メディア掲載 外交・安全保障 2017.05.31
安全保障政策を論じる際、「抑止力」という概念が頻繁に登場する。日本の防衛力整備や日米同盟を強化する基盤となる考え方は、北東アジアの厳しい安全保障環境に対する抑止力の必要性、と説明される。
立場を変えれば、北朝鮮が躍起になって核・ミサイル開発を進める背景も、外部勢力の攻撃や侵略に対する抑止力と喧伝(けんでん)されている。ただ、それぞれが主張する抑止力が具体的に何を意味し、どのような条件で成立するのか、という議論の詳細は必ずしも馴染みのあるものではない。
抑止力とは「相手の有害な行動を思いとどまらせる」一般作用を指す。抑止力には様々な形態があるが、その中核を占めるのは、有害な行動に対する報復を予め示す「懲罰的抑止」である。懲罰的抑止を成立させるためには、①相手に対する(堪え難い)報復能力の保持、②相手に対する報復意思の明示、③相手が①②を理解すること、という3条件を満たすことが必要となる。
朝鮮半島をめぐる抑止力の構造を例にとれば、日米韓3か国は北朝鮮に対する通常戦力の優位と核の傘を明示し、北朝鮮の大規模な軍事行動を思いとどまらせる作用を維持しようとする。
他方で北朝鮮は核・ミサイル能力の強化や局地戦闘能力を大々的に宣伝し、米国の軍事介入を阻止しようとする。北朝鮮もまた懲罰的抑止力の3条件を成り立たせようと躍起になっているのである。マティス米国防長官が5月19日の記者会見で、北朝鮮問題を軍事的に解決しようとすれば「信じられない規模」の悲劇が生じると指摘したのも、北朝鮮の報復能力への一定の理解と捉えられる。
この構図はともすれば、米国と北朝鮮が互いに抑止力(=相互抑止)を保持して手詰まりとなり、互いの挑発に収束をもたらすかにもみえる。しかし抑止力の実態はそう単純ではない。北朝鮮の米国に対する抑止力はまだ初歩的な段階に過ぎず、より確実な報復能力を保持するためには、更なる攻撃手段の確実性・多様性・残存性を確保する必要性に駆られる。今後も核・ミサイル開発が収束する見通しは立たない。
他方で、仮に北朝鮮が米国や韓国に対する抑止力を確保したと一方的に認識した場合、北朝鮮は局地的な中・小規模の軍事的挑発行動をより自信をもって遂行する可能性もある。
また北朝鮮が米国本土を射程に収める大陸間弾道ミサイル(ICBM)開発に成功した場合、米国をリスクに晒し同盟国を守れるか=日本・韓国に対する核の傘(拡大抑止)が機能するかという疑念が生じやすくなる。北朝鮮の核・ミサイル開発をめぐる緊張は、抑止力の3条件をめぐるせめぎ合いとも言えるのである。