メディア掲載 外交・安全保障 2018.02.21
1. リスク:「生き残り」をかけた核・ミサイル開発
2017年夏、北朝鮮の軍事挑発により朝鮮半島情勢はこれまでにない緊張状態に陥った。北朝鮮は7月4日に「火星14号」と呼ぶ弾道ミサイルを発射、「初の大陸間弾道ミサイル(ICBM)発射に成功した」と発表した。後日、米国も「発射されたミサイルはICBMである」との認識を示したが、同月28日には同型ミサイルの2回目の発射にも成功している。8月29日には中距離弾道ミサイル(IRBM)「火星12号」が発射され、日本上空を通過して太平洋上に落下した。さらに、北朝鮮は9月3日に6回目の核実験も行い、「ICBMに搭載するための水爆実験に成功した」と発表する。わずか2カ月間に北朝鮮の挑発は米国が許容できるレッドラインを越えたのではないかとの懸念が内外で深まり、米国による対北朝鮮軍事行動がにわかに現実化している。
朝鮮半島有事のリスク要因となっているのは「北朝鮮の生存戦略によって生じる不確実性」である。より具体的には、北朝鮮が自国の生存権を確保するため、抑止力としての核兵器とその運搬手段となる弾道ミサイルを開発することがリスクを生み出している。周辺国は北朝鮮による現状変更を容認することができず、特に北朝鮮の挑発対象となっている米国との対立は、米朝双方の非難の応酬によってエスカレートするばかりである。
米朝両国や関係国は朝鮮半島に戦争の惨禍が再び訪れることを望んでいない。しかし、一度朝鮮半島有事となれば、南北軍事境界線付近に配備されているといわれる北朝鮮の長距離射程砲等が一斉に南へ向けて火を吹き、韓国の首都ソウルを中心とした首都圏地域は火の海となる可能性がある。これら通常兵器に加え、北朝鮮は射程の異なる多様な弾道ミサイルとそれらに装填可能な大量破壊兵器である核・化学・生物兵器を保有しているとされる。米ジョンズ・ホプキンス大学の研究グループは、北朝鮮が核兵器を搭載した弾道ミサイル複数発を使用して日韓両国の首都を攻撃した場合、両国で死者が約210万人に達するとの試算を公表した。このように米朝が軍事衝突すれば多大な被害が発生するとの見方が支配的である一方、米軍によるサージカル・ストライク(ピンポイント爆撃)によって、金正恩朝鮮労働党委員長自身や政権幹部に対する精密攻撃を成功させれば、北朝鮮軍の指揮系統は混乱し大規模な反撃が不可能になるとの楽観的な見方もある。さらに、たとえ北朝鮮から相応の反撃を韓国が受けたとしても、ソウルへの砲撃を行う長射程砲の砲弾はコンクリートを貫通することはできず、爆発による破壊力も限られることから、事前に適切な場所に避難すれば人的被害は少なくてすむとの分析もある。
以上のとおり、朝鮮半島における軍事衝突をめぐっては楽観論と悲観論がある。しかし、1953年の朝鮮戦争休戦以来、主に陸上戦力が南北の軍事境界線付近で対峙してきた時代は終わり、今や戦闘は陸海空の戦力だけでなく、宇宙とサイバーという新しい領域(ドメイン)をも含むようになっている。朝鮮半島での軍事行動がもたらす結果予測はより難しくなり、朝鮮半島有事リスクの不確実性もいっそう増しているといえるだろう。
2. 背景:「北朝鮮の技術レベルの過小評価」と「米外交における対北政策の優先順位の後退」
有史以来、周辺の大国から常に侵略の危機に直面あるいは陥ってきた朝鮮民族にとって、他国から絶対的に干渉されない生存権の獲得は民族の悲願である。それを実現するために北朝鮮が出した答えは、金一族が絶対的な権力を握る独裁体制の下、米国だけでなく周辺国に対しても抑止力となる核兵器と弾道ミサイルを保有し、同時にわずかながらも着実に一定の経済成長を実現させる「並進路線」政策を推進することだった。圧倒的多数の国民が貧しさに苦しんだとしても、北朝鮮は国家生存のため資源を集中投下し、核・ミサイル開発を着実に推進するという一点に執着しているのである。
しかし、北朝鮮が米国本土を直接攻撃できる手段をもちつつあるという現在の状況は、米国をはじめ周辺国が北朝鮮の能力を過小評価してきた代償にすぎない。確かに、北朝鮮は外部との交流が極度に制限された閉鎖国家であると同時に、経済的失政を重ね90年代後半の「苦難の行軍」と呼ばれる飢饉による食糧難の苦しみを国民に強いてきた失敗国家(failed state)注1)でもある。それゆえに、貧しい北朝鮮には資金力と技術力が決定的に不足しており、「ICBMの開発や核兵器の小型化は難しい」との楽観的分析が長年支配的だった。一方、北朝鮮は世界各地に出稼ぎ労働者を派遣し、武器を違法かつ秘密裏に中東・アフリカ諸国等に売却するなど、資金調達面では着実に外貨を獲得してきたといわれている。技術面では、外国製の民生品を巧みに活用し軍事技術に転用した。科学者を中国等に留学させ重要技術の獲得にも努めた。自国のサイバー戦能力を強化し、主に韓国等から重要技術情報を盗み取ってきたといわれている。このように北朝鮮はあらゆる手段を駆使して核・ミサイル開発に資源と情報を投入してきたのである。
注1)「 失敗国家」とは、国家機能停止やガバナンス不全等により、国民に対して安全・社会福祉等の基本的なサービスを提供できない国家を指す。世界各国の「失敗国家」度合いを評価する米平和基金会(The Fund for Peace)が発行する「Fragile State Index」によれば、北朝鮮の「失敗国家」スコアは近年若干の改善傾向にあるが、最も厳しい"alert"評価である。
国際政治の観点からは、2001年の米国同時多発テロ発生以降、米国が対テロ戦争で疲弊していく一方、高度成長を続ける中国の影響力が飛躍的に増大した。米国にとって外交安全保障政策の優先順位は、第1に中東地域、第2に中国による東シナ海や南シナ海への海洋進出による対応となった。対北朝鮮政策で抜本的解決策を追求する余力がなくなった米国は、「現状維持」を選択せざるを得なかったのである。
2016年は朝鮮半島を取り巻く安全保障環境の転換点であった。北朝鮮は年初に4回目となる核実験を実施、2月には地球観測衛星を積んだロケットと称する飛翔体を発射、3月以降には短・中距離型の弾道ミサイルを中心に、さまざまな種類のミサイル発射を行っただけでなく、8月末には潜水艦からの弾道ミサイル発射(SLBM)にも成功した。わずか半年間に周辺国の安全保障政策の前提条件を根底から覆すような「成果」を世界にみせつけたのである。
3. 注目点:米朝交渉の行方と在韓米軍人家族の動向
今後最も注目される点は、米朝関係が首脳間の言葉の応酬によりエスカレートした結果、両国間で実際に軍事力衝突が起きるのか、または外交交渉が実を結び地域の緊張緩和へ向かうのか、に大きく分けられる。
トランプ大統領の発言をみる限り、北朝鮮に対する軍事力行使を排除せず、「北朝鮮を完全に壊滅するほか選択肢はない」といった強硬な姿勢が続いている。CIAのポンペオ(Michael R. Pompeo)長官も雑誌のインタビューで、「外交で解決できなかった場合に備え、秘密工作や米国軍による支援等いくつかの選択肢を検討している」と明言した。CIAはすでに2017年5月に「コリア・ミッションセンター」と名づけられた対北専門の情報収集組織を設立している。8月には数十人のCIA要員が韓国に渡り情報収集活動に従事しているとも報道された。在韓米軍も情報収集能力向上のため、在韓米軍第8軍の第501情報旅団所属第524情報大隊の創設を準備している。インテリジェンス面では大統領や国防長官のいう「すべての選択肢がテーブルの上にある」という発言を裏づけるような従来にない動きをみせている。他方、軍事面では、米国が従来他国に対する軍事行動を選択した際にみられたような複数の空母の半島周辺集結等の特異な動きは現在のところ把握されていない。
北朝鮮も強硬姿勢を崩していない。2017年10月7日に開かれた朝鮮労働党中央委員会総会の席で、金正恩委員長は「並進路線」に言及し、「わが党がこの路線を堅持してきたのは極めて正しく、今後も変わることなくこの道を進むべきだ」と発言をしたことからも、金政権はすでにスケジュール化された一連の核・ミサイル開発計画を推進することに変わりがないことは明らかである。
今後、朝鮮半島有事リスクが顕在化する場合の兆候について、多くの韓国人は「米軍人家族の動向」に注目している。1994年の第一次核危機の際に、米国が対北攻撃を計画し、韓国側に通知することなく在韓米国人の国外退去命令の準備をしていた記憶があるからである。折しも、在韓米軍の再編計画は完了しつつあり、米軍部隊は軍事境界線付近に残った一部を除き、ソウル南方平澤市のキャンプ・ハンフリーズへの移転がほぼ実現しているとされる。同基地は米軍家族のための住居や学校、遊興施設に加えて滑走路まで備えており、近くには在韓米軍烏山空軍基地や韓国海軍基地のある平澤港もあるので、軍人家族や一般米国人の国外避難は以前より容易になると考えられる。有事発生の可能性が生じた場合、在韓米軍関係者の動向に関する兆候はある程度早い段階でわかる可能性がある。彼らは現地に住み、韓国人や日本人といった駐在外国人との交流が多いからだ。いずれにしても、米国人の国外退避が以前よりも迅速に実施される可能性は念頭に置いた方がよいかもしれない。
2017年10月に入り、米朝間の言葉の応酬は沈静化しつつある。米国のティラーソン(Rex W. Tillerson)国務長官は北との直接交渉を認め、水面下で両国がコンタクトを取っていることを明らかにしたからだ。トランプ政権内では外交交渉と同時並行で「あらゆる選択肢」を考慮するための準備が進行しているものと考えられるが、実際に軍事衝突につながる可能性については依然として予断を許さない。
(2017年10月10日脱稿)