メディア掲載  エネルギー・環境  2017.08.09

【人類世の地球環境】道徳も進歩した

株式会社 オーム社 技術総合誌・OHM7月号に掲載

 技術が進歩し、その恩恵で経済が発展して世界は住みやすくなった。人間は短い労働時間で高い生活水準を享受できるようになった。

 技術の進歩を礼賛すると、馬鹿扱いする風潮が日本にはある。だがその風潮のほうが、よほど現実を無視している。技術は、経済成長はもとより、衛生、環境、そして道徳までも進歩させた。

 宮沢賢治は「働き詰めの百姓がなぜ貧乏なのか」と嘆いた。技術進歩こそは、その回答だった。

 技術には「蓄積性」がある。つまり、一度確立された技術は、逆戻りすることはない。このため、昨日より今日、今日より明日というように、技術の水準は上がり、従って経済水準も高まっていく。品種改良、肥料投入、灌漑、機械化等により、農業の生産性は飛躍的に高まった。いまや食料は有り余るようになった。

 単純な資本蓄積や労働投入だけでは、この豊かさは決して説明できない。資本は減耗するし、戦争で粉々に破壊される。労働する人口にも限りがある。技術が進歩し、蓄積性があって後戻りしないからこそ、戦争で壊滅しても、日本の産業は発展を遂げることができた。

 技術進歩は人の寿命を延ばした。衛生状態の改善が細菌感染対策に有益なことが分かり、上下水道が整備され、コレラや赤痢がなくなり、乳幼児の死亡が激減した。昔、暗黒の中世の欧州では、入浴は病気を起こすという迷信があり、人々は人生で数回しか入浴しなかった。外部から毒が入らないよう、毛穴は垢で塞げと言われた。

 だいたい西洋の医療というのはまるで呪術で、遅くは19世紀になっても、人間を痛めつける類いのことしかしなかった。歯は健康に悪いと言われ抜かれた。ルイ14世は歯が全く無かった。だからフランス料理は噛まずに食べるよう、ステーキはフニャフニャになり、魚はパテになった。麻酔も無かったので、相当に痛かった。だが、まさにこの点が大事だった。拷問のような治療に耐えるだけの勇気が俺はあるぞ! と誇示することが大事だったらしい。

 中世での主要な治療法は瀉血(しゃけつ)、つまり血を抜くことだった。怪我や病気で体調が悪くなると、体に溜まった悪い液体を出すとか何とか言って、大量に血を抜かれた。もちろん、体調の悪い人から血を抜けば、さらに悪くなって死に至ることもままあった。こんな野蛮な治療をされなくて済むようになったのは、ひとえに技術(と科学)の進歩の賜である。

 技術は進歩しても、人間の道徳は進歩しないとよく嘆かれる。だが実際には、道徳も大幅に進歩した。戦前の日本では、駅構内でゴミや痰をまきちらすのは普通だった。運送屋は、荷物を抜き取り盗んでいた。商人は不正な升で計量した。女性や子供の人権はなく、虐待された。賄賂、汚職もごく普通だった。今ではこんなことは考えられない。

 20年前ごろまでは煙草の吸い殻は道のあちこちに落ちていたが、今、都会で見ることは稀になった。犬の糞も飼い主が拾って持ち帰るようになったが、昔はその辺によく転がっていた。最近、宅配便で荷物をぞんざいに扱ったという騒ぎがあったが、ニュースになったということは、相当に稀になったということの裏返しだ。今では荷物が抜き取られるなどということは滅多になく、みな宅配業者を信頼している。重さをごまかして売るといった話も、聞いたことがない。

 今の日本人には、こういった振る舞いは、どこか遠い遅れた国の話に聞こえる。日本人は「国民性として」そのようなことは昔からしなかった、と思っている人も多い。だが実態としては、昔の日本人も、まさにそのような、まるで今の「遅れた国」の人と同じような振る舞いをしていた。欧州も同様に、かつては不潔で、無学で、野蛮だった。19世紀になっても日本にはさらし首があり、数学者ガロアの死因は決闘だった。人はその後、非暴力的になり、他者の権利を認めて道徳的になった。戦争による死亡者も激減し、原始時代は3人に1人は戦死だったが、今ではそんなことはない。

 科学が進歩し、経済水準が向上し、衛生・環境が改善して、人はみな「育ちがよく」なり、余裕ができて、道徳的な振る舞いをするようになった。過去、良くなったということは、今後も、同じことが期待できる。ただし、これは全体の趨勢の話であって、時々揺り戻しもある。ミサイルが飛んで来るかもしれないし、厄介な環境問題が起きるかもしれない。人類には問題を解決する叡智があることは証明済みなので、結果を悲観する必要はない。だが、目前の問題には真剣に取り組む必要がある。