コラム  国際交流  2017.01.11

「東京=ケンブリッジ・ガゼット:グローバル戦略編」第93号(2017年1月)

小誌は大量の資料を網羅的かつ詳細に報告するものではない-筆者が接した情報や文献を①マクロ経済、②資源・エネルギー、環境、③外交・安全保障の分野に関し整理したものである。紙面や時間の制約に加えて筆者の限られた能力という問題は有るが、小誌が少しでも役立つことを心から願っている。

 謹賀新年。今年も微力ながら平和と繁栄に向けた期待・希望に関する情報を諸兄姉に伝えてゆきたい。

 小誌前号(2の欄)に、ロボットと現在の軍隊を統合する際の課題を列記した米国海軍大学校(USNWC)の論文("When Robots Rule the Waves?")を掲げたが、その直後の12月15日、周知の通り、中国海軍(PLAN)が南シナ海で米国無人潜水機(UUV)を捕獲する事件が発生した。中国側報道の中で、国防科学技術大学(NUDT)の張煌氏は「無人潜水機は未来の海戦様式を覆す重要な要因に成り得る(无人潜航器有可能成为颠覆未来海战模式的重要因素)」と述べ、また米国側報道の中で、中国南海研究院の呉士存院長は「中国の安全保障にとり脅威(a threat to China's national security)」と発言している。事件の詳細は別として、ロボットが①軍民両分野に適用される可能性と②米中を含む各国が多種多様な動機から技術開発を競い合う様相、この2点をうかがい知る事件となった。

 他方、筆者は昨年末に韓国を訪れ、保健福祉部(보건복지부/Ministry for Health & Welfare)の幹部と面談し、介護ロボットに関して意見交換を行った。韓国の技術水準は、小誌75号(2015年7月)で触れたDRC (DARPA Robotics Challenge)で優勝する程高く、日本の技術陣は安逸を貪ることは許されない状況だ。また、幹部の一人がHKS (Harvard Kennedy School)で、ジェフリー・フランケル教授の指導を受けていたことを知って意気投合し、「少子高齢化が最重要課題の一つである両国は、競争・協力を通じ切磋琢磨しなければならない」と語り合った次第だ。

 筆者にとって安倍晋三首相のハワイ訪問は意義深いものであり、嬉しいことに韓国の友人達も高く評価してくれていた。即ち75年前のPearl Harborに関し冷静に考えるための絶好の機会の一つが訪れたのだ。

  • ① 未だにconspiracy theoryが流布しているのには驚かされるが、米国が如何にPearl Harborを悔しがったかは、RAND Corporationでインテリジェンスの専門家だったロバータ・ウォールステッター女史による名著Pearl Harbor: Warning and Decision (Stanford University Press, 1962)を読めば理解出来よう。現在でも同書は危機管理上の諸問題を学ぶ上で最良の参考書の一つだ--様々な些事に毎日悩まされている我々は、完璧な集中力を常に保つ事は出来ない。「警報慣れ」や先入観・偏見等による注意力の偏りに加え、誤報や情報操作、伝達時の表現の微妙なニュアンスの違い、更には組織的な力関係といった理由から、必要とされる情報が、必要とされる部門に適時・正確に常に届くとは限らないのだ。

  • ② 真珠湾攻撃後の1942年1月初旬、山本五十六提督は様々な知人に手紙を送り、「敵の寝首をかきたりとて武士の自慢には不相成(あひならず)、... 恥辱だけと存候(ぞんじそうろう)。切歯憤激の敵は、今に決然たる反撃に可転(てんずべく)、海に堂々の決戦か、我本土の空襲か、艦隊主力への強襲か」「いまに東京に爆弾の雨が降ると、もうおしまい」と述べている。また1942年3月、米陸軍のドーリットル中佐が対日空襲の訓練を完了した丁度その時、山本提督は桑原虎雄第三航空戦隊司令官に対し、「今が戦争のやめどきだ。それには今までに手に入れたものを全部投げ出さねばならない。しかし、中央にはとてもそれだけの腹はない。我々は結局、斬り死にする」と語っている。

  • ③ 真珠湾では一時的に戦果を挙げた帝国海軍だが、ハワイで撃沈或いは大破した米海軍の戦艦はArizonaとOklahomaを除き、修復されて戦列復帰し、レイテでは戦艦「山城」「扶桑」を撃沈し、硫黄島や沖縄等の上陸作戦時には艦砲射撃を行った。また大艦巨砲主義・艦隊決戦時代の終焉を帝国海軍がハワイで立証した点を銘記した米海軍は、空母を中心とする機動部隊で、「大和」「武蔵」「赤城」「加賀」等の帝国海軍の艦艇を優れた将兵と共に海底に葬ったのだ。

 昨年9月、米国防総省は次世代爆撃機B-21の名が「レイダー(Raider)」であることを公表した。勿論この名は、Remember Pearl Harborとして米国陸海軍が共同実施した1942年4月のドーリットル空襲(Doolittle Raid)にちなんだ名だ。かくして我々は、現在も未来もPearl HarborやDoolittle Raidと伴に生きてゆくのだ。

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「東京=ケンブリッジ・ガゼット:グローバル戦略編」第93号(2017年1月)