コラム  財政・社会保障制度  2017.10.13

衆院選挙の争点を解く-消費増税「使途変更対凍結」の奇妙さ-

 去る9月28日、第194臨時国会冒頭で衆議院は解散された。その結果、10月22日に第48回衆議院議員総選挙が行われることになり、国論は揺れている。希望の党の出現によって、野党第1党であった衆議院民進党はあっという間に消滅。安保法制に反対した民進党の一部は、希望の党が示した政策協定書、いわゆる「踏み絵」を拒否し、立憲民主党を立ち上げた。そのため、選挙の対立の構図は、当初予想の自民対民進から大きく変わり、自民、希望、立憲民主野党連携の三つ巴の争いとなった。

 しかし、構図は3極で分かりやすくなったが、争点は必ずしもそうではない。解散後の報道は、小池劇場とも揶揄された新党結成をめぐる政治的駆け引きに関心が集まり、争点が取り残されていたからだ。ようやく公示日2日前の10月8日、日本記者クラブで開かれた8党党首討論会に至って、各党の公約や論点が明らかとなった。

 政権を争う自民、希望の両党は、消費増税や原発政策などをめぐって対立。一方、憲法・安保法制では自民・希望が近い主張を展開し、立憲民主、社民、共産党連合と対立するなど、争点ごとに対立軸が異なる。しかし、その違いの境い目や主張の具体策は必ずしも明確ではない。

 そもそもの分かりにくさは、解散の理由から始まっている。安倍首相は、「国難突破解散」とし、北朝鮮問題への「圧力」政策への支持を国民に問うとした。しかし、北朝鮮問題を本当に国難と位置付けるなら、常識的には、衆院で安定多数をもつ自公政権が任期満了まで政権を継続すればよいはずだ。国政の隙をつくるような選挙はむしろ行なわないほうがよい。

 もう一つの理由として、安倍首相は消費増税の使い道を挙げた。2019年10月に予定される10%への消費増税に伴う増分の一部を、基礎的財政収支の2020年度黒字化をめざす借金返済のペースを遅らせてでも、幼児教育の無償化などに回すとして、大きな使途の変更は国民に信を問う必要があると説明した。

 しかし、安倍政権が消費税の使途の変更を望むなら、本来、国民に問う前に国会で論議を十分尽くすのが民主主義の常道だ。解散理由として消費税のような経済問題を挙げるなら、なぜもっと大きく「アベノミクス」の決算を問わなかったのか。そのため、与党からでさえも、使途変更は解散の大義として弱すぎるのではとの疑問の声が上がった。このように解散理由に後づけ感があることに対して、野党は「森友・加計隠し解散」と反発した。

 一方、希望、日本維新、立憲民主ら野党は、消費増税を「凍結」あるいは「中止」する立場を明確にした。特に、希望の党は「ユリノミクス」と名付けた経済政策プランを打ち出した。消費増税凍結に伴う代替財源として、大企業の300兆円にのぼる内部留保への課税を検討するという。小池代表は、2%でも6兆円の財源となると述べている。しかし、それは法人税との二重課税になる懸念もあり、与党側ではその実現性を疑問視する声が強い。たとえ当面の財源は確保されても、結局、景気や企業社員給与へのマイナスの影響が起こりかねないため、消費増税を「凍結」するメリットが失われる恐れがある。

 そのような懸念は、金融緩和と財政出動に過度に依存せず、民間活力を引き出すという「ユリノミクス」の理念に対して、どう矛盾しないのかが問われよう。さらに、提案された「ベーシックインカム」の導入は、そのための財源確保の新たな問題を提起する。2020年度までの基礎的財政収支の黒字化目標は、現実的なものに訂正するとされるが、その場合、ベーシックインカムによる新たな負担がどの程度のマイナス影響をもつのかも、現時点では明確でない。陰りが指摘される「アベノミクス」に対して、「ユリノミクス」が果たして本当にプラスの経済効果をもたらすのか、これからの議論が必要である。

 いずれにせよ、果たしてこのような消費増税「使途変更対凍結」の争点は、政権選択が求められる国民にとって望ましいものであろうか。答えは明らかに否だ。なぜなら、国民にとっての最善のシナリオとは、消費増税をしなくても安定財源が確保され、基礎的財政収支は予定通り黒字化し、社会保障も拡充されることだからだ。しかし、どの政党の公約も、その具体的シナリオを示していない。ではなぜ、この最善のシナリオが語られないのであろうか。

 その理由は簡単である。これまでの政策立案の常識からすれば、そんなバラ色のシナリオは実現不可能な夢想に過ぎないと考えられるからである。しかし、「コロンブスの卵」の逸話にあるように、発想の転換も必要だ。本当にそうなのかを問わなければ、常識という一種の思考停止から抜け出すことはできない。そのような先入観に縛られれば、一般に、政策の新規性は低下し、政策論議も低調となる。

 そこで、今回の消費増税に対する「使途変更対凍結」の争点設定には、3つの問題があることを指摘したい。

 まず第1は、財源確保先を見つける順序が混乱していることだ。一般に、安定財源を確保するには、まず「どこから」についての優先順位がある。すなわち、

 ①同一制度内での費用の節約

 ②異なる制度間での調整による費用の充当

 ③新たな追加的負担(増税、保険料値上げなど)

の順である。

 自民・公明の「増税、使途変更」方針は、まず③を前提として②の調整を行う考え方だ。つまり、安倍首相の解散理由による、借金返済から「全世代型社会保障」への重点配分という変更は、財源の優先順位が逆になってしまっている。本来なら、安倍首相は、①の見地からでも、また②の見地からでも必要財源が見出だせないという節減努力の実績を示したうえで、やむを得ない最終手段として③の増税分に言及すべきである。

 一方、希望の党の「凍結」や「ユリノミクス」は、③に行く前に、②を行ってから、③に進むかどうかを決める考え方である。大企業の内部留保への課税は、課税と表現されてはいるが、「内部留保という制度から、例えば、教育の無償化といった異なる制度への資金の調整である」と考えれば、②のケースに該当する。したがって、優先順位としては②から③へ正順であると言える。希望の党の小池代表は、消費税問題に発想の転換が必要だと述べたが、財源の優先順位を正順に戻すという意味で言及したとすれば、それは評価に値する。

 とはいえ、第2の問題点は、どの党もまず検討すべき①のアプローチを置き去りにしていることだ。政権選択とは言え、第3優先の消費増税をめぐって、③の枠か、あるいは③と②をミックスした枠かでの選択肢しかないのは、いかにも粗い政策論議である。投票前から①枠の議論がなく、国民にとっての最善のシナリオが存在しないかのような前提は、国民の選択にとって適切とは言えない。

 さらに第3に指摘されるのは、財源の優先順位①への取組みは、発想の転換がなければ成し得ないということだ。実際、社会保障制度の持続可能性を実現するためには、優先順位①の枠内で現行制度を効率化し、節約によって捻出された費用を財源とする努力が求められる。ただし、これまでの歴代内閣による給付と負担の収支バランスをめざす改革プロセスでは、費用節約の十分な成果を上げてこなかったのも事実である。したがって、求められるのはやはり、発想の転換だ。

 例えば、国民医療費は約40兆円に上るが、その経費は国民皆保険制度の下で、全国一律に設定された公定価格としての診療報酬点数表に基づいて公費から支出されている。この診療報酬点数制度に、地域別に医療の「費用」だけでなく、「費用と効果」を考慮した異なる価格(分化価格)を導入すれば、国民の健康水準を下げることなく、30%程度の費用節約ができるという研究報告がある。もちろん、一つの報告に過ぎないが、金額ベースでは約12兆円の節約となり、消費税1%が2.5兆円とすれば4.8%に相当する。このような、いわば埋蔵金のような費用捻出が実現できるとすれば、消費増税は2%(5兆円相当)レベルの話なので、消費増税をすることなく社会保障も拡充できる最善のシナリオが開ける可能性がでてくる。このような新しい発想からの研究は、今後、さらに検討されるべきであろう。

 海外の例を見ると、1997年5月に成立した英国のトニー・ブレア政権は医療改革の必要性に直面し、1999年に英国国立技術評価機構(NICE)を創設した。この組織は、費用対効果に基づく医療技術の評価法を確立し、「価値に基づく」ヘルスケアと呼ばれる新概念を世界に広める役割を果たした。英国NICEは、その後NICEインターナショナルも作り、現在も世界をリードしている。いわば、21世紀の社会保障版ニューディール政策だ。ブレア元首相は、後年、最善の業績は何かと米国メディアから問われ、「NICEを作ったこと」と即答している。

 もちろん、英国の教訓が、直ちに我が国の問題を解決する伝家の宝刀になるわけではない。しかし、今般の衆院選では、英国でのような新しい発想による挑戦への問いかけが聞こえてこないのは残念だ。今後、日本の社会保障政策では「価値に基づく」アプローチが必須となる。社会保障の問題が単に財政の問題に矮小化されて、増税の使途変更か、凍結かと尋ねられても、結局、国民の大半はどう判断してよいか迷うに違いない。

 選挙後に、どのような政権の枠組みができようが、新政権には、消費税と社会保障をめぐる、もっと深く、国際的にも模範となるような議論と政策の展開が求められる。