メディア掲載  エネルギー・環境  2017.06.13

【人類世の地球環境】人間と自然の細菌戦争

株式会社 オーム社 技術総合誌・OHM5月号に掲載

 自然界では、動物も植物も絶えず殺し合いを続けている。情け容赦ない世界であり、手段も択ばない。殴り殺したり、食いちぎったり、残酷といえば残酷である。細菌兵器もある。つまり細菌には毒を出すものがある。

 ペニシリンなどの抗生物質は、細胞壁を作る機能を阻害して周囲の細菌を殺してしまう。抗生物質と訳すると、何か良い薬のように聞こえるが、英語では「アンチ・バイオティクス」という。生命破壊剤とでも訳すと、なかなか恐ろしげだ。

 アルカイド系の神経毒は、アドレナリンなどの脳内物質によく似た化学構造を持つ。このため、脳を誤作動させて嘔吐や幻覚をもたらし、死に至らしめる。コンピューター内の結線をデタラメに組み替えるようなものだから、たまったものではない。

 このような有毒物質を、慈愛深いはずの母なる大自然は、なぜせっせと作っているのだろうか。それは、どの生物も、ライバルである他の生物を殺そうとしているからだ。細菌も、周囲と絶えず栄養分の取り合いをしている。それに、敵もどんな毒を持っているか分かったものではないから、やられる前にやってしまうのがよい。

 だが毒を作るにもエネルギーも掛かるだろうに、なぜわざわざそんなことをするのだろうか? 実際のところ、毒を持たない生き物が多いのは、このエネルギーを節約するために他ならない。

 それにしても毒を持つ生き物はとても多いが、なぜそんなに簡単に毒を発明できるのだろうか? 実は毒といっても、生体機能を支えるための化学物質に類似のものが多く、それはちょっとした作り損ないでできてしまう。つまり、何か化学物質を合成する生体回路があるとして、それが突然変異をすると、たちまち生体機能を阻害する毒を合成する回路になる。それがライバルを殺す時、その回路が進化論的に選択されて代々受け継がれていく。

 別の戦略として、自分では毒を作らずに他の生き物が作った毒をため込んで使う生き物もいる。細菌兵器の輸入といったところか。フグは、植物性プランクトンの作った毒を、貝などを介してため込んでいる。

 人間もカレーライスやキムチなど辛いものを、特に暑いところで食べるが、これも殺菌作用があるからだ。カレーもキムチも、辛さは植物起源である。植物は、動物や虫に食われまいとして、特に種などの大事な部分を覆う殻などには、あらゆる毒を入れてある。

 それが毒だと分かるのは、食べてみて、辛い、えぐい、渋いからだ。人間は、毒を感知するようにできている。それで、あく抜きしたり、煮炊きして弱めたりする。また、子供のように好き嫌いするのも優れた生き残り戦略だ。さらには、品種改良でサトイモのように「渋くないイモ」(実は自然のままのイモの大半は渋くて食べられない)を発明したりした。

 果物には微量のアルコールが入っている。なぜかというと、アルコールにも殺菌作用があるからだ。このアルコール合成のために、植物は酵母を飼っている。人間はこの酵母を盗み出して酒を造っている。

 アルコールの殺菌作用は強い。昔、イギリスでコレラが流行した時に、ビール工場の周りだけは無事だった。水代わりにビールを飲んでいたので、助かったらしい。ただし、アルコールはごく少量でも殺菌作用はあるので、(残念ながら)それほど大量に飲む必要はない。水に数滴たらすだけでも、かなりの効果があるので、海外旅行中など、水がきれいでない時に、ワインを少量たらして飲むと良いらしい。

 生ガキに、レモンをふり、胡椒をかけ、生ニンニクのすりおろしをつけて、白ワインを飲みながら食べるのは、すべて殺菌のためである。それにしても人間の嗜好の巧妙さ! 生臭い食べ物は、殺菌作用の強いものを一緒に食べると「おいしく」感じるように出来ている。

 有毒な自然物質の中には、発ガン性のあるものも多い。周囲の敵を殺すために、ガンを引き起こすのは非人道的だなどという考えは非細菌道的なのだ。発ガン性がある人工物質は厳しく規制されているが、自然物質は当たり前だが野放しである。今、食品由来のガンのほとんどは、人工物質ではなく、自然物質によるものである。

 この果てしなき細菌戦争の中にあって、毒をもって毒を制し、さらには工業的に毒を合成し、ばらまいて大殺戮をし、世界の頂点に君臨しているのが人類である。人類世とは、人類が細菌戦争に勝利した世界でもある。