メディア掲載  グローバルエコノミー  2019.03.14

統計の"民営化"

週刊エコノミスト(2019年3月5日)に掲載
統計改革のテーマの一つが、民間データの活用だ。POS(販売時点情報管理)データを用いた物価指数などさまざまなプロジェクトに携わる渡辺努・東京大学大学院経済学研究科教授に現状と課題を聞いた。

(聞き手=黒崎亜弓・週刊エコノミスト編集部)


―― 2013年からスーパーの販売データを基に日経CPINow(当初は東大日次物価指数)を算出している。狙いは。

■統計は政府の専売特許ではなく、民間の方が良いものを作れる場合もあると考えた。それを示すための実証実験だ。

 指数作成の研究成果を踏まえ、学術的にベストな指標(T指数)を算出するところから始まった。日々の数字を翌々日に公表するという迅速性の面でも、特売を反映するなど手法の面でも総務省の消費者物価指数と大きく異なっている。その後、ユーザーの要望を受けて、総務省の手法に沿った月次指標(S指数)も出すようになった。


―― 反応は。

■当初、「政府の公表値と異なる数値を出すのは世の中を混乱させる」という厳しい批判を何度も受けた。だが、政府も間違えることがあるし、意図的に数字をゆがめることすらなくはない。民間の指数があれば、チェック機能を果たせると反論した。今回の毎月勤労統計の問題は、複数の指標でチェックし合うことの重要性を改めて私たちに教えてくれていると思う。

 日本の統計は、物価や賃金に限らず作成手法の詳細を開示していないので、どの程度の精度なのかわからない。その点、日経CPINowは作り方をすべて公表し特許化しているので、数字の意味を正確に解釈できる。日銀が代替的な物価指標として注目したこともあって、金融マーケットに浸透した。


―― 日経CPINowがチェック機能を果たしたことはあるのか。

■1990年代、株価や地価が急落するなかで、日銀が金融緩和に踏み切れなかったのは物価上昇率が下がってこなかったからだ。だが、日経CPINowを遡及(そきゅう)計算すると、実は92年ごろからデフレに突入していたことがわかる。

 総務省の数値と異なる理由は何かといえば、調べていた店舗だ。90年代前半は買い物が商店街からスーパーヘとシフトする時期だった。総務省は物価の調査員を昔ながらの商店街に派遣していた。これに対して、日経CPINowの遡及値はスーパーからのデータで算出されている。当時、日経CPINowがあったなら、日銀は3年ほど早く金融緩和を始めることができたはずだ。


データ税の導入を

―― 商店街からスーパーに移ったように消費行動は変わるのではないか。

■実は今も重要な変化が進行中だ。実店舗からネット通販へのシフトだ。ネット通販の価格は総務省も、日経CPINowも捉えていない。ネット上で価格を比較できるようになると値下げ競争が起こり、実店舗も巻き込まれる。また、無料サービスの急速な普及も物価を下押しする。真の物価上昇率は、総務省の公表値を大きく下回っているとみてよいだろう。

 韓国でポイントカードのデータを用いたネット上での物価指数の作成に携わっている。韓国はネットでの購買が日本と比較にならないほど進んでおり、データも整備されている。日本も、関係企業の協力を得て、ネット価格の動きをモニターできるよう環境を整備すべきだ。


―― 物価以外の取り組みは。

■日経CPINowの事業化から出発したナウキャスト社は、JCBとの共同事業として、17年からJCB消費NOWという消費指標を公表している。クレジットカードのデータは、若者や低所得者のウエートが低いなどの癖があり、その除去がカギになるが、ある程度の網羅性をもって消費者の行動がわかる。

 私が評議員を務める総務省の「消費動向指数研究協議会」にはクレジットカード会社や小売企業が多数参加している。先進的な取り組みで政府がこれから進むべき方向を示唆している。しかし、参加企業は互いにライバルなので癖を除去する上で必要となる詳細なデータを出すのをちゅうちょし、消費指標作成の障害になっている。企業が集めたデータは財産だから、国がその財産について税金のような位置づけで提供を義務化してもいいのではないか。


―― 今後、公的統計で民間データをどう位置づければよいのか。

■かつてはデータを集め、加工することは民間には出来ないから政府が行っていた。だが、今は民間の方がデータを多く持っていて、政府にはない。データ加工も民間の方が人材、技術ともに卓越している。素直に考えると、政府が現在行っている統計の提供というサービスを民間に開放すべき時期に来ているのではないか。統計の民営化だ。

 統計の種類にもよるが、民間が統計作成の実務のすべてを担い、政府はそのチェック役に回るということも考えられる。あるいは、PMI(製造業購買担当者指数)のように民間企業が営利ビジネスとして統計を作成・販売するという形もあり得る。

 部分的な民営化もあり得る。スイスなどではすでに、スーパーからデジタルデータを入手し、それを用いて政府が消費者物価を作成している。調査員派遣をやめて省力化を実現している。

 省力化できるところは省力化し、浮いた資源をデジタル化しづらい分野や、ネット取引など捕捉の難しい分野に回せば、統計部署全体の生産性を上げることができるだろう。