7月6日、米ドナルド・トランプ政権は中国からの輸入品340億ドル相当の品目を対象に関税を引き上げると発表した。
6月15日に発表していた500億ドル相当分の関税引き上げ実施の第1弾である。これに対して、中国政府は即時に同額の報復措置を採り、米国からの輸入品340億ドル相当に対する関税引き上げを発表した。
これを受けて、7月10日、トランプ政権はさらに中国からの2000億ドル相当の輸入品の関税を引き上げることを発表し、米中両国による報復合戦に入るリスクが高まっている。
米国のWTO(国際貿易機関)ルール違反と見られる理不尽な貿易制裁措置に対して、中国政府は同様の手段による強硬姿勢を採らずに沈静化するのを待つべきだった。
もちろん中国の国内政治を考えれば、現在の状況下で米国政府に対して融和的な対応を取ることはリスクが大きい。対米弱腰外交と批判されるからである。
それでも米中両国が貿易戦争に突入するのを防ぐには、中国はまともに報復すべきではなかった。中国が貿易戦争を回避するメリットは以下の3点である。
(1)米国国内からの批判
第1に、中国から米国への輸出の6割は外資企業による輸出であり、その中心は米国企業である。
このため、米国政府が中国からの輸入品の関税を引き上げれば、中国政府は何もしなくても米国企業、米国経済に大きなダメージを与える。
すでに米国内では産業界などがトランプ政権の関税引き上げ措置を厳しく批判しており、今後産業界が受けるダメージが庶民の生活にも及び始めれば、ますますその批判は強まるはずだ。
こうした状況が続けば、トランプ政権自身が米国内の圧力で対中制裁を見直さざるを得なくなる可能性が高い。
逆に中国が毎回報復すれば、一部の米国民の間では中国に対抗するナショナリズムの感情が沸き上がることが予想される。これはトランプ大統領の思う壺である。
(2)中国の構造改革推進を優先することの方が重要
第2に、中国は現在、国内において次の3つの重要な構造改革を推進している。
金融リスクの防止、貧困からの脱却、および環境汚染の防止である。
これらの改革はいずれも地方政府、金融機関、企業、富裕者層など既得権益層の痛みを伴う厳しい内容であるため、国内各方面の抵抗が強い。
その抵抗を制圧してこれらを断行するには政治力とともに足許の経済の安定確保が極めて重要な条件である。
仮に米中貿易戦争が本格化し、中国の輸出が深刻なダメージを受けることになれば、マクロ経済の安定確保を優先せざるを得なくなり、構造改革を大胆に推進する余裕がなくなる。したがって、改革推進にとって貿易戦争の深刻化は致命傷になる。
中国では、例年、12月に開催される中央経済工作会議、およびその後3月に開催される全人代で、その年の政策目標を決定する場合、当該年度1年間の政策を主要課題とする。
しかし、今年の主要課題は1年間の目標ではなく、2020年までの3年間で達成を目指す構造改革目標を主要課題として掲げた。この目標設定のやり方から見ても、中国政府がいかにこの3つの政策を重視しているかが明らかである。
これらの主要課題の達成は、習近平政権が2020年の実現を目指す「小康社会」の大前提と考えられている。
もしこの3つの重要目標が誰の目にも明らかな形で未達となれば、習近平政権に対する信頼が揺らぎ、2022年に第2期の任期が到来する習近平主席の3期目続投すらリスクにさらされる可能性がある。
この点を考慮すれば、構造改革実現のための重要局面に立っている今の中国にとって、米国との貿易戦争を深刻化させる選択肢はないはずである。
(3)国際社会での中国の孤立を防ぐ
第3に、中国は最近、外資企業に対する技術強制移転政策や知的財産権保護の改善に対する取り組みの不十分さが指摘され、欧米諸国から厳しく批判されている。
この問題が背景となって、欧米諸国の経済界ではこの2、3年、反中感情が強まっており、特に最も中国ビジネスに熱心だったドイツの対中直接投資が急減している。
こうした状況下で、米中両国が関税引き上げの報復合戦に入れば、米国との関係が悪化するのみならず、欧州諸国まで中国から離反する動きを強める可能性がある。
米国の保護貿易主義政策に対しては欧州諸国やカナダなども厳しく批判しており、先のG7では米国が孤立した。
もし中国が自由貿易を擁護する立場を堅持し、米国の挑発に乗らず、WTOのルールを尊重する形で冷静な対応を続ければ、米国以外の国は中国のそうした姿勢を評価するはずである。
それは技術移転問題をめぐり孤立しつつある中国の立場を多少なりとも改善する効果が期待できるであろう。
代表的中国古典の「書経」では悪政で国民を苦しめた殷の紂王とそれと対峙した周の文王・武王の親子の故事が取り上げられている。この故事が現在の難局において中国が採るべき道を示唆しているように思われる。
殷の紂王は忠臣・良臣を排除し、紂王におもねる臣下を重要ポストに任命し、悪逆非道な政治を続け、殷の国民を苦しめた。
トランプ大統領は、本年2月から3月にかけて、政権発足以来かろうじて悪政に向かうことを防いでいた、ロバート・ポーター大統領秘書官、ゲーリー・コーン国家経済会議委員長、レックス・ティラーソン国務長官、ハーバート・マクマスター国家安全保障問題担当大統領補佐官を相次いで辞任に追い込み、それとともに保護貿易主義政策を発動し始めた。
この忠臣・良臣の排除と悪政の発動は殷の紂王の政治に重なる。
これに対して、周の文王・武王の親子は徳治によって国を治め、最終的には殷の国民自身が紂王の悪政の終焉を願う状況下、民意を汲む形で周辺国とともに殷の紂王を討伐した。
ここで重要な点は、周の文王・武王は紂王と同じ悪政の手段は用いなかったことである。
もし米中両国が関税引き上げ報復合戦をエスカレートさせれば、中国の対応は徳治とは呼べなくなる。
暴君の覇道に対しては、王道で臨むべきであるというのが中国古典の教訓である。
現代の政治状況では、自由貿易擁護の王道を歩むのは中国国内で弱腰外交と批判される大きなリスクを伴い、非常に難しい選択肢であるが、このような厳しい局面の時こそ政治の原点に立ち返ることが重要である。
米中貿易戦争が本格化すれば、中国経済が減速し、昨年からようやく中国ビジネスに積極化し始めた日本企業が大きな打撃を受ける。
のみならず、中国経済が構造改革を先送りした結果、将来その構造問題リスクが顕現化して中国経済が長期的に不安定化すれば、日本経済はさらに深刻な打撃を受けることになる。
すなわち、米中貿易戦争は対岸の火事ではなく、日本経済自身の安定保持の問題に直結しているのである。
もし中国政府が米国トランプ政権との関税引き上げ報復合戦を徹底的にエスカレートさせていく方針であれば、日本がそこに関与することは難しい。
しかし、中国政府が米国政府との関係改善を図り、貿易戦争の深刻化を回避したいと真剣に考えるのであれば、日本政府が果たせる役割は大きい。
中国政府は米国政府の中で、唯一ムニューチン財務長官とは建設的に話し合える関係があるが、その他の対中強硬派の主要閣僚との建設的な話し合いは困難な状況にあると言われている。
特に北朝鮮問題を巡って習近平主席とトランプ大統領との信頼関係は以前より弱まったと考えられている。報復合戦がエスカレートすれば、良好な関係確保がさらに難しくなることが懸念される。
そうした状況下、トランプ大統領に最も近い首脳は安倍晋三総理であるというのが世界の共通認識になっている。昨年までの日中関係であれば、外交面での日中協力はあり得なかったが、今年は日中関係が急速に改善している。
こうした状況下、中国が日本を介して米国との対話の糸口を探ろうとする場合、安倍総理を中心に日本が両国間のコミュニケーションと相互理解・相互信頼回復のための仲介役を担う可能性は十分考えられる。
これは米中両国を中心に世界が保護貿易主義化する流れを食い止める上でも非常に大きな意義がある。
第2次大戦後、米国は日本からの輸入品に対する欧州諸国の関税を引き下げるため、その代償として自国の関税を下げて欧州にメリットを与え、日本向けの関税を引き下げ、自由貿易を促進した。
そうした米国の献身的な支えのおかげもあって日本は戦後の復興を遂げ、日本経済は奇跡的な回復を実現した。
経済が隆盛だったかつての米国に対しては日本が貢献できる余地は乏しかった。
しかし、現在、米国では伝統産業が衰退し、かつての重工業集積地は失業と貧困を背景に治安が悪化し、深刻な社会問題となっている。いまこそ同盟国として恩返しのチャンスである。
日本企業が米国企業と提携し、日本企業の技術力によって米国の伝統産業を復活させ雇用を創出する。その投資の有効性を高めるためにはその地域のインフラ整備により、産業基盤を強化することが必要である。
そこで日本が主体となって、中国の協力も得ながら米国のインフラ整備を支援し、伝統産業の産業基盤を回復させる。
これは経済政策というよりむしろ安全保障政策である。短期的には日本企業の経済的メリットはあまり大きくないが、米国経済の回復促進、米中関係の関係改善を促すことは、日本の存立基盤にとって致命的に重要である。
かつて、戦後の米国が自国の利害を越えて世界経済のために貢献したのと同様、今この難局において日本がグローバル社会の安定のために果たせる役割は大きい。