コラム  国際交流  2019.02.01

「東京=ケンブリッジ・ガゼット:グローバル戦略編」第118号(2019年2月)

小誌は大量の資料を網羅的かつ詳細に報告するものではない-筆者が接した情報や文献を①マクロ経済、②資源・エネルギー、環境、③外交・安全保障の分野に関し整理したものである。紙面や時間の制約に加えて筆者の限られた能力という問題は有るが、小誌が少しでも役立つことを心から願っている。

 先月、来日した米国の友人と語り合った際、彼は"民主主義の劣化"を嘆き、その原因は「米国国民の中に蔓延した政治経済政策に関する知識の劣化」だと、New York Times紙の記事を例に挙げて指摘した。

 New York Times紙上にニューヨーク市立大学(CUNY)のクルーグマン教授が税制に関する小論を載せて、最適最高税率に関し、共和党の幹部が"serious economic research"よりも"nonsense economics"に惑わされる点を指摘している(次の2を参照)。
 筆者は友人に向かい次のように語った--「小論の中のダイヤモンドMIT教授やUC Berkeleyのサエズ、ローマー両教授による説明は普通の人々にとって多少難しいかも知れないね。しかし、一般市民は良識を具えている。だから大切な事は、①優れたスタッフの力を借りて或る程度専門知識を指導者が理解し、②その要旨を市民に対して真摯かつ丁寧に説明して、③最終的に彼等から賛同を得る事が出来るかどうかだ」、と。そして、トクヴィルの名著(De la Démocratie en Amérique)の中の一節を伝えた次第だ--「民主主義体制下の民衆は、問題を絶えず真剣に考え、権利の擁護に気を遣い、民衆に対し利益をもたらす一定の常識的範囲から指導者が逸脱する事態を防ごうとする(Le peuple, dans les démocraties, occupe comme il l'est sans cesse de ses affaires, et jaloux de ses droits, empêche ses représentants de s'écarter d'une certaine ligne générale que son intérêt lui trace)」、と。
 筆者はそれに続けて「ただ、市民も知的水準の維持・向上に自ら努めないと駄目だね」と言い、トクヴィルが19世紀の米国民衆の高い教養水準に驚き、書き残した記録を述べた--「数冊のシェイクスピアの本を置いていないような開拓者の家は滅多に無く、私自身も或る丸太小屋で『ヘンリー五世』を初めて読んだほどだ(Il n'y a guère de cabane de pionnier où l'on ne rencontre quelques tomes dépareillés de Shakespeare. Je me rappelle avoir lu pour la première fois le drame féodal de Henri V dans une log-house)」、と。


 小誌前号で触れた故ドーア先生のご著書(『幻滅: 外国人社会学者が見た戦後日本70年』, 2014)を読んで驚いている。

 先生の本(Taking Japan Seriously, 1987)は、イタリア語にも翻訳され(Bisogna prendere il Giappone sul serio)、原書と同様に注目されて多くの会合に先生が招待を受けたとのこと。また邦訳版の計画も浮上していたらしい。先生は次のように『幻滅』の中で述べている--(Taking Japan Seriouslyの邦訳計画は)「出来しだい1章ごとに、私に見せて訂正させてくれる約束だった。しかし訳があまりにひどくて、訂正の作業があまりに重荷になり、7章くらいまでやったところで、『もういいや』と匙を投げた」、と。筆者は「ひょっとして」と思い、別の本(Flexible Rigidities, 1986)も調べてみた--この本も邦訳版が無いのだ!!! Flexible Rigiditiesは、先生のご著書の中で筆者がMITやINSEAD等で最も言及した本だ。
 この例が示すように①翻訳されない重要な洋書、それに加え②ビックリするような邦訳で出版された重要な洋書が増え続けている。こうした現状では、海外の知識人との"突っ込んだ"質の高い知的対話に支障をきたさないかと懸念している。


 パリでは小誌前号でも触れた混乱が続いている。フランスは①国際的には欧州連合(EU)域内の不協和音、そして②国内では(a)イスラム化(l'islamisation du pays)に対する不安、(b)パリと地方(或いは階層間・地域間所得格差)という複雑な課題を抱えている。昨年12月のパリでワイン・グラス片手に友人達に次のように語った。

 「グローバル時代においてPax Britannicaは今まさに博物館に入る時を迎え、Pax Americanaは退潮著しい。かと言って、"中国による平和(Pax Sinica)"やロシア(Pax Russica)には疑問符が付く。従って我々は何らかの"協調による平和(Pax Consortis)"を案出するしかない。そこで"欧州による平和(Pax Europaea)"を期待したいが、先導役はドイツ単独(Pax Teutonica)でも君達フランス単独(Pax Franca)でもない。君達が為すべき事は、欧州更には世界の模範として、国内でイスラム教徒やユダヤ教徒との平和的共存を--例えばLe Projet Aladin (www.projetaladin.org)と協力して--如何に難しくとも漸進的に推進する事だ。」


 さて百年前の1919年1月18日にパリで始まった第一次世界大戦後の講和会議は6月28日まで続いた。

 戦勝国である日本帝国は英米仏伊と並んで"五大国"の一つであった。ところが3月24日、国益を賭けて密議を行うこの列強(the Big Five)は、ジャーナリストの中野正剛が"謙譲沈黙無為"と称し、そして海外メディアが"silent partner"と揶揄した日本がはずされ、the "Big Four"となる。それから3ヵ月にわたる交渉を通じて、日本代表はウィルソン大統領やランシング国務長官をはじめ多くの米国人に対日不信感を植え付けたまま、ヴェルサイユ宮殿「鏡の間」で調印式を迎えることになる。
そして今、1世紀前の会議資料を読みつつ、21世紀における日本の"対外発信"の重要性を考えている。



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