論文 財政・社会保障制度 2017.03.02
はじめに
第18回は北海道利尻町を取り上げる。利尻町は利尻島の左半分を占める人口2,147名(平成28年12月末現在)の町である(右半分は利尻富士町)。利尻町は昭和31年に沓形村と仙法志村が合併してできた町である。もともとはアイヌ人が住んでいたが、江戸時代に会津藩が北方警備を担うことになり、ニシン漁を目指して東北や富山から人々が移り住んだ。昭和30年ごろまでは、にしん漁で栄えたが、現在では利尻昆布やエゾバフンウニ、エゾムラサキウニが有名である。
利尻町の利尻は、アイヌ語のリシリイ(高い山のあるところ)が由来であり、利尻富士と呼ばれる標高1,721メートルの利尻山が、利尻島の真ん中にそびえ立っている。昭和49年、利尻島は、礼文島とともに、「利尻礼文サロベツ国立公園」に指定された。全国で27番目に指定された日本最北の国立公園である。リシリヒナゲシ、リシリゲンゲ、リシリオウギ、リシリリンドウ、リシリブシと名がついているように、島固有の草花が見られる世界的にも貴重な植物の宝庫で、利尻山と高山植物を目指して、多くの登山客や観光客が訪れる。北海道銘菓「白い恋人」のパッケージの山は利尻山である。
このように最北特有の豊かな自然に囲まれた利尻町であるが、離島かつ過疎であるため、道路や水道、下水道、港湾などの生活環境整備及び産業整備に加えて、総合体育館や交流施設などの公共事業を立て続けに行ってきた。過疎対策事業債(以下、過疎債と略す)と辺地対策事業債(以下、辺地債と略す)が活用できることもあり、起債が嵩み、平成10年度には地方債残高が91億4500万円に達した。平成18年度には、歳出の35%を公債費が占めるに至った。平成20年度決算において、実質公債費比率が早期健全化基準の25%を上回る26.2%となったことを受け、平成21年度に財政健全化団体になったが、財政再建の結果、1年で財政健全化団体から脱却した。
本稿では、利尻町の財政悪化要因と財政再建の取り組みについて概観する。