太陽光発電の価格が下がっている。アラブ首長国連邦(UAE)では入札価格が3セント/kWhになったという。日照が良く土地も安いという好条件のもとでの話であり、また電力系統との統合の問題はまだ残っているものの、ここまで価格が下がったことを、まずは称賛したい。
ここまで価格が下がるには、多くの国の投資があった。アメリカは宇宙開発用に研究開発を進めた。日本政府はサンシャイン計画で20年間にわたり研究開発を支援した。ドイツは全量買取制度で大量導入を始め、イギリス、スペイン、そして中国もこれに続いた。この結果、学習効果が重なり、また大量生産されるようになって、価格が大幅に下がった。
こうすると、いかにも諸国が上手く連携して、研究開発、導入、普及、と歩みを進めてきたように見える。だが実際はそうではない。面白いことに、条約も議定書も協定もなく、国際機関の世話になることもなく、各国がバラバラに政策を推進した結果、たまたまそうなった。
これは、どの国も太陽光発電を使うのは良いことだと思い込んだ結果である。よくよく考えると、温暖化対策として1tのCO2を減らすためのコストで考えると馬鹿高かったから、あまり推奨できた政策ではなかった。だが、それでも太陽光発電の人気は高かった。
これだけではない。太陽光発電のような技術を開発することは、損得勘定で見ても国益であると誤認されてきたことも重要だ。これが誤認であるというのは結果を見ればわかる。ドイツも日本も何十兆円も掛けて、自国産業育成を眼目として太陽光発電を導入してきたが、結局、中国の一人勝ちになってしまった。量産化され、コモディティになってしまえば、中国の得意技になることは当たり前だ。
これは決して単なる結果論ではない。そもそも技術開発というのは儲けることが難しいのだ。これは技術開発政策論では「専有可能性(appropriability)」ないし「投資回収可能性」の問題と言われる。研究開発にはお金が掛かり、リスクもつきものである一方で、その成果は経済全体で広く享受される。このため、一企業が研究開発投資をするだけでは、研究開発投資は経済全体にとって望ましい水準を下回ってしまう。それがゆえに、政府が知的財産権を設定して研究開発者の利益を確保したり、研究開発に補助金を出したりすることが行われてきた。
ところが、これが国際社会における国の政策となると、技術はそれ自体が国益だと見做され、国は積極的に投資をするようになるから面白い。実はゲームの構造自体は、国内における企業の話とまったく同じである。ある一国が技術開発に成功すると、その便益は世界全体にいき渡る。だから自国で技術開発するよりも、よその国の技術開発の成果にタダ乗りする方が得であることが多々ある。実際、中国はそうやって太陽光発電産業を自分のものにしたし、UAEは安い価格で太陽光発電を利用できた。だからといって、どこの国も国レベルでの知的財産権設定などということはしない。理屈の上ではあり得るが、今の世の中ではそうなっていない。
技術は、それを開発した企業がうまく知的財産権を保持できれば実際に国益にもなる。マイクロソフトやグーグルはそれに成功し、アメリカの利益を生んできた。だが、これは必ずしもうまくいかない。太陽光産業もそうであるが、エネルギー利用技術については、知的財産権で利益を確保することは難しいようだ。火力発電技術も家電製品も、中国をはじめ新興国産業がめっぽう強い。
15年程前だったと思うが、国際エネルギー機関(IEA)で、温暖化対策の技術開発の国際協力の可能性を議論した。その時の提案の1つが、FITのような支援制度の国際協調であった。当時は、まだFITはどの国も実施しておらず、まさかそんな高価な政策を国際協調なしに実現する国があるとは思わなかったわけだ。だが結局、誤認のおかげで、世界は意図せざる国際協調のもと太陽光発電の価格を低減してしまった。
国際協調による技術開発というと、ヒッグスボゾン発見で脚光を浴びたCERNの素粒子研究や、核融合研究が代表的である。だが前者は実用化と関係がない基礎技術だったので可能であった。後者は、実用化には程遠いと見られながらも、なお主導権争いなど調整が大変なようだ。これより実用化に近い技術の国際協力となると、実際は各国ごとの事業となり、一定の情報交換をする以上には深まりにくい。
ともあれ、意図せざる国際協力に万歳。バッテリの研究開発も人工知能の省エネ応用も、面倒な国際条約や国際機関とは関係なく、ドンドン進んでいく。