メディア掲載  エネルギー・環境  2019.06.17

ノードハウスのDICEモデル: ノーベル賞に輝いた「統合評価モデル」からパリ協定はどう見えるか

一般社団法人 日本動力協会 『エネルギーと動力』 2019年春季号 (第292号)に掲載

1. はじめに

 物理学者ファインマンはその教科書で、本当に重要な結論はハガキ1枚に収めることができる、と言った。そして実際に、古典物理学(量子力学を取り入れない段階の巨視的な物質の振る舞いのみを取り扱う物理学)の基礎方程式を、数本の綺麗な形にまとめて示した。これにはいくつも変種があるけれども、アインシュタイン方程式だけで書いてもよい:

 Rμν-1/2gμνR=Tμν

 これだと1本の式に、宇宙の膨張やブラックホールから、特殊相対論、電磁気学やニュートン方程式まですべてが美しく詰め込まれる。

 ただしこれは宇宙の高度な対称性を大事にする神の視点としてはよいけれど、浮世の現象を利用して経済活動を営もうという人類には使いづらい。そこで、空間がだいたい平らであるという近似をすると、電磁気学のマクスウェル方程式(4本)と力学のニュートン方程式(1本)で書くことができる。これで日常に目にする現象はほとんどが問題なく記述できる。

 このように、まとめ方に応じて、実体としての物理の世界はもちろん同じだけれども、異なる角度からの理解ができるし、人間にとっての使い勝手も変わる。どのような記号を用いるかという表記法も工夫されていて、簡潔明瞭に、そして直観的に理解できるようになっている。当時学生だった筆者は猛烈に感動した。

 さて、ここからが本題。2018年のノーベル経済学賞は、ウィリアム・ノードハウス氏に贈られた。氏の最も重要な業績は、「地球温暖化の統合評価モデル(Integrated Assessment Model、IAM)」であるDICEモデル(Dynamic Integrated Climate-Economy、気候と経済の動学的統合モデル)を初めて作ったことである。IAMはやがて今日に至る一大分野となって、地球温暖化問題の理解をおおいに促進した。なお同モデルの簡単な解説や入手・利用方法については、東大の杉山昌広准教授が解説しているので併せて参照されたい。

 筆者もノードハウス氏には恩がある。地球温暖化問題を理解するにあたっては、このモデルがおおいに役に立った。それは、物理学の基礎方程式のようにあらゆる検証に耐えるといった性質のものではない。むしろ、一定の考え方の枠組みを示すに過ぎない。だが、対象が地球温暖化というきわめて複雑な問題であるからこそ、簡潔な数式でいったんまとめておくことは、後々思考を重ねてゆくにあたって大変に有益なステップとなる。

 そこで本稿であるが、ノードハウス氏が作成したDICEモデルの解説をする。これは13本の式からなる。

 今日では多くのIAMモデルが作成され、それがIPCCのシナリオの作成に使われて、パリ協定での2度目標の合意にも大きな影響を与えた。近年になると、計算機の能力が上がったおかげで、モデルは大いに巨大化・複雑化している。しかしその基本構造は、ノードハウス氏のDICEモデルからほとんど変わっていない。したがって、DICEモデルを理解すれば、IAMではどのような議論をしているのか、IPCCのシナリオとはどのような計算に基づいて作成されているのか、よくわかるようになる。

 本稿の最後では、DICEモデルの試算結果の含意について述べる。DICEモデルができてから30年近くになるが、今日的な意義をまったく失っていないのは驚きである。


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