予測不能なドナルド・トランプ米大統領らしい突然の関税引き上げ発表によって米中貿易協議が視界不良の状況に陥っている。
6月28日、29日の両日に開催されるG20大阪サミットの際に米中首脳会談が行われ、そこである程度の合意に至るのではないかというのが巷間言われている見通しである。
しかし、これもどうなるか分からないと見ておくべきであろう。
米国が中国に対して貿易摩擦を仕かけている目的は単に米国の貿易赤字を削減したいだけではない。
米国が中国に対して脅威を感じており、その脅威を縮小するための対策の一つとして貿易不均衡問題を理由に経済制裁を実施している。
目先の貿易協議で何らかの合意に達したとしても、米国にとって中国の脅威は解消しない。
なぜなら、米国が感じている脅威の本質は、中国の経済力と軍事力が米国に近づいてきていることであり、それが米国の一極覇権主義体制を揺るがすことにつながると認識しているからである。
つまり、中国経済の成長が止まり、米国経済の半分程度以下に縮小しない限り米国が中国に対して感じる脅威は解消しない。
しかし、依然として高度成長期の最終局面にある中国経済は、今後数年は5~6%程度の成長率を保持する可能性が高い。
そうなれば、IMF(国際通貨基金)の世界経済見通し(2019年4月)が示すように、2024年に中国のGDP(国内総生産)の規模が米国の83%にまで接近することになるという予測を否定するのは難しいように見える。
そうであるとすれば、貿易赤字の規模に関係なく、米国が中国に対して感じる脅威は今後ますます強まっていく。
米国は脅威を緩和するために貿易以外の様々な手段を用いる可能性が高いと見るのが自然であろう。これが今後の長期的な米中関係の基本構図である。
そうした状況が続く中で、中国としては米国の同盟国である日本が中国と離反し米国追従の姿勢を強めることを何とか回避したいと考えるはずだ。
足許の日中関係は安倍晋三総理、習近平国家主席両首脳の下、1990年代前半当時の良好な日中関係に近づきつつある。
中国は日本以上にこの良好な日中関係を安定的に保持したいと考えていると見て間違いないであろう。
日本としても米国との関係に十分配慮しながら、日中関係を一段と安定させることができれば、経済、外交両面で日本の国益を増進させる好機である。
日中経済関係安定のための重要な土台となるのは中国各地における日本企業の投資環境である。
最近は日本企業の誘致拡大に積極的な中国各地の地方政府が日本企業の投資環境改善要望に真摯に耳を傾ける姿勢を示している。
日本企業に対する対応姿勢の改善ぶりは数年前には想像もつかなかったほど様変わりしたという話は現地駐在の日本企業・金融関係者などからしばしば耳にする。
以下ではその具体例を紹介したい。
4月中旬に筆者は大連市を訪問した。
大連市は1993年から2000年まで市長・書記を務めた薄熙来氏が2012年3月に汚職・スキャンダルの摘発で失脚した影響もあって、停滞が続いていた。
しかし、2018年1月に習近平主席に近いと言われる譚作鈞書記が就任、同年11月には譚成旭市長が就任し、人事刷新と共に再び活気を取り戻しつつある。
昨年12月には日本企業と大連市政府との交流の場に同市の書記・市長が揃って出席するなど異例の重視姿勢が示された。
その席上、大連市政府は年3回、日本企業との定期交流の場を持つことを提唱し、本年4月1日に第1回会合が開催された。
2018年末頃以降、市政府内部では「深耕日本」のかけ声の下に、一段と日本との協力強化に傾倒している。
大連市は戦前から日本人が多く住んでおり、地元の中国人との関係改善に配慮していたため、歴史的に親日的だった。
それに加え、薄熙来市長時代に日本企業を積極的に誘致したことから、大連市には1550社の日本企業が進出しており(2017年時点)、上海、タイの首都バンコクに次ぎ世界で3番目に進出している日本企業数が多い。
市街地の人口約200万人のうち、約19万人が日本企業で働いており、ほぼ10人に1人が日本企業関係者であるため、日本企業の存在感が圧倒的に大きい。
市内の各大学には日本語学科があり、日本語人材も豊富。地下鉄でも日本語アナウンスが流れるなど、日本との関係が比較的深い東北3省(遼寧・吉林・黒竜江)の中でも親日度は別格である。
その大連市が昨年から再び発展に向けて本格稼働しつつある中、日本企業に対して投資拡大の期待が強まっていることは言うまでもない。
そうした市政府の積極姿勢の背景には最近の日中関係改善が大きく影響している。
東北3省の経済状況が厳しいことから、日本企業の投資規模は広州市、蘇州市ほど大きくはないが、それでも昨年から車載用電池、医療機器、高級衣料、コンビニエンスストアなど、日本企業の投資拡大案件が次々と見られるようになった。
市政府では、日本企業誘致をさらに加速するため、日本企業専用の経済開発モデル地区の建設構想も検討し始めているという。
大連市周辺の市場環境は上海周辺の長江デルタや広東省周辺の大湾区(香港・マカオ・深圳・広州を含むグレートベイエリア)に比べて見劣りするが、これほど日本企業に協力的な都市はほかにない。
地元の大学からは毎年、優秀な人材が卒業しているが、大連市周辺に良い条件の仕事がないため、多くの人材が外部へ流出している。
もし日本企業が雇用を拡大すれば、地元の優秀な人材の活用も可能である。
薄熙来元市長が引き起こした政治的な問題が解決し、停滞する東北地域経済を牽引する役割が期待されている大連市の位置づけを考慮すれば、中央政府、遼寧省政府などからの支持も得られやすいと考えられる。
今後期待される日中関係の中長期的な安定も追い風となる。
そうした好条件を生かし、日本企業が複雑かつ変化が速い中国国内市場に対する理解を深め、中国側の良好なパートナー企業を的確に選び、地元政府の強力なサポートを得ることができれば、日本企業にとって発展の余地は十分大きい。
かつて上海では半官半民のコンサルティング企業が、日本企業向けに製品展示場や中国企業とのマッチングの機会を提供して中国国内市場開拓を目指す数百社の日本企業を支援し、大きな成果を上げた。
それに類する日本企業向けサポート事業が大連でも構築されれば、上記のような日本企業の課題が解決される可能性も高まると考えらえる。
上海市政府はビジネス環境の改善に一段と注力し始め、本年から年間10回以上にわたり、上海市に進出している外資企業との座談会を開催し、投資環境改善に関する要望を聴取している。
第1回は欧州企業、第2回は米国企業、3月下旬に開催された第3回座談会は日本企業が招かれた。
その会議は最初から最後まで副市長が仕切ったが、副市長レベルと日本企業がこうした形で直接対話する座談会は初めてだった。
来年1月から実施される外商投資法に、外国企業に関係する法律改正を行う場合、事前に外国企業の意見を聴取することが定められていることから、それを先取りするものと受け止められている。
以前にももう少し低いレベルでこのような対話の場が持たれたことがあったが、その際の政府関係者の回答は木で鼻をくくったような中身のないものも多く含まれていた。
しかし、今年の会合では、上海市政府のある責任者がそうした不誠実な回答をしたところ、副市長が即座に、その内容では私が聞いても意味が分からないと指摘し、回答をやり直させる場面があった。
こうした副市長の姿勢から市政府幹部の本気度が伝わってきたという。
こうした事実から見て、上海市政府のビジネス環境改善への取り組み姿勢は様変わりに積極的となっており、外資企業の要望に真摯に応えていくことによって、本気で投資環境を改善することを目指していることが理解できる。
このような変化は天津や広州でも同様に見られ始めている。
日本企業はまだこうした市政府側の変化に対応できておらず、せっかくの対話の場でも当たり障りのない抽象的な質問をする企業が多い。
以前は本音を言えば逆にいじめられる時代が長かったため、多くの日本企業はその発想から脱却できていない状況にある。
市政府が具体的かつ率直な要望を出すことを本気で期待している事実を日本企業も早く認識することが重要である。
最近の米中摩擦の激化が日中関係の改善に寄与し、日本企業にとって投資環境の改善をもたらしていることを冒頭で指摘したが、米中摩擦の恩恵は日中関係の改善にとどまらない。
来年1月から実施される外商投資法も米国からの外圧のおかげである。
これには、技術強制移転の禁止、知的財産権の保護強化、内外企業の待遇格差の縮小、外資企業の外国送金の自由の確保といった重要な投資環境改善の中身が含まれている。
これらが文字通り実施されれば、日本企業が得られる恩恵は大きい。
このように米中摩擦は日本企業にとって、日中関係の改善といった外交面のメリットに加えて、投資環境の改善という経済面のメリットまでもたらしてくれている。
元々中国向け直接投資額累計額は日本がどの国よりも大きく、投資環境改善のメリットを最も多く享受するのは日本企業である。
多くの日本企業がこの好機を生かして中国ビジネスを順調に発展させていくことを期待したい。