コラム  外交・安全保障  2019.06.11

米中戦略的競争と東南アジア:狭まる「安住の地」

8年振りの米中国防相揃い踏み

 シンガポールで開催されたアジア安全保障会議(シャングリラ・ダイアローグ)は、国防当局間の防衛外交の場として、また研究者やジャーナリストが地域安全保障を定点観測する場として、今年も世界の注目が集まった。昨年の会合では、米国と日本が本格的に推進をはじめた「インド太平洋戦略」がどう位置付けられるかが焦点だった(参考:拙稿「『インド太平洋戦略』と沈黙する日米豪印『クアッド協力』」)。今年は折しも苛烈さが増す米中貿易戦争によって両国の緊張が高まる中で、米中両国からいかなる安全保障政策の方向性が示され、外交シグナルが発せられるか、参加者の関心が注がれた。

 米国はパトリック・シャナハン国防長官代行の演説に合わせ、国防省が54頁にわたる『インド太平洋戦略』報告書を公表し、安全保障分野におけるインド太平洋への関与を展開する機会となった。同報告書は国家安全保障戦略・米国防戦略との一貫性を保ちつつ、インド太平洋における官民投資戦略(BUILD Act等)や議会の関心の高まり(アジア再保証法)など、米国の全政府的アプローチと予算措置を含むこと、経済安全保障の重要性を強調したこと、インド太平洋全域における米国のパートナー関係を整理したことに意義を見出すことができよう。

 他方で、マティス前国防長官の退任以降、思わぬ巡り合わせで長官代行を務めることになったシャナハン氏の演説と質疑応答はたどたどしく、米国の安全保障戦略や地域秩序に関する定見を示すには程遠かった。終盤では会場からの多数の質問から逃げるように「もう終わりにしよう」という姿勢を示してしまい、国防省・米軍という巨大組織を統率し、ホワイトハウスの権力を担う国防長官の姿として不安が残った。

 中国が8年前に梁光烈国防部長を初めて参加させた経験は、必ずしもポジティブな評価ではなかった(その顛末はこちらに掲載している)。同会議の発足以来、中国がランクの低い副参謀総長級を派遣するにとどめた背景には、欧米中心の会議運営への不満、中国への批判が集中する構図となりがちなこと、台湾からの出席者がいること、などがあったようだ。その間、中国政府は中国版シャングリラとも言われる「香山フォーラム」を主催し、オルタナティブな言論空間を作ろうともしていた。

 しかし主催者や中国側参加者に対するヒアリングを総合すると、今回の会合に中国が再び国防部長の参加を決定した背景には、①中国政府に地域・グローバルな秩序のナラティブを主導する機運が高まっている(例えば習近平主席のダボス演説、一帯一路フォーラムでの発言)こと、②米中対立の中で近隣外交・地域外交を強化する一環として東南アジアを位置づけていること、③魏鳳和国防部長自身が公開討論に自信があること、があると言われている。マティス前国防長官退任後の米国防省のリーダシップの揺らぎに、積極的に勝負を仕掛けようという狙いもあったかもしれない。

 魏鳳和国防部長は、第二砲兵部隊・戦略ロケット軍出身の戦略畑で、人民解放軍の中でも理論家とされる。演説内容は政府内で何度も推敲を経たものであろうが、その質疑応答は堂々としており、会場からの多数の質問内容をよく把握し、言葉を選びながら答える姿勢には貫禄が漂っていた。同演説の前半は信頼醸成・平和・協力を語り、米国を念頭に反グローバリズムや保護主義台頭の趨勢を批判した。演説の後半では一転して台湾・南シナ海に対する強い非妥協的姿勢を語り、特に台湾問題では「台湾を中国から分裂させようとするなら、中国軍は戦争も一切の代償もいとわない」とした。

 尚、中国の核戦略を熟知する魏鳳和部長に、私自身も聞いてみたいことがあった。会場で手を挙げ「米露がINF条約から脱退した戦略環境を中国はどのように捉えているか、米国が西太平洋に中距離ミサイルを配備する可能性をどう考えるか、INF条約の多国間化を含む多国間核軍縮に中国は参加する意思はあるか」と質問してみたのだ。これに対し魏部長は「私は戦略ロケット軍出身だからね」と前置きし、ポストINF問題を議論する気満々に見えたのだが、他の多数の質問の答えの中で時間が足りなくなり、結局短い一般的な答えに終始してしまった。個人的にはいつかの機会に、再び本人と対話をしたいものである。


米国の対中戦略:東南アジアのリアリティとの乖離

 今回のシャングリラ・ダイアローグのもうひとりの主役は、初日夜に基調講演を務めた開催国シンガポールのリー・シェンロン首相だった。同演説は「かなり丁寧に作りこんだ」(シンガポール政府関係者)内容で、シンガポールの歴史を振り返りながら、大国のグレート・ゲームと常に隣合わせる東南アジアの戦略位置を語りかけるものだった。リー首相は、米中貿易戦争が熾烈になる背景を、米中両国内の動静に踏み込んで分析し、問題の根本にあるのは米中両国に「戦略的信頼」が欠落していることだ、と強調する。その上で、米中は競争を紛争に導くべきではなく、両国が協力して国際秩序とルールを再編すべきだと訴えた。

 リー・シェンロン演説は、米国と中国という「2つの巨象」に一歩間違えば踏み潰されかねない(故リー・クアンユー氏が用いた表現)東南アジアが、米中関係と地域秩序の望ましいあり方を提示しようとする、知的にも洗練された内容だった。当然、中国に対しては南シナ海の問題を平和的に解決し、他国の利益と権利も重視することを促している。しかし、同演説の最大の力点は、現下の米国の対中政策の論理に対する根本的な違和感の表明、と解釈することができる。

 第1に、「各国は中国が成長し強くなることを認めなければならない。これを止めることは可能ではなく、また賢明でもない」と述べていることである。これは、米国内の対中タカ派の一部が、中国の経済成長を減速させ、技術革新を抑制することが正しい政策であるかの如くの議論を厳しく批判したものである。

第2に、米国が多国間協定に対する信を失い、個別の二国間貿易交渉を志向していることも「シンガポールは共有することはできない」と明確に反対した。米国が二国間交渉を志向することは小国に不利な環境を押し付けることであり、多くの国が利益を共有できる多国間メカニズムは必須だとする。シンガポールがTPP-11(CPTPP)を重視する所以である。

 第3に、シンガポールは中国の一帯一路(BRI)を支持し、重慶とシンガポールを結ぶ鉄道・海上の複合輸送ルート「国際陸海貿易新通道(ILSTC)」を積極化させ、中国と東南アジアの物流インフラにコミットをしている。リー首相は一帯一路プロジェクトは採算性・長期性を重視しなければならないが、中国自身が一帯一路フォーラムで述べたように、質の高い投資を重視し、債務持続可能性に取り組むことを評価すべきだとする。 さらに、演説後の質疑応答の中でシンガポールの第5世代(5G)移動体通信システムの導入方針について問われた際に、シンガポール政府は性能・コスト・安全性のすべての観点から慎重に検討しているが、100%セキュアなシステムは望めないことも付け加えている。シンガポール経済開発庁(EDB)長官はより直裁に「(米のファーウェイ輸出規制は)サプライチェーンに破壊的影響を与え」「アジア各国で5Gの導入が遅れる」として批判、シンガポール紙・ビジネスタイムズは、シンガポールの5G政策は米中対立から距離を置くべきだという社説も掲載している(2019年5月28日)。実際のところ、ファーウェイは2月にシンガポールにクラウドとAIの研究開発拠点の設置を発表したばかりだ。

 東南アジアの5G政策はまだ端緒についたばかりだが、各国の事業者はファーウェイを含むベンダーの5Gトライアルと共同研究を積極的に展開している。タイは東部経済回廊(EEC)に5G試験基地を設置し、ファーウェイはその中心的存在だ。フィリピン、マレーシア、インドネシアの主要通信キャリアも、ファーウェイとの協力を進めている。フィリピンのロペス貿易産業省は(米国の警告にも関わらず)「フィリピンは中国の5Gを懸念していない」と述べ、マハティール首相は日経アジアの未来会議で来日した際に、「可能な限り(ファーウェイの)技術を利用したい」とまで表明した。


米中戦略的競争の中で狭まる「安住の地」


 リー・シェンロン首相の演説の核心は、東南アジア諸国が現在の米国の対中戦略と、その背景にある世界観を受け入れないということである。数年前の南シナ海をめぐる米中対立が緊迫化した際、シンガポールは仲裁裁判所の判決を中国が遵守すべきという立場を明確にした。グローバルなルールと多国間主義に基づく秩序を志向すべきだから、と当時語っていた。まさにこの原則に基づきながら、そして米中経済デカップリングが地域のリアリティにいかに反しているかを踏まえ、米国の中国に対する戦略的競争に同調することができない、という意思表明である。

 他方で、シンガポールのビラハリ・コーシカン元外務次官は、「米中対立の中でシンガポールに安住の地(sweet spot)はない」と醒めた視点を提供している。米中と同時に良好な関係を保つ余地はますます狭まっており、厳しい選択を迫られるケースに備える必要があるという。これは伝統的に言われ続けてきた「選択を強いられない」外交の限界を指摘するものとなる。例えば、シンガポールが独自の立場を取ってきた台湾との関係でも、中国から不問に付される余地は少なくなっている(例えば2016年11月には、台湾で演習したシンガポール軍の装甲車が香港で摘発される事案が発生した)。シンガポールがグローバルな価値と中国との関係を両立を阻むような条件を付けられる局面も増えてくると予想される。

 米国の政権に近い戦略コミュニティからも、こうした東南アジアの姿勢は優柔不断に映る。米国の対中政策の世界観を受け入れないからといって、どこに他の選択肢があるのか。そして東南アジア自身はオルタナティブを提示し、行動に結びつけることができるのか。リー・シェンロン首相自身が明快に分析した米中両国の情勢は、まさに制御不可能な米中の国内政治の帰結としての米中対立の先鋭化を覚悟することにこそあるのではないか。

 しかし東南アジアの戦略家たちもかく言う米国に厳しい。仮に中国との戦略的競争に同調したとして、そこから生じる対中戦略のコストを米国は負担する気はあるのか。中国が軍事的な圧力を強化した場合、米国は東南アジアに対する防衛コミットメントを強化するのか。経済デカップリングによって生じる経済コストに対して、米国は魅力的な代替案を提示することができるのか。戦略的競争の前提となる問題の所在を納得できなければ、中国との対立コストの負担ばかりを押し付けられるということになる。

 米国国防省が発表した『インド太平洋戦略』は、経済安全保障を柱の一つに掲げながら、地域内のネットワーク化の重要性を示した。しかし以上の世界観の共有なきネットワークは空疎という他ない。東南アジア諸国もまた、米国の世界観を拒否することによって代替する秩序を構築することや、米国の世界観を受け入れることによって戦略的競争を共に戦い抜くことの戦略的コストはいずれも高い。米中の熾烈な対立の中で、東南アジア諸国の安住の地は狭まっていることだけは明らかになっている。