コラム  外交・安全保障  2018.04.26

日報公開をイラク派遣検証の奇貨とせよ

 先週、イラク派遣部隊の日報の一部が公開された。

 日々の個別作業の概要について、また刻々と変わる情勢の把握状況についてなど、詳細な情報が記載されたものだ。派遣部隊が現地で活動中、そもそもどのような動向に留意し、いかなる情勢認識にあったのかなど、これまで判然としなかった情報を含めた貴重な一次資料である。もちろん、面白いと話題になっている連絡将校の日々報告も、多国籍軍といかなる調整を行い、どのような関係を築いてきたのか、とても興味深いものだ。

 そうはいっても内容としては、基本的には既に出ている情報の詳細版といったところで、大きな目新しさはない。一部で話題になった仕掛け爆弾による車両損傷や、追撃砲が打ち込まれたことなどは、今回新たに明らかになった情報でさえない。もとよりすべてに目は通せていないが、イラク派遣の是非の判断に供するという点から、今回出てきた日報について言えることは、「今まで明らかにされていた内容が改めて日報で確認された。ただし詳細に」といったものである。

 他方、日報内に多数存在した「戦闘」という表記を巡り、イラクが戦闘地域だったのか非戦闘地域だったのかという議論が連日行われている。

 10年以上前の派遣時の議論と同じ光景である。

 当時、日本政府はイラク戦争発生後の状況を注視しつつ、主要な戦闘終結の段階に到ったことを確認した。その後のイラク復興支援を行うために自衛隊を派遣しようとすると、その根拠となる法律が必要だった。イラクと米国による国際的な武力紛争の現場への自衛隊派遣は、憲法の禁ずる自衛隊による武力行使の懸念があって困難である。しかし、このような段階であれば、国家間の戦闘はもはや存在しない。そこで、そうした「非戦闘地域」に派遣できるとした自衛隊派遣の根拠法、イラク特措法が制定された。

 「非戦闘地域とはイラクのどこか」と問われた小泉首相は、「自衛隊が存在する地域は非戦闘地域ということになっている」と、答弁を行った。ここに非戦闘地域という概念の本質が現れている。 イラク派遣に賛成しようが反対しようが、常識的に考えてまだ何か危険の残る場所に自衛隊を出していることは誰しもわかっている。しかし法的にはそれでは困る。このために非戦闘地域、すなわち「現に戦闘行為が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる地域」という概念が設けられた。

 非戦闘地域とは、戦闘が存在するか否かを示す概念ではない。あくまでも、日本の憲法上問題となる国際的な武力紛争、すなわち国または国に準じる組織による戦闘が存在しない空間を指す概念である。したがって、国または国に準じる組織として認定困難な正体不明の武装勢力や民兵組織などから追撃砲を撃たれようと、仕掛け爆弾にあおうとも、法的には、そこは非戦闘地域なのである。非戦闘地域という概念はそういうものだ。

 現実と乖離しているこの説明を肯定するものではない。派遣を継続するために、法律上の言葉に無理矢理事態を矮小化させ続けるしかない状況は、他に派遣する方法があるのかという点を差し引いても、法匪といわれてもやむを得まい。しかし、「戦闘が行われていたではないか」、「本当に非戦闘地域だったのか」といった指摘への回答は、「(法的には)非戦闘地域であった」としかならない。そもそも非戦闘地域とはそういう概念なのであり、「戦闘」に係わる議論は、そこに落とし込まれる構図にある。

 それをわかった上で、それでも追求が必要だとすることの意義は否定しない。しかし、生産的とはいえまい。

 今回の日報の公開は、イラク派遣期間中の派遣部隊の活動について、はじめて全般の情報が国会に提示されたものである。派遣部隊が人道復興支援活動と安全確保支援活動にどのように取り組み、いかなる困難に直面したのか。隊長(群長)をはじめとする幹部や各部隊はどのような活動を実際に行っていたのか。部隊の一日のスケジュールまで含めて、初めて公開されたのである。それは、イラク派遣について議論し、判断するための一次情報が、初めて国会に提示されたということだ。その意味を軽視すべきではない。

 この際、自衛隊の派遣を決めた国会として、これを材料に、イラク派遣全体を再検証してはどうか。活動の過程で、派遣部隊がどのような危険に直面したのかはその一つではある。しかし、派遣部隊はそもそも、危険対応、ましてや戦闘を目的に派遣されたのではなく、一義的にはイラクの国家再建のために派遣されている。

 つまり、イラク派遣が、どのような意味のある活動だったのか、目的とされたイラクの再建への寄与、またイラクの人々の生活の立て直しなどにどのように効果を上げたのか(あるいは上げなかったのか)、という観点からの検証である。効果がなかったのであれば、活動の改善、あるいはそもそも再び同種の活動に自衛隊を派遣することを再考することも必要だろう。平和安全法制の過程で「戦争法」と揶揄された「国際平和支援法」は、まさにイラク特措法が一つのモデルであることを考えれば、その意義は決して小さくない。幸いにも現在、ジブチ拠点での警備と運営とを例外に、陸上自衛隊部隊の国際活動への派遣は途絶えている。いま、イラク派遣を議論し、検証する時間は十分にあるのではないだろうか。