気候変動による影響について、日本政府は標記の報告書をまとめている。しかし、この報告書は、残念ながら、一面的で、徒に温暖化の悪影響を誇張するものとなっている。本稿ではこれを批判的に読み解く。日本政府には、今後、より多面的で冷静な影響分析を望む。
本稿では、政府報告書「日本の気候変動とその影響」(2018年版)(以下、単に「報告書」とする)について、特に、その概要(以下、単に「概要」とする)を中心に読む。この際、他の情報源も使って、科学的な検証をする。
日本で温度上昇が起きてきたのは確かである。「概要」によれば、日本の平均気温は100年あたり1.19度の割合で上昇してきた:
ただし、これだけではない。
気象庁の気候変動監視レポート2017を見ると、過去100年において、東京の3.2度を筆頭に、日本の大都市は軒並み3度前後の温度上昇があったとされている:
このような高い温度上昇が観測されたのは、地球規模の温暖化が約1度であったのに加えて、約2度の都市熱の増加があったからである。これはヒートアイランド現象として知られる。
実は2009年版の「報告書」には、これに類似の図があった。
後述するように、将来ありうる温暖化の環境影響を知る為には、過去の温暖化によってどのような環境影響が起きたかを知ることが決定的に重要である。だから、都市ごとの温度上昇がどうであったかという情報も、極めて重要である。しかしなぜか、今回の「報告書」では言及されていない。
なお将来についての温度上昇は数のように予測されている。
これを見ると、東京の年間平均気温は現在15.4℃であり、これが最悪ケース(きわめて温度上昇が急激に進む場合)のRCP8.5で2100年に4.3℃上昇する。となると19.7℃であるが、これは大阪と那覇の間になる。(なおRCP8.5とはIPCCの将来シナリオの名称である。本稿では単に最悪ケースと理解しておけば事足りる)。
東京は今より暑くはなるが、人間が普通に住めない温度では無い。
これによる人命や生態系への影響について、以下で検討してゆこう。
強い雨は増加してきたというのは確かなようだ。ただしこれが地球温暖化の影響なのか、自然の変化なのか、あるいは都市熱の影響なのか、別の要因なのか、といったことは、はっきりと「概要」には述べられていない:
強い雨が増加するとなると、当然、洪水などの災害が心配されることになる。しかし、過去70年について言えば、日本の温度は約1度上昇し、強い雨も増加したにもかかわらず、水害による死者数は大幅に減少してきた:
つまり、強い雨が増えることによるリスク増大があったとしても(そして、それが仮に地球温暖化に起因するものであったとしても)、防災能力の向上のペースの方がそれを遥かに上回ってきたのである。
今後も治水事業は進み、天気予報・警報技術は向上し、SNS等による情報提供も進歩するだろう。だから、ある程度地球温暖化が進むにしても、防災水準の向上のペースが上回り、死者数が確実に減少する、という偉大なトレンドは継続する、と見る方が妥当ではないかと思う。防災水準の向上は勿論必要であるが、結果を悲観するには及ばない。
なお強い雨についての将来の予測については、RCP8.5という「最悪ケース」についての試算が「報告書」にある:
これによると強雨は「全ての地域および季節で有意に増加する」となっている。ただしこのような纏め方では、これがどの程度の危険性を孕むものなのか、さっぱり分からない。なので、読者が勝手に想像して、勝手に「危ない」と思い込めるようになっている。このような纏め方は無責任である。
改めてこの図をよく見ると、東日本で強い雨が増大するといっても、せいぜい西日本並みになるだけだ、ということが分かる。ということは、東日本は、より強い雨に備えなければならないが、別に人が住めなくなるとか、未曾有の災害が起きるということではない。いまよりも防災水準を上げて、西日本並みにすれば、水害は今の西日本並みに抑えることが出来る、ということだ。しかもこれは、21世紀末についての試算だから、まだ80年も後の話である。過去80年にどれだけ防災水準が向上したかを考えれば、時間は十分にあり、さほど怖れるような話ではない(更に言えば、これは、RCP8.5という「最悪シナリオ」に基づく話である)。
同様に、北日本については、せいぜい東日本並みになるだけである。西日本については、沖縄並みになるだけである。沖縄については、この図からは同様の論法は使えない。しかし、日本以外のどこか並みになる程度のことであろうと推察される。インドのアッサム地方等、日本よりも遥かに豪雨の多いところは幾らでもあるからだ。
温暖化で豪雨は増えるけれども、未曽有の雨が降る訳でもなければ、防災対策による適応が不可能な訳でもない。
「概要」では、熱中症による死亡者数が増加しているとしている:
そして「熱中症は・・・気候変動との相関は強いと考えられています」と纏めている。
しかしながら、この図だけを見ると、本当に温暖化とどの程度相関が強いのかが分からない。ヒントを求めて、「概要」で引用している環境省の「熱中症環境保健マニュアル」を見ると、下図がある:
これを見ると、2010年以降の熱中症の増加は、単に統計上の分類の変化の問題に過ぎないのではないか、と思えてくる。というのは、2000年から2015年までの間は、トレンドとしては温度は殆ど上昇していないのに、2010年以降は明白に熱中症による救急搬送人数が増えているからである。
2010年以降だけを見ると、確かに暑い年の方が救急搬送人数が多いから、暑さと熱中症にある程度の相関はありそうだ。しかしその相関よりは、2010年以降、熱中症という「症状」が社会に認知され、救急搬送や死亡分類にもそれが反映されるようになったことの方が、2010年以降に何故熱中症が増えたかという説明としては妥当に思える。
以上の推察が仮に正しくないとしても、「概要」のような図だけを出して、熱中症が増加しており、それが地球温暖化によるものである、と匂わせるような纏めをすることは全く不適切である。熱中症が増加している理由を分析して明らかにすべきである。
真夏日と猛暑日の日数は増加してきた。
今後についても、地球温暖化に伴って、さらに増加すると予測されている。「概要」では、「RCP8.5シナリオを用いた予測では、21世紀末の猛暑日の年間日数も増加し、特に沖縄・奄美では、年間で54日程度増加することが予測されています」、と纏めている(なお、前述したように、RCP8.5は「最悪シナリオ」であり、予測は80年後についてのものである)。
なおここで、「13地点平均」となっているのは、都市化の影響が少ないと考えられる以下の地点の平均をとっているからである:
ところで、暑い日が増える一方で、寒い日は減る。このことは「概要」には書いていない。これを概要に書いていないのは、全くバランスを欠いている。
ただし、「報告書」には書いてある:
このため、(これは「報告書」にも書いていないけれども)、そこで引用している気象庁資料を見ると、真冬日の減少が予測されている:
さてそれで、平均気温が増え、暑い日が増えることは、どの程度深刻な問題なのだろうか?
過去の地球温暖化、およびそれを上回る都市部のかなりの温度上昇にも拘らず、日本人の寿命は伸びてきた。仮に、暑い日の増加によるストレスの増加があったとしても、栄養、医療、衛生などの水準の向上のペースが遥かにそれを上回ったと思われる。日本の平均寿命の伸びを示す:
のみならず、寒い日が減少したことも、寿命の伸びに貢献したかもしれない。暑い日には人の死亡率は高くなるが、寒い日にはもっと高くなるからだ:
この図を引用した国立環境研究所ホームページでは、「暑い日が増えることにより死亡者は増加すると考えられます。また、寒い日が減ることにより死亡者は減少すると考えられます。しかしながら、双方とも増減の程度については不確実性があり、トータルでどうなるかは今後きちんと評価していくことが必要」と纏めている。これがフェアな纏め方というものだろう。「概要」で熱中症だけを殊更に取り上げているのは、一面的であって、不適切である。
「概要」では、高温によって不作になった事例が報告されており、また将来についても作柄が悪くなるという予測が紹介されている:
ただし予測については、何れもRCP8.5という最悪シナリオでの2100年頃の話である。
ここでも重要な視点は、過去100年に日本の主要都市で起きた約3℃もの温度上昇に対して、我々はどのようにして適応してきたか、ということである。農家は、温度上昇が起きたことに気づくこともなく、自然体で適応してきたのではないか。
東京は、温暖化で農業が出来なくなったのではない。近郊農業は発達した:
農家は常に市場の変化に応じ、 新しい品種の開発情報を集めて、絶えず作物を変えてきた。東京でも、多様な作物を育てている。トマト、きゅうり、ナス、枝豆、大根、じゃがいも、筍、きゅうり、いんげん、白菜、大根、ねぎ、かぶ、みかん......等々。
もしも農家に「100 年間に 3℃という急激な温暖化への適応は大変だったでしょう」などと聞いたら、たぶん、「はあ?」と聞き返されるだろう。
農家としては、そんなことはお構いなしに、日々売れる作物をつくってきただけだ。その過程で、おそらくは温暖化にも知らないうちに適応してしまったということだ。
暑い夏でもよく育つ作物が選ばれるようになったのであろう。霜害に弱い作物も最近は育てるようになったかもしれない。
農家としては、温暖化等よりも、宅地への転用による収入とか、固定資産税とか、農産物輸入自由化、ブランディングなどのほうが遙かに重要事項だったに違いない。
もちろん、100 年前と同じ作物を同じ場所で同じ技術で育てれば、気象条件は変わっているから、うまく育たない場合があるかもしれない。だがそんなことをやって困っている農家というのは、聞いたことがない。
<報告書>では、地球温暖化への適応を進めるための「適応計画」や「適応ビジネス」にも言及している:
しかしこれは、何か新しいことがあるのだろうか? 過去、自然体で(=適応計画を立てることも、適応ビジネス振興策を採ることもなく)日本の諸都市では100年に約3℃の温度上昇に適応してきたのだから、同じく自然体で、殆どの場合は適応できてしまうのではないか? だとすれば、温暖化の適応を名目に、政府予算が過大に使われることが、むしろ心配になってくる。
過去には温暖化があり、特にそれは都市部では100年で約3℃と、かなり急激であった。これだけの温暖化があったのだから、過去について詳しく調べれば、今後、地球温暖化が起きた場合に、どのような環境影響があるのかは、かなりよく分かるはずである。
これこそは、地球温暖化に備えるためのナマの情報源である。シミュレーションは所詮シミュレーションに過ぎない。シミュレーションだけでは、人類の長足の技術進歩や強力な適応能力を予言することは出来ない。
実際には、過去、温度上昇による重大な被害は殆どなく、人間は単に慣れて(適応して)しまった。
人間社会の進歩(防災向上、医療・衛生・保健向上、農業市場の変化・作物の品種改良等)のペースが、温暖化によるリスクの増大(仮にあったとしても)のペースを大幅に上回ったからである。換言すれば、人間の適応能力は極めて高い。今後も、このトレンドが大きく変わるとは思えない。
将来のシミュレーションは、最悪ケース(RCP8.5)における2100年という遠い時点を主な対象としている。だがこの極端なケースであっても、過去の適応能力の高さから見て、将来の影響も適応可能な範囲の中にあることが本稿の検討で示唆された。
なお、筆者は温暖化が起きないと言っているのではない。温暖化は起きるが、人間の適応能力は高く、その改善も早いので、最悪ケースにおいてすら、結果を悲観する必要がない、ということである。
また、防災、衛生・保健、農業技術の向上などは、温暖化が起きる・起きないに関わらず、人々の幸せのために必要である。そしてそのことが、自然体での温暖化への適応の中核となる。
筆者は、影響の研究の必要性を否定するものでもない。地球温暖化はまだ分かっていないことが多いから、どのような環境影響があるのか、更なる研究活動が必要である。しかしどうも「概要」も「報告書」も、シミュレーションに頼りすぎである。シミュレーションよりも、過去に、人間がどのように(殆どは自然体で)温暖化に適応してきたかを徹底して調べることにこそ、重点を置くべきである。そして初めて、地に足の着いた適応の議論が出来るようになる。
以上から、今後の「概要」「報告書」についての教訓をまとめると、
今後、大幅な改善を関係者に期待する。