コラム 国際交流 2018.04.04
世界中で多くの人が米国の現政権に対し不安を懐いている。3月5日、元財務長官でハーバード大学のローレンス・サマーズ教授はCNNのインタビューを通じて、また15日には、元大統領経済諮問委員会(CEA)委員のロバート・ローレンス教授が小論を通じて、現政権の狭隘かつ短期的な政策を批判した("Trump's Tariffs Shoot Our Economy in the Foot"と小誌2の"Five Reasons Why the Focus on Trade Deficits Is Misleading"を参照)。残念なことに、彼等の声は政権には届かず、大統領は3月下旬、保護主義的な色合いを一段と強める貿易政策を発表した。
外交分野では、小誌前号で北朝鮮に先制攻撃を唱えるジョン・ボルトン氏の小論に触れ、筆者は事態の行く末に不安を感じていた("The Legal Case for Striking North Korea First," Wall Street Journal, February 28, 小誌前号2参照)。それからしばらく経った先月23日未明(日本時間)、筆者のiPhoneに「ボルトン氏、大統領補佐官に」との速報が届き、更なる戸惑いが生じたのだ。だが、不安と疑念が蔓延する今こそ、世界全体を俯瞰して長期的視点に立つ戦略を知的かつ冷静に練り上げる時が到来したと楽観的に考えたい。こうした理由からイェール大学のジョン・ルイス・ギャディス教授の新刊書を読み始めた(On Grand Strategy, 次の2参照)。
平和と繁栄を脅かす観測が数多く出現するなかでAIやロボットの開発競争に注目している。3月3日に東京大学で開かれたシンポジウム(Ethical and Legal Issues on AI and Robotics)で、ジョージア工科大学のロナルド・アーキン教授の講演に感銘を受けると同時に、長足の進歩を遂げるAI・ロボット技術とは対照的に牛歩の歩みに映る法律・倫理分野の国際的協調に不安を感じている-そして関連分野の新刊書(Outsourcing War to Machines, 次の2参照)と同時に遅まきながらアーキン教授の本(Governing Lethal Behavior in Autonomous Robots, 2009)を読み始めている。ところで米議会が2018会計年度予算案を可決したばかりだが、連邦政府の研究開発費は、行政管理予算局(OMB)が今年度から計上方法を変え、しかも過年度遡及処理をしないため比較が難しい(例として米議会調査局(CRS)資料"Federal Research and Development Funding," 小誌前号2を参照)。かくして筆者は毎日頭を抱えている。
欧州に目を向けても、国家、社会の両レベルで猜疑心と対立が広まり、ポピュリストの胎動が不気味な様相を示している。こうしたなか、先月、筆者は英国の友人に対し次のような意見を述べた。
「旧東欧諸国の対露警戒心は強くなってきた。3月15日発表の北大西洋条約機構(NATO)の軍事費関連資料("Defence Expenditure of NATO Countries")を見ても、バルト海沿岸のリトアニアやラトヴィア、そしてルーマニアの軍事費の伸びが顕著だ。そして歴史好きのボクが最も懸念しているのは-ケンブリッジ大学のドミニク・リーヴェン教授が既に指摘している点だが-ロシアの外交史料館(АВП)が一段と「排外的」になることだ(同教授の著書(Towards the Flame, 2015)を参照)。
例えば第二次大戦時の日ソ関係に関しソ連側収蔵史料を知りたい-1941年3・4月の松岡洋右外相の訪ソに関する文献(西春彦『回想の日本外交』等)は「55分は松岡外相がしゃべって、あとの5分をスターリンがしゃべった」と記し、しかも外相は「日本は神代の時代から共産主義」と述べ、天皇を頂点とする「道徳的共産主義(моральный коммунизм)」、や"八紘一宇(Хакко ити у)"を語ったと記している。翻ってモロトフ外相は「ソ連にとってのポーツマス条約は、ドイツにとってのベルサイユ条約と考えなければ"大間違い(грубой ошибкой)"」と語り、「ポーツマス条約は恒久的ではなく変更の対象だ(Портсмутский договор не может оставаться вечно без изменений и подлежит исправлению.)」と述べたらしい。このように松岡外相をはじめ当時の指導者は直接対話を行っていながら、ソ連の対日参戦に対して警戒心が希薄で、結果的に満洲に居る多くの非戦闘員の命を守れなかった。だからボクはソ連側の史料を基にこうした史実を確認したいのだ」、と。