メディア掲載  エネルギー・環境  2017.12.11

【人類世の地球環境】情報がタダになったら地球環境問題は解決されるか?

株式会社 オーム社 技術総合誌・OHM11月号に掲載

 ICTが進歩して、YouTubeで音楽と映画はタダ同然で手に入るようになった。いずれ小学校から大学まで一通りの教育もネットでタダになるだろう。料理のレシピもタダで手に入るようになった。もちろん、企業は懸命に情報を囲い込んで収入源にしている。だが長い目で見れば、こういった追加的なユーザーのためのコピーに費用がかからない情報、つまり限界費用ゼロの情報は、タダ同然に安くなっていく傾向にあるという。

 一口に情報といっても様々なものがある。思いつくまま列挙すれば


  • ・酢酸の分子式は何か
  • ・物理学者アインシュタインのファーストネームは何か
  • ・ヨーグルトを食べると痩せるのか
  • ・酒は1日何合まで飲んでいいのか
  • ・踵が痛いが、治療法は何か
  • ・シリアの紛争は何故起きたのか
  • ・2%のインフレは起きるのか

  •  Googleで検索すると、すべての問いに答えが返ってくる。だが、これが本当かどうかは今でも自分で確かめなければならない。酢酸の分子式やアインシュタインのファーストネームのような、誰が調べても同じことであれば、間違えた答えに到達することはない。それに、複数のサイトを比較して確認することもできる。

     痩せる食品、飲んでいい酒の量など、健康についてはどうだろう。ネットに答えは溢れかえっているが、どうもウソっぽいものが多い。ただし、これはネットに限ったことではない。巷の本もあまり信用できない。きちんとした肩書きがある、つまり権威ある専門家の見解を学んで、自分で納得できるかどうかで決める。シリアの紛争やインフレの話など、社会や経済に関わることも同様に、権威を頼りにしつつ自分で答えを探す。

     こうしてみると、数学、自然科学・工学や、簡単な事実関係等、人によって意見が割れないものは、検索結果をだいたい信じることができる。

     だが、健康、経済、社会、時事問題など、問題が複雑になると、検索しても答えは溢れかえってしまい、すぐ正解に行き着くということはない。

     ICTで情報がタダになると書いたが、これは情報理論で数学的に定義されるところの情報、つまりビットの羅列をやり取りするコストがタダ同然になる、というだけのことである。ところが通常、人間が「情報」と言う時には、これよりももっと広い意味で使っている。つまり内容が信用できるのか、情報発信者は信頼できるのか、といったことを含んで「情報」と呼んでいる。ビットの羅列だけでは、これは分からないし、ねつ造することもできるから、信用・信頼といった属性は、そのビットの羅列の外部から与えてやらねばならない。「私は信頼できます」とビットの羅列の中で自己申告されても、そう額面通りには信頼できない。

     AIが進歩してもこれは変わらない。もちろん、数学や、ニュートンの法則のような、自然科学の記述であれば、AIが誤りを発見することはできるだろう。だが社会問題となると、ネット上で溢れかえる複数の説について、どれが正しいという判断はできない。某国のネット上で公開トレーニングを受けた人工知能が、政府を批判するようになったので、サービス停止になったという事件があった。人工知能は社会の意見の違いをそのまま反映するだけである。

     自然科学の範疇ですら似たことが起きる。進化論は日本では科学的事実として受け入れられているが、米国では、今でも宗教上の理由から否定する人がたくさんいる。科学的な事実関係をいくら積み上げても、人間の信念や意見は容易に変わらない。人工知能は進化論を受け入れるようにも作り込めるし、否定するようにも作り込めるだろう。

     ビットの羅列がタダ同然になると、生産工程を改善して、エネルギーや資源の利用効率を今よりもはるかに高くすることができる。これは工学の範疇で作り込まれたAIの得意技で、地球環境問題にも解決策を与える。

     だがその一方で、AIは企業収益を最大化したり、消費者満足度を最大化するようにも作り込まれ、抵抗し難い、魅力的な提案をするようになるだろう。帰宅時には風呂も部屋も温まっている。最新の衣服を毎日ネットで取り寄せて着る。山海の珍味の料理を毎日宅配で食べる。最高級の医療を受ける。完璧なプランで海外旅行をする。

     どのAIを信頼するかは人によりけりで、同じ人ですら、時により異なるだろう。様々な範疇や価値観で作り込まれたAIたちを活用して経済活動と地球環境と調和させることは、人間の大事な仕事として残る。