メディア掲載 国際交流 2019.05.22
先月、ネット上のロボットに関する米国のニュースを見て驚いた。表題は「人工知能(AI)活用のための低コストで人に優しいロボット"ブルー"」。ぎこちない動きだが、一つのロボットが洗濯物をたたみ、小さな物を整理し、花を生け、飲み物を注ぎ、テーブル上にこぼれた液体を拭き取るという複雑かつ複数の作業している。
早速、日本の代表的ロボット工学者の一人、本田幸夫氏にロボットの多機能性に関し日本の技術水準を尋ねた。本田氏によれば「最近は旗色が悪い」とのこと。
日本の産業用ロボットの優秀さに関して語る必要はない。"画一化"された行程の効率化に関し、疲れを知らずに反復動作を行う日本製ロボットの信頼性・耐久性は世界最高水準だ。
しかし複雑で予想外の事象が絡んでくる工程、しかもそうした工程を複数行うロボットとなると話はガラリと変わる。もちろん複雑・複数の工程をこなす現在のロボット技術は未成熟で、今後とも長い間、試行錯誤を続けていくだろう。従って日本の強みが発揮出来る分野があるはず、と本田氏と語り合っている。
試行錯誤を覚悟するとしても、将来どの方向に進み出すべきか。結論を先取りして言えば「グローバルな形でのシステム統合」だ。
まず、複雑・複数の工程を行う際、最も大切なのは作業環境を察知し、適切な行動を取る制御システムで、ここはAIが活躍する部分だ。この分野で日本の代表的人物の一人、松尾豊氏の昨秋ネットに掲載された対談での発言が大変興味深い。同氏によると日本のAIの研究水準は「圧倒的に負け」ており、研究者は個人的に頑張っているが、どうしても"ゼロ戦的戦い方"で、「個人の操縦技術だけで何とかしよう、最後は機体ごと体当たり」しようとするらしい。
太平洋戦争緒戦で勇名を馳せ米軍から"無敵"と恐れられたゼロ戦は、飛行士の個人的技量に頼るあまり米軍に優れた戦闘機やレーダー等の統合的システムが登場すると次第に敗れていった。昭和17年後半からの米国側戦史に"無敵ゼロ戦"の名は消え、例えその名が登場しても"無敵"という言葉はなかったという。
大戦末期、確かに日本にもレーダーや無線電話、優れた戦闘機のプロトタイプもあった。指揮官となるべき人材もいた。だが、レーダーと電話、戦闘機と指揮官、プロトタイプと量産とを結びつけるシステム統合がなかったのだ。換言すれば大戦時の日本は個人の"技量"に頼るあまり、システムの統合化を通じ、シロウトもクロウトも利用できる"技術"を開発しなかったのだ。我々はこの過誤を繰り返してはならない。
まず、海外の優れたAIと日本の豊かな技術と資源をグローバルに統合する必要がある。そして日本には駆動部分等のロボット技術に加え、知的水準は高いが体力的には加齢を感じる高齢者という自立支援・介護ロボットに対する多数の需要者を擁している。
従ってAIやロボットの構造・駆動等の技術者に加え、高齢者、さらには介護者を結びつけるシステム統合に関し試行錯誤を行う必要がある。上記の問題意識を抱き、この夏海外で本田氏を含む専門家達とともに研究発表する予定である。