コラム  国際交流  2016.12.05

「東京=ケンブリッジ・ガゼット:グローバル戦略編」第92号(2016年12月)

小誌は大量の資料を網羅的かつ詳細に報告するものではない-筆者が接した情報や文献を①マクロ経済、②資源・エネルギー、環境、③外交・安全保障の分野に関し整理したものである。紙面や時間の制約に加えて筆者の限られた能力という問題は有るが、小誌が少しでも役立つことを心から願っている。

 米国の政権交替を巡り世界中で期待と不安が交錯している。トランプ氏は"America First"を標榜しているが、筆者は同氏の目標の照準が"短期"ではなく"中期から長期"に定められていることを願っている。

 歴史に詳しい方はご存知の通り、"America First"は過去にも出現し、しかもそれらは短命に終わっている。例えば、1940年に設立され、若き日のケネディ大統領も参加した団体America First Committee (AFC)は欧州での戦争を忌避し、孤立政策を唱え、当時のルーズヴェルト大統領(FDR)を困惑させた。だが、結果的にはAFCは1年余りで解散を余儀なくされている。

 36年前の1980年、レーガン大統領が選出された時も不安と期待が交錯したが、ケネス・オーエMIT教授が、約20年前に筆者に語って下さった言葉を今改めて思い出している。

 「Jimmy(カーター大統領)には気の毒だが、共和党は、民主党が驚くほどの逸材を、第一期レーガン政権のスタッフとしてWhite Houseに送り込んだ。例えばHarvardのマーティン・フェルドシュタイン教授やロジャー・ポーター教授、更には、(今春、旭日中授章を受章した)ジョージ・ワシントン大学のヘンリー・ナウ教授...」、と。

 確かに①優秀なスタッフ、②スタッフ各人の個性を見極めた上で巧みに活用するリーダーの優れた采配術、この2つが相俟(あいま)って何事も事態が進展するのであろう。トランプ氏も優れた部下を擁して政治手腕を発揮してくれることを願いつつ、今、マイケル・フリン氏の著書(The Field of Fight, 2016)を読んでいる。

 二流の知性と一流の気質(a second-class intellect but a first-class temperament)を具えたと言われたFDRは、ドイツが、欧州に加え中南米に触手を動かし、西半球の防御(hemispheric defense)を脅かすなか、国内の孤立主義派(AFC等)の反対で対独戦に容易には踏み切れなかった。そうした状況下、将来の参戦に向け英国的教養を具えたハリー・ホプキンスを渡英させた。彼とチャーチル首相とは肝胆相照らす仲になり、Pearl Harbor以前には、米英同盟の基礎を強化させていたのだ。このように指導者・スタッフ関係は重要だ(例えば、劉備と諸葛孔明、またウィルソン大統領とハウス大佐のように)。

 とは言え、指導者・スタッフ関係が常に良好とは限らない。先月、訪日した英国の友人と会った時、大英帝国陸軍参謀総長(CIGS)アランブルック元帥の第2次ケベック会談(1944年9月)直前の日記を筆者が朗読し、2人で大笑いした次第だ--「彼(チャーチル)は、(軍事的専門知識の)詳細を知らず、全体像の半分しか頭に入らず、下らない事を話している。彼の戯言を聞いていると私の体の中の血が煮えかえるのだった。... 彼無くしては、確実に英国は敗れていただろう。しかし、彼のために英国は幾度も破滅の危機に立たされてきたのだ。...私はこれまで、一人の人間に対して同時・同程度に称賛しかつまた軽蔑したことは一度もなかった(He knows no details, has only got half the picture in his mind, talks absurdities and makes my blood boil to listen to his nonsense. . . . Without him England was lost for a certainty, with him England has been on the verge of disaster time and again. . . . Never have I admired and despised a man simultaneously to the same extent.)」、と。

 米国が内向きな--孤立方向に傾くバリー・ポーゼンMIT教授が唱えるRestraint: A New Foundation for U.S. Grand Strategy (August 2015)よりも更に内向きである--政策を採れば、その"真空状態(power vacuum)"を埋めるべく中露等の動きが激しくなる。こうした変化は、これまで支配的だったeconomic liberalismに如何なる影響を与えるだろうか。かつてほどの勢いはないとは言え、中国は政治経済分野のみならず科学技術分野でも、a Sinocentric world orderを形成しつつある。これに対する日本の対応は? 我々の智慧が試される時が到来している。

 そして今、Oxbridge/Harvardの仲間達と、本年夏に英国(Stratford-upon-Avon)で没後400年を祝うShakespeareの生家を訪れた時の会話を思い出している。 英国の友人は筆者に「ジュン、中国人の巧みな宣伝(skillful Chinese propaganda)を見て! ほら、この英国人作家の生家にも中国人(湯顯祖)の展示物を置いている! 本当にこの人は中国のShakespeare? それとも大胆な誇張の一つ(a wild exaggeration)? こんな事を日本は出来ないだろ?」と質問した。筆者の答えは次の通りだ--「湯顯祖は没年がShakespeareと同じ(1616年)だけど...。僕はthe bard of Avon (Shakespeare)に似ているthe bard of Chinaとは、杜甫か李白だと思う」、と。



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