メディア掲載  グローバルエコノミー  2016.12.09

異次元緩和の先に

2016年12月1日朝日新聞に掲載(承認番号:18-3917)

高齢化時代のインフレ対策を

 日本銀行が2013年4月に開始した「異次元金融緩和」は、当初宣言した2年間でインフレ率を2%に引き上げるという目標が実現できず、大規模な量的緩和を3年半にわたって継続・追加してきた。その結果、日銀が市場に供給するお金の量であるマネタリーベース(日銀券発行高と日銀当座預金の合計)が、膨大に積み上がっている。

 物価の低迷が続くなかで気が早いという反論を承知のうえで、この状態がはらむ深刻なリスクを指摘したい。それは、近い将来、インフレが2%を超えて加速し、制御が困難になる危険性だ。

 日銀は9月に、これまでの政策の効果を評価し、政策の枠組みを「マイナス金利付き量的・質的緩和」から、短期のマイナス金利と長期金利の安定を組み合わせた「長短金利操作付き量的・質的緩和」へと修正を加えた。

 量的緩和自体は継続され、日銀は引き続き保有残高が1年間で80兆円増加するペースで、長期国債を買い入れる。その結果、他の資産購入の効果と合わせて、マネタリーベースは今後1年強で、日本の国内総生産(GDP)を超えるとされている。

 これまでの実績を見ても、マネタリーベースの増加は、文字通り次元を異にしている。前年と比べた増加率は13年4月に20%を、11月には50%を上回った。14年2月をピークに増加率は下がっているが、16年9月でも20%を超える。その結果、異次元緩和開始前の13年3月に135兆円だったマネタリーベースは、16年9月には408兆円と3倍以上に増加した。

 ところが、インフレ率はゼロからマイナス圏にとどまったままだ。これは、日銀、政府、そして大胆な緩和を推奨した人々の想定を超える、いわば異次元の事態だったのではないか。


 マネタリーベースの拡大がインフレ率の目立った上昇につながっていないことは、この間に世の中の人々が利用できるお金の量であるマネーストック(現金と預金の合計)の伸びが、緩やかであったことと対応する。前年同月と比べた増加率は、異次元緩和前の2.5%前後から3.5%前後に上昇したが、その幅はわずかだ。

 マネタリーベースの拡大に対し、マネーストックが増加する割合を「貨幣乗数」といい、ある程度安定していると考えられていた。しかし、異次元緩和後の日本では、マネタリーベースが拡大しても貨幣乗数が急速に低下し、マネーストックが大きく増加しない事態が起きていた。日銀が市場にお金をいくら供給しても、人々が利用できるお金はあまり増えなかった、と言える。

 仮に、今回導入された新しい金融政策の枠組みやその他の政策が功を奏して、インフレ率が上がりはじめた場合、貨幣乗数も上昇に転じ、マネーストックが急激に増加する可能性がある。そうなるとインフレ率が2%という目標を通り越して、急激な物価上昇につながる懸念がある。

 もちろんその場合には、量的緩和を縮小するといった対策が取られるだろう。だが、マネタリーベースの操作によって、マネーストックを速やかにコントロールできるかどうかは、はっきりしていない。金利引き上げという選択肢も、巨額の政府債務が累積している現状では採用することが容易ではないと考えられる。


 たとえ高率のインフレになっても、「経済への悪影響は大きくない」という議論もあるだろう。確かに日本経済は、第2次世界大戦直後のハイパーインフレ(1946~48年)と、第1次石油危機前後の大インフレ(72~75年)を乗り越えて成長し、社会も大局的には安定した状態を保ってきた。

 しかし、これらのインフレが生じた当時と今日では、大きく異なる事情がある。人口構成だ。総人口に占める65歳以上の高齢者の比率は、1946年に5.6%、73年に7.5%、そして2016年には27.3%となり、今後確実に上昇していく。

 さまざまな資産のうち、もっともインフレに強いものの一つは人的資本、すなわち「働く能力」だ。逆に弱いのは、預金や国債などの額面が固定されている金融資産である。

 かつてのインフレ時には、人口に占める高齢者の比率が低く、国民の大部分が「働く能力」を持っていた。それまでの資産の蓄積を失っても、働くことによって、インフレに応じて上昇する賃金で暮らしを守ることができた。

 しかし現在の日本は、蓄えてきた預金と年金に依存する多くの高齢者を抱えている。そして年金積立金の40%程度は、インフレに弱い国内の債券で運用されている。

 ここまで政策的にマネタリーベースを拡大させ、今後さらなる拡大をめざす以上、政府・日銀は、インフレ加速の可能性を念頭に置き、事前に対策を注意深く検討しておく必要がある。

 もし有効な対策があるなら、インフレ加速の兆候に対してすみやかにそれを実行するべきだ。そして有効な対策が見いだせないなら、異次元緩和の継続に固執するべきではないだろう。



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