講じても、兼業主体の米作農家と異なり、もともと専業主体の畜産農家の戸数は少ないうえ、毎年3~6%ずつ減少している。

 選挙対策として、実は効率は悪いのだ。


3兆円を無駄にした牛肉自由化対策

 関税をかけることによって国内産業は保護されるが、消費者は高い値段を払わされる。

 牛肉関税収入を特定財源とし、牛肉自由化に対応するための生産性向上を名目として、これまで3兆円近い巨額の予算が、肉用子牛等対策として投入されてきた。

 この政策は、関税で牛肉価格を高く維持しながら、それで得た関税収入で畜産農家に補助金を払うというものだ。畜産農家は高い価格と補助の二重の保護を受けることになる。

 本来この対策は、消費者の負担で畜産の合理化を進め、いずれは価格の低下により消費者に利益を還元しようとするものだった。しかし、巨額の財政資金が投入されながら、畜産の合理化は一向に進まなかった。

 その典型がこの対策の柱となった肉用子牛生産者補給金制度である。この制度では、子牛農家に再生産を保証した保証基準価格と、合理化を進め、将来その価格に収れんするよう努力するとして定められた合理化目標価格の二つの価格が設定された。

 制度としては、生産性を向上させ、いずれは保証基準価格が合理化目標価格に一致することを予定していた。しかし、制度を実施して以来、保証基準価格は合理化目標価格に収れんするどころか、遠ざかってしまっている。

 2019年度第2四半期現在の和牛の子牛価格は77万円である。これは2018年までの合理化目標価格27万7千円はもちろん、保証基準価格33万2千円の倍以上の価格である。保証基準価格さえ大きく上回っているのだから、合理化目標価格に、接近することは全く期待できない。合理化は実現しなかった。


劣化する畜産対策

 肉用子牛生産者補給金制度では、子牛の市場価格が保証基準価格を下回った時に、保証基準価格と市場価格との差を補てんすることになっていた。しかし、BSE発生時を除いて、市場価格が常に保証基準価格を上回っていたため、補てん金が農家に支払われることはなかった。

 しかも、自民党の"農政新時代"は、「保証基準価格を現在の経営の実情に即したものに見直」すと主張して、2019年保証基準価格を54万1000円に、合理化目標価格を42万9000円に、一気に上げてしまった。保証基準価格を上げる意図は、補てん金の発動基準を緩めて農家に補てん金が支払われやすくしようというものである。

 さらに、今回TPP対策として、肉牛の肥育農家に対しても、価格保証のための補てん金を法制化したうえで拡充した。これは、従来予算措置として講じられてきたものである(豚肉に対しても農家負担を縮小し財政負担を増加したうえで、同様な対策を法制化した)。法律にすれば、半永久的に制度は維持され、財政支出を続けなければならない。

 これは本来やってはいけない対策だった。肉用子牛生産者補給金制度は「枝肉価格が下がると、肉牛の肥育農家は子牛の価格を下げようとするだろう。存分に下げてよい。そうなると、子牛農家の経営が厳しくなるので、保証基準価格と市場価格との差を子牛農家に補てんしよう」という趣旨だった。

 しかし、肉牛の肥育農家に対する補てんは、コストである子牛価格が上昇するときも、行われる。枝肉価格が下がって、本来子牛価格が下がるはずなのに、下がらない。子牛農家に利益が生じる。その高い子牛価格で肥育農家のコストが上昇すれば、枝肉価格との差を補てんして肥育農家の経営を安定させる。

 しかし、このような財政措置を行えば、子牛農家に再生産が可能となるはずの保証基準価格を上回る不当な高利潤が発生したままとなる。経済学的により正確に言うと、この肉牛の肥育農家に対する補てん政策があるから、枝肉価格が下がっても子牛価格が高止まりするのだ。

 ウルグアイ・ラウンド対策が公共事業を中心としたバラマキなら、自民党の"農政新時代"は、畜産農家への新たなバラマキである。このほかにも、様々な助成策が講じられている。

 しかも、関税の削減期間が長期に及ぶというので、基金を積んで対応するという。

 しかし、畜産関係の基金は、これまで独立行政法人農畜産業振興機構によって多数作られ、2010年度と2012年度の二回にわたり、会計検査院によって、その無駄使いを指摘されたものである。会計検査院の調査では、60のうち10の基金が、事業を全く行わないで、職員の給料などの事務費だけを支出していたという。

 基金の裏の意図は、農林水産省職員の天下り対策だろう。


TPPに便乗した酪農政策

 生乳は飲用向け、バター、脱脂粉乳向けの加工原料乳、生クリーム等向け、チーズ向けなどの用途に向けられ、それぞれに価格が異なる。同じ品質なのに1物多価なのである。これを加重平均した農家手取り乳価を総合乳価という。

 1965年に作られ、酪農対策の柱となっている加工原料乳生産者補給金等暫定措置法、いわゆる不足払い法(加工原料乳に補給金を支給)は、北海道がバター、脱脂粉乳向けの加工原料乳地域から市乳(飲用乳)供給地域になるまでの暫定措置だった。

 飲用向けと比べ、加工原料乳に乳業メーカーが支払える乳代は少ないので、規模の大きい北海道の生産者でも、その価格では再生産できない。このため、政府が不足払い(補給金)を乳業メーカーが支払える乳代に加算することによって、農家に一定の価格を保証し、北海道の酪農が再生産できるようにしたのである。

 当初農林水産省は5年くらいの期間を予定していたが、それが半世紀以上も続いている

 2014年ころのバター不足は、ようやく北海道が加工原料乳地域ではなく、市乳供給地域になりつつあることを意味している。バター、脱脂粉乳向けの加工原料乳は、1995年度の237万トンから2019年度には148万トンに4割も減少した。

 生クリーム等(飲用牛乳とほとんど同様な成分調整牛乳を含む)向け127万トンはバター、脱脂粉乳向けの加工原料乳に匹敵しつつある。加工原料乳が生乳生産の半分以上を占める地域を加工原料乳地域として、不足払い法は保護の対象としてきたが、生クリーム等向けが増加している今日、北海道はもはや加工原料乳地域ではない。つまり、"暫定措置法"としての不足払い法は、すでに目的を達成したはずだった。

 北海道釧路港と茨城県日立港とを20時間で結ぶ高速大型船2台によって、毎日、大量の北海道の生乳が関東・中京圏に移送されている。過去最大だった2003年で生乳53万トンである。

 これ以外に、北海道でパッキングした飲用乳が都府県に移出されている。こちらは、2013年で過去最大規模の33万トンである。北海道の生乳の2割以上は、船によって飲用向けに都府県に移送され、北海道は都府県への市乳供給地帯となりつつある。

 バター不足は悪いことではなく、不足払い法が目標とした事態が達成されつつあることを意味している。北海道の加工原料乳生産が減少していけば、不足払い額が減少するだけでなく、バターなどの乳製品に対する高関税も不要となる。

 ところが、不足払い制度は廃止されるどころか、TPP対策として強化された。加工原料乳の対象に生クリーム等向けも加え、不足払い制度の対象に追加したのである。生クリーム等向けも加工原料乳に加わるので、加工原料乳地域でなくなった北海道が再び加工原料乳地域となる。しかし、生クリーム等は今回自由化されるわけではない。いわゆる"焼け太り"である。

 これによって北海道が再び加工原料乳地域となることは、"暫定措置法"である不足払い法を廃止するのではなく、将来にわたって維持できる根拠となった。与党農林族や酪農団体の利益が守られただけではなく、農林水産省は酪農政策についての権限を維持・強化できた。

 しかし、国民の負担軽減のためには、もっと良い方法がある。それは輸出である。

 北海道から関東に生乳等を移送できるのであれば、九州から上海にも輸送できる。中国に生乳や飲用牛乳を輸出できるなら、安い乳価しか払えないバターや脱脂粉乳を日本で作る必要はない。これまで加工原料乳としてバターや脱脂粉乳に仕向けていた分を含めて、北海道から都府県に生乳等を移送し、都府県で飲用牛乳に処理できなかった余剰分を、九州から中国に輸出すればよい(北海道の生乳等は間接的に中国に輸出されることになる)。

 北海道は市乳供給地帯となる。不足払い制度は廃止でき、納税者負担は消滅する。バターや脱脂粉乳の関税は撤廃して、オーストラリア、ニュージーランド、フランスなどから輸入すればよい。


日米貿易協定を理由にした上乗せ対策

 農林水産省のホームページで畜産対策を調べると、生産や糞尿処理等のための機械・施設への補助、草地整備、和牛受精卵の増殖、負債対策など、畜産農家が何かしようとすると、必ず補助事業を見つけられるのではないかというくらい盛沢山である。

 しかも事業費のうち補助金で賄われない部分については、長期低利(実質無利子)の融資を受けることができる。

 これに加えて、今回日米貿易協定対策として、酪農家や肉牛農家が飼育する牛の頭数を増やすと、一頭当たり乳牛で27.5万円、和牛で24.6万円のお金が交付されることとなった。ここまでくると、もう何でもありである。


無抵抗な財政当局と安倍政権

 かつては、財務省は予算配分に大きな権限を行使した。いくら農業団体が要求し、農林族が強力に応援しても、財務省の課長補佐クラスの担当者がノーというと認められなかった。

 力関係が大きく変化したのは、ウルグアイ・ラウンド対策だった。

 ウルグアイ・ラウンド交渉自体をまとめたのは、非自民の細川内閣だった。これには80万トンのコメの部分開放も含まれていた。この交渉では、一粒たりともコメは入れないというのが日本の政治的なスローガンとなり、その趣旨の国会本会議決議が4度も行われていた。

 安倍晋三氏もコメの部分開放に抗議をして国会で座り込みをしている。

 その後政権に復帰し、農家票を強く意識した自民党が、コメの部分開放に応じた細川政権との違いを強調するために、財務省(当時は大蔵省)からむしり取ったのが6兆100億円のウルグアイ・ラウンド対策だった。

 地盤が不安定な若手議員には、農家票を確保しなければ、次の選挙に落選するという危機感があった。この時自民党には、暴走する若手の農林族議員を抑え込める力を持った議員はいなかった。いったん野党に転落したため、長期政権時代の党内の権威と秩序が壊れてしまっていたのだ。

 財務省は野党から与党に復帰した自民党の風圧に抵抗できなかった。農林水産省にいた我々は理屈もなく数字だけ積みあがるウルグアイ・ラウンド対策費を見ることになった。これ以降、強かった財務省の力は目に見えて弱くなった。

 現在の安倍政権では、官邸がリーダーシップをとっているようだが、農業政策に関する限り、選挙を気にする農林族議員の意向をそのまま実施している。安倍氏自身、自民党総裁選を含め毎年選挙をやっているような状態なので、農林族議員の意向を無視できない。『参議選を左右する一人区、鍵を握る農家票』(2019年7月8日付)で述べたように、小選挙区制や一人区では農家票がキャスティング・ボードを握ってしまう。

 安倍首相は減反廃止というフェイクニュースを流し、ダボス会議に出かけて、40年間歴代の首相の誰もできなかったことをしたのだと大見えを切った。しかし、減反政策の見直しを行ったのは、農林族議員、農林水産省と農協の3者であり、安倍首相はほとんどこのプロセスに関与していない。

 安倍首相はその勇ましい発言からすると、リーダーシップを発揮して嵐の中を突進するというタイプのように思われるが、実際には、小泉純一郎氏と異なり、他者に任せる調整型の政治家である。


唯一取り組んだ農協改革もかすり傷程度

 唯一安倍政権が既得権に手を入れたように思われるのは農協改革である。

 しかしこれは、農家だった父親が農協にいじめられた経験を持つ菅官房長官が、同じく農協に反感を持つ農林水産省の局長に行わせたものである。この改革も農林族議員、農林水産省と農協の3者で協議してまとめられたもので、結果的には農協にかすり傷を負わせた程度で、農協の独占的な経済力や政治力を排除するようなものとはならなかった。現に、農協の行動はほとんど変わっていない。

 また、農協にしか認められていない准組合員制度(農家でない人も組合員となって住宅ローンや共済など農協のサービスを受けられる)が見直されれば、農協に大きな打撃を与えることになる。しかし、これは先送りされたうえ、二階幹事長以下自民党の議員は農協の意向を尊重するという見解を示しているので、これも実現することはない。安倍首相も、これに異を唱える様子はない。

 官僚人事について大きな権限を持つようになった官邸には、財務省も逆らえない。むしろ、森友事件に見られるように、忖度するような状況である。  その官邸が農林族議員の意向をそのまま採用してしまう結果、財政的な規律を失った対策が講じられることになる。唯一財務省がメンツを保させてもらったのは、TPP等対策を本予算ではなく、一時的な支出という意味合いのある「補正予算」で計上したことだろう。

 農林族議員は農家所得の向上を叫ぶが、1961年の農業基本法が目標とした"農工間の所得格差の是正"は、十分すぎるほど達成された。しかし、それは、米作では兼業化、畜産では輸入穀物依存によって実現されたものだった。農業基本法の立案者は、トウモロコシの関税をゼロにして、いびつな畜産にしてしまったことを悔やんでいた。

 ここまで来てしまうと、もう「狂瀾を既倒に廻らす」ことはできないのだろうか?

 戦前農政の大御所と言われた人物に石黒忠篤がいる。小作人解放に尽力した石黒忠篤は、農本主義者であると言われた。その石黒の農本主義は、1940年農林大臣として1万5000人の農民との対話集会で食料増産を懇請する中の一節に現れている。

 農は国の本なりということは、決して農業の利益のみを主張する思想ではない。所謂農本主義と世間からいわれて居る吾々の理想は、そういう利己的の考えではない。国の本なるが故に農業を貴しとするのである。国の本たらざる農業は一顧の価値もないのである。私は世間から農本主義者と呼ばれて居るが故に、この機会において諸君に、真に国の本たる農民になって戴きたい、こういうことを強請するのである。


 石黒がいう国の本たる農業とは「国民に食料を安く安定的に供給する」という責務を果たす農業であった。当時は農家も貧しかったが、労働者も貧しかった。米価を上げて利益を得ようとする地主階級に対して、国民消費者のために一貫して反対の立場をとっていたのが、柳田國男や石黒忠篤の農林省だった。

 残念ながら、農林水産省は志を失った。今は、食料供給に不可欠の農地を転用して莫大な利益を得たり、高い食料価格を国民に負担させたりして、自分の所得さえ上がればよいという、一顧の価値もない国の本たらざる農業になっていないだろうか。

 理念も論理も失い、選挙対策の手段となった農政は、漂流するままに身を委ねるしかないのだろうか。このままでは、消費者や国民という視点は農政には戻ってこない気がする。