コラム  財政・社会保障制度  2018.12.20

ノーベル賞報道を読む-臨床研究が見過ごされていないか

 去る10月1日に報じられた京大の本庶佑特別教授によるノーベル医学生理学賞の受賞は、2018年の特筆すべき科学ニュースであった。12月10日の授賞式前後の1週間はノーベル・ウィークと呼ばれ、会場の地ストックホルムは世界が注目する祝賀ムードに包まれた。昭和24年、日本人として初めてノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹博士以来、日本人としては物理学賞11人、化学賞7人、医学生理学賞4人、文学賞3人(カズオ・イシグロ氏を含む)、平和賞1人、そして本庶教授で27人目の快挙である。医学生理学賞でいえば5人目となる。

 本庶教授は1992年に、免疫をつかさどるT細胞の表面に発現するタンパク質「PD-1」を発見し、新しい考え方に基づく抗がん剤の開発につながった功績が認められての受賞となった。PD-1を介して免疫担当のT細胞の攻撃力を温存し、がん細胞に対抗する効果を発揮しようとするアイデアである。その世界初の薬はチェックポイント阻害剤と呼ばれ、小野薬品工業がニボルマブ(商品名オプジーボ)として製品化に成功した。

 国民がノーベル賞を祝うことは大変喜ばしいことであるが、今回の報道を見ていると、もともと「ノーベル賞といえば...」といったお決まりの報道パターンがあるのかもしれないとも思われた。第1に、「最高」の賞としての絶対的権威、第2に受賞者は「独創的で柔軟な思考」の持ち主という賛辞、そして第3に、我が国の「基礎研究体制は不十分で支援が必要」という基礎研究要支援論である。

 第1の「最高」に疑問が起こったのがノーベル文学賞をめぐるスキャンダルである。去る5月4日、スウェーデン・アカデミーが2018年の文学賞受賞者の発表を見送ると発表したのはまだ記憶に新しい。その理由は何と、会員の夫による性的暴行疑惑であった。同アカデミーの会長と委員4人が辞任する事態となり、ノーベル賞への「絶対的」な信頼が揺らいでしまった。

 そのようなスキャンダルとは全く異なるが、日本でも、絶対的権威としての受賞者の発言に疑問が呈される異例の展開があった。小野薬品は「研究に貢献していない」と本庶教授が受賞会見で発言したことに対して、小野薬品側から異議が唱えられたのである。実際、2018年11月5日付けの産経デジタル(SankeiBiz)は「小野薬品社長、本庶氏発言に反論『研究に貢献した』-"溝"は埋まるか」と報道している。小野薬品の相良暁社長は産経新聞とのインタビューで、単に反論だけでなく「研究に貢献できた巡り合わせに感謝している」ことや、「学術機関との共同研究は今後より積極的に行って創薬につなげたい」とも語ったとのことである。他の製薬会社からも本庶教授の「強めの発言」に疑問を呈する声があることも報じられており、「最高」の受賞者の発言が必ずしも絶対ではないとの前例となった。

 また、第2の問題についても興味深い報道がなされている。2018年10月11日付け朝日新聞デジタルによると、本庶教授は根本匠厚生労働相と面会して「(オプジーボは)薬価が高いという不満の声も聞き、実際、医療費が増えている」と指摘したうえで、病気の予防への投資を呼びかけたと報じている。これは、本庶教授が基礎医学研究者ではあっても柔軟に、広い視野に立って医療の社会的側面の重要性を説いたと受け取ることができよう。

 しかし、その常識的な提言は必ずしも正しいとは言えない。なぜなら、専門的にはもっと深い議論が必要だからである。オプジーボの薬価は、2014年の承認後2回の切り下げの結果、2018年改定時では1瓶100㎎が約27.8万円となっている。一見、高額に見えるかもしれないが、薬価の妥当性の判断は、その費用に見合う医学的効果があるかどうかがポイントとなる。2016年度から始まった厚労省での費用対効果評価では、その点の検証作業を進めている。ちなみに、オプジーボの費用対効果は、米国の研究者が示唆する「受容できる」レベルとなっている。

 「病気の予防への投資」に関しては、予防が費用を節約するとの考えは思い込みに過ぎず、諸刃の剣であることが米国の医療経済研究者によって示されている。すなわち、費用対効果の評価を適切に行わなければ逆に費用を浪費しかねないことになる。これは、オバマ米国前大統領の最初の選挙時に起こった論争である。当時のすべての大統領候補者が予防医学への投資を訴えたので、「事実は異なる」と反論する論文が国際的に著名なニューイングランド医学誌に掲載され、さらにニューズウィーク誌上でも取り上げられたことで有名になった。

 さらに、第3の問題、基礎研究要支援論について考えてみよう。先の朝日新聞デジタルの報道によれば、本庶教授は柴山昌彦文科相とも面会して「基礎研究は科学研究費が基本。少しずつ増やしていただくのが重要だ」と要望し、柴山文科相は「基礎、それをどう応用するか、私の方でもしっかり支援します」と応じたとのことである。

 この二人の発言には微妙な差異がある。文科相は、「基礎」に加えて「それをどう応用するか」と述べている。一般に、医学研究は基礎研究と臨床(応用)研究の2つに大別され、3つの段階がある。生物・化学的な実験に基づく基礎研究は、第1段階である医薬品の研究開発の入口部分を担う。第2段階は、基礎研究の成果を患者のデータで検証し、国の承認を得る、いわば出口に至るまでの臨床研究である。そして実際の臨床で新薬が使われるようになれば、出口後の薬の効果の確認と副作用をモニターする更なる臨床研究が行われる。これは第3段階の市販後臨床研究と言われる。もちろん、医薬品の開発では、この基礎・臨床2種の研究は車の両輪のようにいずれも欠くことができない。

 実際、基礎研究だけでなく、臨床研究にも膨大な労力と費用、そして長い時間が必要となる。しかし、ノーベル賞は主として基礎研究者に栄誉を与えるので、臨床研究の重要性が社会から見過ごされやすい。その点、柴山文科相が「応用」に言及したというのは、臨床研究支援へのメッセージを込めたのかもしれない。

 このような臨床研究への認識を巡る問題が、報道された本庶教授と小野薬品の発言の対立の背景にあったと読み解くこともできる。小野薬品側の反論の基礎には、基礎研究だけでなく臨床研究への総合的な努力の結果として、日本発の抗がん剤の製品化が可能となったという企業側の誇りがあったのではないだろうか。

 実際、支援が必要なのは基礎研究だけではない。日本の場合、欧米先進諸国に比べて遅れているのは基礎研究ではなく、むしろ臨床研究なのである。実際、政策研ニュース(No.35 2012年3月)によると、国際的な主要医学雑誌の論文数からみる日本の医学研究の状況は、1993-1997年期には基礎研究6位、臨床研究12位であった。しかし、1998-2002年期、2003-2007年期、2008-2011年期では、基礎研究が各々3位、3位、4位とあまり変化していないのに比べ、臨床研究は12位、18位、25位と期を追うごとに順位を下げている。

 このデータからも分かるように、伝統的に日本の医学研究は基礎研究優位で国際的にも善戦しているが、臨床研究は質・量ともに劣るというのが現実であろう。近年の話題と言えば、中国の台頭である。同ニュースによれば、中国は、1997年以前は基礎、臨床どちらも国際順位が25番目以下であったが、1998年以降はいずれの分野でも論文数を増加し、特に臨床研究論文では2003-2007年期に15番目となり、日本を抜いている。

 従って、基礎研究要支援論は否定されるものではないにせよ、もっと支援が必要なのは臨床研究のほうなのである。ノーベル賞報道で基礎研究要支援論ばかりが強調されると、わが国の臨床研究の立ち遅れが見落とされる恐れがある。そもそもノーベル医学生理学賞は、英語では"Nobel Prize in Physiology(生理学) or Medicine(医学)"と称され、まずは、生物・化学的な実験による生理学研究に対する賞なのである。従って、患者データに基づく臨床研究は受賞対象とされていない。そういったノーベル賞選考の方針も、臨床研究への認知が低い一因となっている。

 一般に、薬がどれくらい効くのかを科学的に検証した臨床試験の結果は、添付文書と呼ばれる文書に記載される。しかし困ったことに、近年の臨床研究の方法論は非常に複雑になり、その結果を正しく読み解くことが、医学生はもとより一般臨床医にとっても容易ではない事態となっている。これは、わが国の医学部での教育・研究がノーベル賞に象徴される基礎研究を重視し、臨床研究への取組みをおろそかにしてきた帰結ともいえる。

 本庶教授のノーベル賞受賞を機に、オプジーボでどんながんでも完治するのではないかという過剰な期待感が社会に拡散し、臨床現場に混乱が生じているという声が臨床医から相次いでいる。この問題は、ノーベル賞の成果とつなげてオプジーボを「夢の新薬」といった扱いをするメディア報道と、医療専門家による臨床成績の科学的説明とのギャップから生じている。

 例えば、2018年11月改定(第21版)のオプジーボ添付文書によれば、肺がん(正確には、切除不能な進行・再発の非小細胞肺がん(非扁平上皮がん))では奏効率25.7%とある。奏効率とは、がん組織が縮小もしくは消滅した患者の割合を示す。つまり、およそ4人に1人は効いたといえる。また、生存期間中央値では比較薬剤のドレキタクセル治療で6.01か月に対してオプジーボ治療は9.23か月と、3か月ほど生存期間の延長が得られている。この結果は、従来のがん治療と比べれば意義のある効果とはいえるが、一般の人がいだく「夢の薬」というイメージとはほど遠いのではないだろうか。

 しかも、添付文書では複数のがん(悪性黒色腫、肺がん、腎細胞がん、ホジキンリンパ腫、頭頚部がん、胃がん、悪性胸膜中皮腫)に対して、それぞれの奏効率や、生存期間中央値の統計学的に有意な改善などが報告されており、それらのデータは複雑、多岐にわたっている。添付文書から薬の有効性を科学的に読み解くことは、高度な知識をもつ臨床医でさえも容易なことではないのである。

 そのため、オプジーボの添付文書の冒頭には、赤色表示の警告文が記載されている。すなわち、「本剤は、緊急時に十分対応できる医療施設において、がん化学療法に十分な知識・経験を持つ医師のもとで、本剤の使用が適切と判断される症例についてのみ投与すること。また、治療開始に先立ち、患者又はその家族に有効性及び危険性を十分説明し、同意を得てから投与すること。」とある。これは、臨床研究の専門家が足りないわが国の現状への警告であるとも受け取れる。

 例年、10月の受賞の知らせから始まって、12月のノーベル・ウィークは年の瀬に彩りをそえるいわば風物詩になっている。何といっても世界最高の栄誉とされるノーベル賞であるから、報道がもたらす国家を超えた科学研究への尊敬と激励という効果については誰もが認めるところである。その報道が、特定の思い込みに陥るような副作用を示すことなく、本来のノーベル賞が称える自由で柔軟な思考や精神の発展に寄与できることを望みたい。