メディア掲載 外交・安全保障 2018.07.17
先月12日に行われた史上初の米朝首脳会談では、共同文書に完全・検証可能・不可逆的な非核化を意味する「CVID」の文言が盛り込まれなかったことが批判された。更に、トランプ大統領自身が記者会見の場で、「今夏からの米韓合同軍事演習を中止する」と表明したことも「一方的な譲歩でないか」と大きな波紋を呼んだ。首脳会談前、多くの専門家は対北譲歩策の一つとして「B-1B爆撃機などの戦略兵器の展開中止」までは予測しており、米韓合同軍事演習に関しても、あくまで「非核化の最終段階で演習規模縮小などを段階的に行っていくだろう」といった観測が有力だった。ところが、トランプ大統領の発言を受けて行われた米韓国防当局による協議を経て、6月18日、今夏の合同軍事演習の中止が正式に発表された。翌19日には金正恩国務委員長の3度目となる中国訪問が行われた。同委員長は「米韓合同軍事演習中止」という手土産を持って、習近平国家主席との会談に臨むことができたのである。
米韓合同軍事演習は二種類ある。北朝鮮との全面戦あるいは局地戦を想定した米韓連合軍の作戦計画に基づき両軍の陸海空・海兵隊の4軍によって行われる大規模なものと、米韓の同じ軍種間で行われる小・中規模な演習・訓練の二つだ。前者の大規模演習には、毎年3月に行われるコンピュータによる指揮所演習「キー・リゾルブ(略称:KR)」、毎年3月から4月にかけて行われる野外機動演習の「フォール・イーグル(FE・韓国名はドクスリ)」に加え、毎年8月中旬から行われる「乙支(ウルチ)フリーダム・ガーディアン(UFG)」の3つがある。北朝鮮が事あるごとに「北侵戦争騒動」と非難し、中止を求めてきたのがこれら3つの演習なのだ。一方、後者の小・中規模の訓練には、5月に米韓両空軍が実施した「マックスサンダー」等、米韓両軍の同じ軍種間で行われる定期訓練が主体である。
当初、北朝鮮の非核化を推進するために中止となるのは、前者3つの大規模演習だと予想されていた。しかし、今回はUFGに加えて、米韓海兵隊による合同演習(KMEP: Korean Marine Exchange Program)も中止リストに加えられた。また、来春のKR&FEは、「北の非核化の進展状況を見ながら実施の可否を判断する」とし、「必要に応じていつでも再開できる体制を整える」ものとされた。
今回中止が決まったUFG演習は、韓国政府の国内危機管理担当官庁である行政自治部主管の軍官民による共同演習(乙支演習)と、米韓の軍事指揮所演習(フリーダム・ガーディアン演習)の二つで構成される。後者は、北朝鮮による局地挑発に対する韓国軍単独または米韓共同の対応能力の向上を目指し、全面戦における米韓連合軍の作戦計画に基づき、コンピュータによるシミュレーションを使用して行われる。
通常韓国大統領は乙支演習初日に、青瓦台・地下バンカーにおいて国家安全保障会議(NSC)を招集し、関係閣僚や大統領府スタッフは同会議に出席して、緊急事態対応の手順を各自確認することになっている。ここでいう緊急事態には、北による軍事挑発にとどまらず、韓国国内で発生した重大な自然災害なども含まれる。乙支演習の目的には軍事以外の多様な危機に米軍と合同で対処する能力を訓練することも含まれるのだ。
米韓合同軍事演習の効果は、米韓連合戦力の連携強化だけでなく、在韓米軍以外の米インド太平洋軍隷下の部隊、特に在沖海兵隊を中心にした在日米軍部隊の練度向上にも重要な役割を果たしている。近年の例を見ても、岩国基地所属のF-35Bや普天間基地所属のオスプレイのような最新装備品が実戦配備後に米韓合同演習に参加している。陸海空・海兵隊の4軍を統合戦力として訓練できる絶好の機会だからだ。
韓国軍自身も演習による大きなメリットを享受している。6月14日付朝鮮日報では元韓国軍将官の「連合訓練は韓米戦闘体制を固めることはもちろん、我々がとても安い授業料を出して、世界最強の米軍から戦争ノウハウを学ぶ機会1」というコメントが報じられた。この言葉が端的に示すように、統合軍事演習は韓国軍4軍の戦力強化に大きな役割を果たしている。
また、最近の米韓合同軍事演習の特徴としては、戦略兵器である米空軍のB-1B爆撃機や海軍の原子力潜水艦が頻繁に参加するだけでなく、米韓両軍の特殊作戦部隊による合同訓練の様子を公に「見せる」ようになったことが挙げられる。昨年まで米韓両軍は「北の指導部除去」を高らかに掲げており、昨年春のKR&FEには過去最大規模の米特殊戦力が参加したとされる。北朝鮮にとっては、米韓合同軍事演習のために圧倒的な米軍戦力が朝鮮半島に集結するという「量的な脅威」だけでなく、米軍戦力の種類が多様化したことで「質的な脅威」も増すという、より深刻な状況になりつつあったのだ。
米韓連合戦力と韓国軍の能力向上が日本の安全保障に貢献してきたことは紛れもない事実である。一方、中国から見れば、対北朝鮮の圧力強化策の一環として行われる米韓、日米、日米韓による連携の強化は、脅威以外の何物でもない。
振り返れば、昨年5月以降、グアムから米空軍B-1B爆撃機が朝鮮半島に頻繁に飛来し、その都度、航空自衛隊と韓国空軍の戦闘機と共にそれぞれの防空識別圏内を編隊飛行した。日本では報道されていないが、昨年のUFG演習開始直前の8月18日、米国防衛産業大手のロッキード・マーチン社は、B-1B爆撃機からの新型長距離射程空対艦ミサイル(LRASM)発射に初めて成功したとする実験映像を自社ホームページ上で公開している2。同ミサイルは今年からB1-Bに、来年からはFA-18E/Fにそれぞれ搭載される予定であり、こうした映像が米国に対抗し海軍力を増強しつつある中国を刺激したことは確実だろう。
このように米韓合同軍事演習は対中抑止力としても機能していたのであり、同演習の突然の中止は、東アジア地域の安全保障環境に大きな変化をもたらす可能性があるだろう。ベル元在韓米軍司令官は「米韓合同軍事演習中止後、6〜9カ月以内に演習を再開しなければ、司令官を含めた軍事力が萎縮する(atrophy)」と発言している3。また、今夏在韓米軍司令官が、ブルックス陸軍大将から、米陸軍総軍司令官のエイブラムス陸軍大将に交代することが内定したとも報じられている。エイブラムス大将はこれまで中東地域を中心に作戦指揮を執って来たが、仮に同大将が今年夏在韓米軍司令官に就任しても、通常在韓米軍幹部を含む在韓米軍首脳部が1〜2年で配置転換されることを考慮すれば、最悪の場合、今後半年以上韓国との大規模統合軍事演習が行われない可能性もある。その場合には、米韓連合戦力の有事における即応性や米インド太平洋軍隷下の部隊に影響が出ることも避けられないかもしれない。
韓国軍はUFG演習の中止という穴を埋めようとするかのように、5月から延期していた韓国軍単独の「太極演習」を8月中旬に、通常よりも1週間長く行うとされる4。これについては戦時作戦統制権返還を見据えた韓国軍独自の能力強化を図る動きとの分析もある。米韓合同軍事演習の中止は、単に北朝鮮の非核化を巡る動きの一環ではない。もし、こうした動きが米韓同盟の質的変化の序章だとすれば、我が国にとって無視できない問題が顕在化することもあり得るだろう。
先月28日に訪韓した翌日、マティス国防長官は京畿道(キョンギド)・平澤(ピョンテク)市にある在韓米軍司令部の開所式に参加し、これによりソウル中心部の龍山(ヨンサン)基地からキャンプ・ハンプフリーへの移転が正式に完了した。多くの米軍関係者とその家族はすでに新司令部に引越を済ませ新生活を始めている。同キャンプへの司令部移転は2016年に開始され、本年には移転作業が完了、2020年までには在韓米軍の家族や軍属4万人以上が居住するようになるとみられる。同移転計画にはすでに1兆5000億ウォンの韓国政府資金が投じられたとも報じられた。
筆者は先月12日の米朝首脳会談後に出張でソウルを訪れたが、現地で驚いたことがある。TVニュース番組の間に「平澤米軍基地正門前徒歩5分の優良物件」、「今後安定的な収入が見込めます」など、在韓米軍関係者居住を見込んだ投資用マンションのCMが頻繁に流れていたのだ。すでに、平澤基地のゲート周辺には米軍関係者向けの立派な賃貸一戸建て住宅が並ぶ「レンタルハウス村」も出現し、基地周辺の土地価格は他の地域に比べて大きく上昇しているという。それだけではない。移転元の南北軍事境界線に近い京畿道では、北部地域に残る米軍基地の返還が、南北融和の一環として促進されるのではないかとの期待が高まっているそうだ。総人口の半分がソウルを中心とする首都圏地域に集中する韓国で米軍基地跡地は、将来の大規模都市開発を可能とする残り少ない貴重な土地なのである。
盧武鉉政権時代に計画された米軍基地・司令部の移転は、激しい反対運動を乗り越え、地元の理解を得て、ようやくこの日を迎えたという経緯がある。日本では、「文在寅大統領が進歩系で親北だから、在韓米軍撤退を求めている」といった指摘も散見されるが、韓国政府が在韓米軍撤退を求めるという見方は現段階では合理的ではない。新たな米軍基地により地域経済が発展へ向けて動き出しただけでなく、軍事的に見ても、韓国独自の国防力建設が道半ばだからだ。韓国政府の懸念は、むしろ、トランプ大統領がこうした韓国の足元を見ながら、在韓米軍駐留費負担増や戦略兵器派遣に伴う費用負担要求などでディール(取引)を仕掛けてくることではないだろうか。
米朝首脳会談の翌日に行われた韓国の地方選挙では与党が大勝し、野党の保守政党は指導部が総退陣した。野党側の新指導部選びは党内の主導権争いによってまとまらず、その政治的影響力の低下は避けられない。1、2年前なら、米韓合同軍事演習の中止など全く考えられない状況にあったが、今や国民世論はこれを許容するようになった。このようにして、今後在韓米軍の縮小や合同演習の中止などが、なし崩し的かつ、米国単独または米韓間だけで決まっていくようになれば、我が国の安全保障に多大な悪影響をもたらすことは確実だろう。一方で、北の非核化措置に向けた動きに重大な疑義が生じれば、米朝関係が一気に昨年のような軍事的緊張状態に戻る可能性も排除できない。我が国にとっては、北朝鮮の非核化の進展度合いとは無関係に、当面座視できない状況が続くだろう。我が国が、米韓同盟の急激な構造変化にも備え、安全保障戦略の再構築を迫られる時が近いうちに来るかもしれない。
脚注(外部のサイトに移動します)
1: ユ・ヨンウォン「【萬物相】韓・米連合訓練」『朝鮮日報(韓国語版)』2018年6月14日
2: "LRASM TACTICAL CONFIGURATION TAKES FIRST FLIGHT FROM USAF B-1B Flight Test Marks the First Tactical LRASM Success"ロッキード・マーチン社、2017年8月18日
3: VOA Korea、2018年6月21日
4: 『アジア経済』2018年7月4日