産業構造上の上流・中流・下流による収益率の違いを説明する「スマイルカーブ」という概念がある。伊藤元重・東京大学名誉教授による説明を拝借すれば、次のとおりである。
繊維産業を例にとれば、上流は繊維素材のメーカーが、ハイテクの新繊維や炭素繊維などの開発により高い収益率を確保している。中流で、布を織る、あるいは洋服を縫製する企業は一般的に収益率が低い。下流は、例えばユニクロのような消費者ニーズに合致した商品を販売する企業の収益率は高い。
IT産業についてみれば、上流はインテルやマイクロソフト、中流は中国、台湾等の加工組立業者、下流はアップルなどが代表的存在である。
収益率のイメージを描くと以下のように、スマイルの時の口の形のような図になる。
中流に位置する産業分野は、モジュール化やグローバル化の進展による厳しいコスト引き下げ競争に巻き込まれやすいため、収益率が低下する。
こうした業務分野による収益率の格差の存在を考慮すれば、収益率の低い中流の生産は外部に委託し、上流の素材の部分、あるいは下流の消費者ニーズに合わせた商品を販売する分野を目指すのが収益最大化のための戦略となる。
上流で成功するにはその分野で他社に抜きん出た技術力を磨き続けることが重要な要素である。他方、下流で成功するには、製品・ビジネスモデル・ブランドの3つの要素バランスよく兼ね備えていることが必要であると言われる。
グローバル競争が激化している現状において、上流または下流で成功を勝ち取ることは実際には極めて難しい。
このような頭の整理に基づいて、グローバル市場における日本企業の位置づけを考えてみると、ごく一部の上流と下流で成功する企業はあるが、大半は中流に属しており、収益が改善しにくい状況に置かれているように見える。
特に中国・台湾企業というモジュール化によるコストダウンにかけては他の追随を許さない強敵との競争にさらされており、日本企業の置かれている立場は極めて苦しいように見える。
事実、日本を代表するいくつもの家電メーカーがグローバル競争の中で苦杯をなめさせられたことは記憶に新しい。そう考えると、日本企業の将来は暗澹たるものであるように思えてしまう。
圧倒的な資本力を武器に徹底したコストダウンで勝負してくる中国・台湾企業と同じビジネスモデルで勝負をしても日本企業に勝ち目はない。幸いなことに、日本企業のビジネスモデルは純粋な加工組立型企業とやや異なる。
中国・台湾系の加工組立企業はモジュール化を徹底的に追求し、大量生産によるスケールメリットを最大限生かして、他者の追随を許さない低価格を実現する。
一方、日本企業、特に中堅・中小企業が得意とするのは高品質の多品種少量生産である。
多品種少量生産のビジネスモデルの場合、顧客ニーズを勝手に予想して大量生産することはできない。納入先のニーズを十分把握し、そのニーズにきちんと適合したスペックの製品をタイムリーに必要な数量だけ納入することが求められる。
ニーズに適合した製品を納入するということを徹底的に追求すれば、納入先企業の製品開発段階から共同研究の形で参画し、納入先企業の研究開発と一体化した開発・生産体制が究極の姿となる。
上流・下流企業の製品開発が中流企業の開発・生産力によって左右されるといった逆転現象さえ生まれてくる。
上流・下流企業と中流企業との開発・生産の一体化である。いわば、スマイルカーブのボトムからのチャレンジである。
日本企業の中堅・中小企業の中にはこのような形で、上流・下流企業と一体化して製品の付加価値を高め、収益率を向上させている企業も多い。だからこそ厳しいグローバル競争の中で今もなお多くの日本企業が生き残っているのである。
そう考えると、グローバル市場における日本企業の今後の活路が見えてくる。
中国国内市場に目を向けてみよう。日本企業にとって中国市場は米国と並ぶ重要市場となりつつある。特に最近は、中国からのインバウンド旅行客がほんの3~4年の間に急増し、その爆買いが注目されている。
先日、大阪出張のついでに道頓堀から心斎橋筋を歩いてみると、平日の夕方だったにもかかわらず道の両側に立ち並ぶドラッグストアや家電量販店などでお土産を大量に購入した中国人が、休日の歩行者天国のようにあふれ返っていた。
街を歩いていて聞こえてくるのはほとんど中国語だったのには本当に驚かされた。
多くの中国人は、数年前まで日本の製品が高品質であることは分かっていたが高くて買えなかった。その中国人が日本の製品・サービスを高いと感じなくなっているということをこの道頓堀の風景が示している。
その変化の背景には中国国内における中間層の人口の急増がある。私の手元の試算では、1人当たりGDP(国内総生産)が1万ドルに到達した地域の累計人口は、2010年の1億人から2020年には8~9億人にまで増加する。
これが中国の中間層の急増ぶりを示すデータである。中間層の急増は現在も続いており、2020年頃までは急速に増え続ける見通しである。
日本にいてもインバウンドの旅行客は日本の製品・サービスを買いに来てくれるが、日本企業の方から中間層が急増する中国市場に参入すれば、はるかに多くの顧客を確保できるのは言うまでもない。
貧困層の消費行動と中間層の消費行動は質が異なる。貧困層はとにかく衣食住の最低ニーズを満たすことが優先である。
これに対して中間層は製品・サービスの購入時に他者との差別化を伴う一定の質を求めるようになる。ここに多品種少量生産に対するニーズが生まれる。
中国の中間層の急増は中国国内市場において差別化のための高品質な多品種少量生産に対する市場ニーズが急増していることを意味する。
中国市場は地域別に多様であり、その変化も速い。これまでは衣食住を満たせば十分であると思われていた製品・サービスに対する市場ニーズが変化し、急速に多品種少量生産に対するニーズが高まることが予想される。
しかも、製品・サービスに求められる質の高さは以前とは比べ物にならないほどのレベルである。
これは日本企業の特性に合致する市場が近い将来急拡大することを意味する。おそらくすでにそれは始まっており、一部の日本企業はその大きなチャンスを捉えて、収益の急拡大を享受しているはずだ。
中国市場ニーズの速い変化に対応するには開発・生産の現地化とそれを支える本社経営層の迅速な意思決定が不可欠である。それを可能にするのは唯一社長自身の判断と決断である。
そのためには社長自身が最低年数回は中国の現場を自分の目で見て、自分の頭で考えて、自ら迅速かつ的確な判断を下せるようにすることが不可欠である。
日本の中堅・中小企業が得意とするスマイルカーブのボトムからのチャレンジが中国国内市場で本格的に拡大し始めるタイミングはすぐそこまで来ている。