日本の国際評価と実態のギャップ
英国のEU離脱、米国のドナルド・トランプ大統領の就任は、貧富の格差拡大等を背景に、これまで国家の運営を担ってきたエリート層に対する信頼が揺らぎ、社会が分裂する傾向が強まったために起きた現象である。
これらに象徴されるように、最近、欧米社会の不安定化が深刻になっており、その解決の糸口すら見えない状況が続いている。
これに対して、日本は相対的に見れば、政治経済とも安定を保持していることから、先進国の中では最も安定した国であるとの評価が高まっている。
とは言え、日本政府や日本の経済界がこの数年間で目覚ましい業績を成し遂げて現在の安定した状況を実現したわけではないというのは多くの有識者の共通認識であろう。
安倍晋三政権が長期安定政権となっているのは大きなプラス要因であるが、それも野党が頼りないため他に選択肢がなく選ばれているとの見方が多い。
政治の面では、世界中から財政赤字の累積が不安視されているにもかかわらず、その主因である社会保障問題への取り組みすら軽視され、森友・加計問題、桜を見る会などの不正問題ばかりがフォーカスされているように見える。
最近になって、年金支給額、高齢者医療給付、学校教育予算拡充などの議論が出てきたのは良い兆しであるが、日本が直面している深刻な問題の抜本的解決には程遠い。
経済界を見ても、東証一部上位30社により構成される株価指数「コア30」は1998年4月に比べて約2割下落しているなど、日本を代表するトップ企業の経営状況は低迷している。
大半の大企業の経営者は、イノベーションや海外市場での新規市場開拓へのチャレンジ姿勢が後退し、世界のトップランクに残る企業が大幅に減少した。
それにもかかわらず、日本が安定していると評価されている原因は、貧富の格差が拡大せず、社会全体のモラルが安定していることが大きな要因の一つである。
それを支えているのはリーダー層よりむしろ中間層の努力の積み重ねによるものが大きい。
学校教育現場の深刻な現状
日本の国を支えるのは人材であり、中間層によって支えられている社会の安定の基礎もそこにある。
しかし、最近の報道では、幼児虐待、ストーカー、陰湿ないじめ、セクハラ・パワハラなど社会のモラルの低下が目立つ。
警察や役所も対応を迫られているが、それらの問題を引き起こす根本的な原因が解決されないまま対症療法を続けても状況が改善するはずがない。
社会のモラル低下は日本の安定を支える人材の質の低下につながり、長期的には日本の経済社会の不安定化と衰退を招く深刻な問題となることは明白である。それはすでに深刻化し始めていると言うべきかもしれない。
こうした問題の根本的な解決には学校現場における道徳教育の拡充による道徳意識の向上と実践の促進が必要である。しかし、その学校教育現場の状況がここ数年、急速に悪化している。
文部科学省が2019年10月に公表した統計データによると、不登校児童生徒数がこの数年間に急増しているのである。
【図表1】不登校児童数の推移(単位・万人)
【図表2】不登校児童数の全児童数比率の推移(単位・%)
(注)ここで不登校児童とされている定義(同省ホームページより抜粋)は、年度間に連続又は断続して30日以上欠席した児童生徒のうち不登校を理由とする者である(調査対象は、国公私立小・中学校)。不登校とは,何らかの心理的,情緒的,身体的,あるいは社会的要因・背景により,児童生徒が登校しないあるいはしたくともできない状況にあること (ただし、病気や経済的理由によるものを除く)をいう。
2018年度を5年前の2013年度と比較すると、不登校児童数は小学校で85.5%増、中学校で25.4%増と小学校の急増が目立つ(図表3参照)。
ただし、2018年度の不登校児童の比率は小学校が0.7%であるのに対して、中学校が3.65%と中学校の問題の方が深刻である。
すなわち、元々中学校で深刻だった不登校の問題が小学校にも広がってきているというのが最近の傾向である。
その不登校の要因を見ると、友人関係やいじめといった学校における人間関係に課題を抱えているという要因も大きいが、それ以上に無気力、不安といった要因の急増が目立っている。これは小学校、中学校に共通した特徴である。
こうした状況に対して、学校内においても、養護教諭、スクールカウンセラー、相談員など専門的な指導を受ける人数を増やすなどの対応が採られているが、それにもかかわらず、問題は急速に深刻化しているように見える。
【図表3】不登校の主な要因(2013年度と2018年度の比較)
(注)学校における人間関係の2013年度の数値は、いじめ、いじめを除く友人関係の問題、および教職員との関係をめぐる問題の合計
統計データを見る限り、こうした問題への対症療法的対応があまり効果を持たないことは明らかである。
問題を根本的に解決するには、幼稚園・保育園、小中学校における道徳教育の大幅な強化による児童生徒自身の生きる力、他者への思いやりなど人間性の向上が極めて重要である。
抜本的解決策の具体事例
一部の地域では、こうした問題に真正面から取り組んでいる。日本を代表する教育先進地域である東京都杉並区では、幼保小連携教育を推進しているほか、「就学前教育支援センター」を設立し、就学前の段階から、基本的な生活習慣の習得、心身の健全な発達、自主性や自己規律の醸成、思いやりや協調性の育成など人格の向上に注力している。
同区では2006年度から2010年度にかけて、「杉並師範館」という独自の教員養成学校を区民の負担で設置し、道徳教育に基礎を置いたカリキュラムにより優秀な教員を育成した。
現在も「杉並師範館」を卒塾した約70人の教員(杉並区立小学校教員総数は約1100人)が、同区教育委員会の積極的な取り組みと一体となって、区立小学校を中心に同区の教育の安定基盤をしっかりと支えている。
筆者も「杉並師範館」の塾長補佐として2年間、その運営に携わった関係で、今でも毎年定期的に開催される卒塾生支援の場に参加している。
学校教育現場における道徳教育の大切さと意義の大きさを深く認識した人材が第一線で活躍することの重要性を毎回実感させられる。
深刻化する教育現場の問題に対する対症療法も短期的には実施せざるを得ないが、長期的根本的解決策としては、道徳教育の充実による児童生徒の人格の向上を図ることが最も有効な方法である。
道徳教育の再構築による人材育成こそ令和時代の日本復活のカギ
道徳教育の再構築は国家100年の大計に直結するものであり、総理大臣が先頭に立って主導し、国民、政治家、企業経営者、学者すべての問題意識を改めさせることが必要である。
国家・企業の大改革においては、撥乱反正・創業垂統・継体守文が進むべき王道である。
撥乱反正とは乱を治めて正しい状態に返す、つまり旧態依然としたものを一掃することである。
創業垂統とは新たな組織や仕組みを創造する時に、その後長期にわたり伝統として受け継がれるような、しっかりとした軸を築くことである。
そして、継体守文とはその伝統をしっかり受け継ぎ、国や企業の独自の長所を守りながら醸成していくことである。
そうした組織改革の基本に基づけば、従来の幼保小中高大の教育制度の枠組みを、一旦ゼロベースで見直し、まずは目指すべき人材育成の在り方から抜本的に考え直すべきである。
そのためには、明治維新以来、現在に至るまで、太平洋戦争、日中戦争など、日本のリーダー層が引き起こした歴史上の重要な問題に真正面から向き合い、そうした失敗を繰り返さないために必要な教育制度・人材育成の仕組みについて考えることが重要である。
過去における重大な意思決定が引き起こした結果に対する反省に立ち、これからの日本をどのような国として発展させるのかという根本問題について、真剣に議論を重ねることが不可欠である。
現在の学校教育ではそうした国家・社会の根本問題に関する議論の機会が極めて少ないのは大きな問題である。
対米・対中戦争は、回避する方法、あるいは改善策があったのではないか。少なくとも、特攻隊、各地での玉砕、沖縄での一般市民の犠牲などは防ぐことができたのではないか。
こうした過去の重大問題と正面から向き合い、反省し、二度と似たような失敗を繰り返さないためになすべきことを考えるのが極めて重要である。
そうした問題を考える時に必要となる心の軸は、「至誠惻怛」(真心をもって困っている人を気の毒に思い、何としても救おうと思う心)、「文思安安」(思いやりが安定的に穏やかにあり続けること)といった、相手の心に寄り添い、他者のために自己の最善をつくす姿勢である。
過去の歴史と真正面から向き合う時にこそ、心の軸のあり方が問われるのである。
同時に、明治維新以降採用された、帝国大学を中心とするピラミッド型教育制度に基づく人材育成がもたらした弊害、すなわち西洋科学を学ぶことに重点を置き過ぎたことにより、国家の根本的なあり方を深く考えられる人材が少なくなったことへの反省も必要である。
明治維新を遂行した志士のリーダー層の志の高さと的確な情勢判断に比べ、その後の人材の質の低下はしばしば指摘されている。
最近の欧米諸国の社会分裂と政策の迷走の根本的原因も併せて考え、そこから今後100年の日本を支える教育制度を再構築し、道徳教育に基礎を置く人材育成システムを実現するべきである。
令和の時代の始まりに立って、100年先の国家像とそれを支える道徳教育の在り方を考えるには、過去の歴史を振り返り、過ちを誠実に反省し、根本的長期的視点から日本の在り方を考え直すことが必要である。
対症療法を繰り返しても、根本問題から目を背けては日本復活の日は来ない。