論文  財政・社会保障制度  2017.01.17

財政再建への道のり-どん底からどのように抜け出したのか<北海道江差町:計画と実際の取り組みとの乖離>

『地方財務』(株式会社ぎょうせい)2017年1月号に掲載

はじめに

 17回目は北海道江差町を取り上げる。江差町は、北海道の渡島半島西側の日本海に面した町で、函館市、松前町と並んで北海道で最も早く開けた地域である。江戸時代には、ニシンと北前船によるヒノキアスナロの交易港として発展し、「江差の五月は江戸にもない」といわれるほど繁栄した。また、戊辰戦争の際に、徳川幕府海軍の主力艦である開陽丸が江差沖で座礁沈没し、その座礁した船をみて、土方歳三が叩き嘆いたといわれる松が旧檜山爾志郡役所の前にあり、その松は、「土方歳三嘆きの松」と呼ばれている。

 このような歴史を持つ江差町には、当時の問屋、蔵、商家、町屋、社寺などの歴史的建造物が数多く残されており、江差町は、これらの建造物を活かすため、平成元年度に「歴史を生かすまちづくり事業」をスタートさせ、現在は、「いにしえ街道」としての当時からの風景が温存され、まるで、アミューズメントパークのような町並みとなっている。

 江差町はまちづくりに力を入れてきた。昭和40年代に、中歌町ふ頭用地の造成や津花海岸埋立事業等の港湾整備や新たな国道整備、昭和45年度と昭和46年度には文化センターと体育館が建設され、昭和49年度には檜山広域市町村計画に基づき、檜山広域消防組合が創設された。昭和56年度の「第2次総合開発計画」により、江差追分会館の建設や中央商店街改造事業が行われた。江差港マリーナの建設や町役場の移転改築、運動公園整備、下水道工事、いにしえ街道の電線地中化を含めた道路拡幅工事が実施された。また、江差町は夏には渇水することが多く、水不足を解消するための上ノ国ダムの建設や南部桧山衛生処理組合のごみ処理施設の整備も行われた。バブル経済崩壊後の国の景気対策や平成9年には過疎地に指定されたことも手伝って、公共事業は続けられ、現在の素晴らしい町並みと環境が実現された。公共事業は多額の交付税措置が期待できるが、相次ぐ公共事業で多数の町債が発行されたために、江差町は平成20年度決算において、実質公債費比率が28.6%となり、早期健全化基準の25%を超えたため、平成21年度から財政健全化団体となったが、財政健全化計画に則り、平成22年度に脱却した。

 本稿では、江差町の財政悪化要因と財政再建の取り組みについて概観する。

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北海道江差町:計画と実際の取り組みとの乖離