コラム  国際交流  2019.12.04

「東京=ケンブリッジ・ガゼット:グローバル戦略編」第128号(2019年12月)

小誌は大量の資料を網羅的かつ詳細に報告するものではない-筆者が接した情報や文献を①マクロ経済、②資源・エネルギー、環境、③外交・安全保障の分野に関し整理したものである。紙面や時間の制約に加えて筆者の限られた能力という問題は有るが、小誌が少しでも役立つことを心から願っている。

 11月4日、米国国家安全保障AI委員会(National Security Commission on Artificial Intelligence (NSCAI))が中間報告書を発表した(本稿下段PDF2ページ目「2.情報概観」を参照)。100ページの報告書を読むと、米国が中国を警戒視しつつ、AI技術での開発競争を勝ち抜こうとする意志を明確に感じとることが出来、友人達との情報交換に忙しい毎日だ。

 同報告書は中国を"our most serious strategic competitor"と呼び、AI分野での中国が"will challenge America's military and economic position in Asia and beyond"と記して警戒心を強めている。同報告書の公表直前、ポンペオ国務長官もハドソン研究所で行った講演の中で"China threatens America's national security by developing asymmetric weapons"と述べている。国務長官の演説をはじめ米国側の警戒心に対する中国側の反応を概観すると、残念ながら両国関係は厳しく難しい状況が続くと予想される。

 中国海軍(PLAN)の雑誌(≪当代海军≫/Navy Today)7月号の掲載記事「军用人工智能: 以"智"屈兵(Military Artificial Intelligence: Defeat the Enemy with "Wisdom")」や「潜射无人机(Submarine-Launched Unmanned Aerial Vehicle)」を読めば、警戒心を強める米国の態度に納得する誘惑にかられてしまう。そして今、AIに関するMITと中国との関係に関する記事を思い出している―"Chinese AI Project Is under Review at MIT after U.S. Blacklists Company," Bloomberg, October 8.

 米中対立が懸念される中、日本は「対立なき競争("Competition without Conflict")」的なAIの開発を進めなくてはならない。日本はAIに注目して比較的早い時期から政策対応を行ってきた(PDF4ページ目の図を参照)。その経験を活かし、米中間を"とりもつ"国際的"人材"の育成が肝要だ。しかも単純な養成ではなく、如何なるタイプの人材を養成し、その人材を適切な部署に配置し如何にして優れた組織を築くのか。これこそが課題で、これについても冒頭の米国の報告書が参考になる(PDF4ページ目の図を参照)。



 AI技術とその利用範囲は政治経済的な制約と社会倫理的な制約を受けながらも一層発展するであろう。

 筆者の今の関心は倫理観に基づくAI技術の開発・利用である。AIの軍事利用を推進する米国でも、国防イノベーション理事会(Defense Innovation Board (DIB))が10月31日、提言書("AI Principles: Recommendations on the Ethical Use of Artificial Intelligence")を公表した。この点に関しては、欧州連合の専門家集団(High-Level Expert Group on Artificial Intelligence (AI HLEG))や10月23日に意見書を公表したドイツのデータ倫理委員会(Datenethikkommission)の友人・知人と意見交換している。

 今後も引き続きglobalizationが深化するとしても、世界が完全に同じ法制度・慣習・価値観を共有する状態(globalism)は実現しない(留意すべきはglobalizationとglobalismは違う現象)。従って全世界共通のAIを創るのは極めて難しいであろう。例えば、価値観に関して米国哲学学会長を長年務め、また日本の本―『東大教授が挑む AIに「善悪の判断」を教える方法』―の中にも言及されたアラスデア・マッキンタイア教授が、西洋社会でさえ全体で共有される価値観がないと述べている。経済分野においても筆者は「経済学者の学説・見解が統一される事はない」として、サミュエルソン大先生の言葉を引用し、全世界・全期間に通用する経済分析のためのAIを創ることは難しいと友人達に語っている―"Economists are supposed to never to agree among themselves. If Parliament were to ask six economists for an opinion, seven answers would come back."



 日本を代表する国際人の1人、緒方貞子氏がご逝去された。HarvardやMITの教授達が目を輝かせながら彼女の活躍を筆者に語りかけていたことを思い出している。

 完璧な英語と優れた現場感覚を具えられた緒方氏がCambridgeを訪れて講演をする時には学内でも最も尊敬されている教授がエスコートして、会場全体が知的雰囲気に包まれ興奮を感じたものである。誤解を恐れずに大胆な分類をすると、Cambridgeを訪れる日本人は①知的対話のために訪問される方と、②"物見遊山"的な訪問をされる方とに分かれる。①の時、研究者が喜んで集まり質の高い情報交換が実現する。②の時は関心を示す人が少なく、また英語が聞き辛いとなれば、対話の途中で退席する人まで現れる始末だ。かくして筆者は1904(明治37)年4月にHarvardで名演説を行った金子堅太郎伯爵が後年語った言葉に首肯した次第だ―語学力に加えて、現地における友人がいなければ、「僕は日本では元老だ、大臣だと言っていばってみたところが三文の値打ちもない」、と。また彼女の英文の著書(Defiance in Manchuria: The Making of Japanese Foreign Policy 1931-1932, 1964)は後年邦訳されたが、その論理構成と貴重な資料は当然のこと、それよりも流麗な英語に大きな驚きを感じている。そして彼女の遺志を継ぐ、若くて優れた国際感覚を持つ日本人の活躍を心から祈っている。

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「東京=ケンブリッジ・ガゼット:グローバル戦略編」第128号(2019年12月)