コラム  外交・安全保障  2016.11.29

「駆け付け警護」をめぐる期待と現実のギャップを越えるために

 駆け付け警護をめぐる最大の懸念は、駆け付け警護実施可否をめぐる現場の判断についてである。そもそも任務を付与されたとはいえ、現場の治安状況、またそもそも情報収集すら困難な状況下で、自衛隊が駆け付け警護を行わないという選択は十分にあり得るものだ。


 しかし、駆け付け警護はあまりにも政治課題になり過ぎた。それによって、実際には選択の幅が狭められているのではないか。与党議員にすれば、有権者の評判が芳しくない同任務を、相当のエネルギーを投じて付与したにもかかわらず、いざという時には駆け付けなかったという事態を説得的に説明することは困難だろう。そもそも、これほど騒がれた駆け付け警護が、実際には実施されなかったという事態になったとき、我々は派遣部隊の判断を信頼し、それを支持することができるのだろうか。また、南スーダンの首都ジュバ(駆け付け警護の任務地)で再び治安情勢が悪化した際に、そもそも自衛隊部隊が積極的に駆け付け警護に行くべきものなのかどうか、冷静に考えることはできるだろうか。


 政府の説明にあるとおり、自衛隊の駆け付け警護が想定されるケースはほとんどない。それにもかかわらず、駆け付け警護任務付与に至るまでに、自衛隊に対する期待は高められ続けてきた。2016年7月の南スーダンの騒乱時のような状況下で、「駆け付けない」という判断を受け入れる土壌は国内にないのではないか。私自身は、7月の南スーダンの騒乱時、自衛隊が邦人輸送を実施しなかったことは、妥当な判断だったと考えている。他方で一般的な感覚として、同じ日本の援助関係者に対して自衛隊がたかが数キロメートルの輸送すら行わず、結局彼らが自力で危険地帯を移動して退避するという事態に陥ったことは、まったく理解不能なものでもあった。しかしながら、今回の任務付与を経ても、仮に7月の事案のような事態にさいして、自衛隊は必ず警護をするというものでもない。


 南スーダン派遣部隊への駆け付け警護任務付与に素直に賛成できない理由はここにある。期待と現実のギャップのしわ寄せは、確実に現地部隊に来る。結局、駆け付けるかどうかを判断できるのは現地の部隊なのであって、今後の自衛隊部隊は、権限はあるが能力上、また状況からみて駆け付けないという選択を自らが行えるかどうかを突きつけられることになる。


 もともと、救援を求めている人々がいれば何とかして助けに行きたいというのは、自衛官の当然の思いだ。ましてや、駆け付け警護への国民の注目を文字通り背負って派遣されるなか、現地部隊がいざというとき、駆け付けないということを選ぶことはなかなか難しい。自衛隊派遣部隊のリスクは、駆け付け警護実施へのプレッシャーに晒されるなかで決断を迫られるという意味では増すことになるだろう。


 そこで求められるのは、政治論争を離れた冷静な議論だ。とにもかくにも駆け付け警護任務を付与された部隊の派遣ははじまっている。しかし率直に言って、大したことはできない任務に留められてもいる。こうした現実を踏まえて大騒ぎをせず、そして任務付与後の事後的なものではあるが、駆け付け警護の任務内容について、もう一度冷静に見直すことが必要だろう。何よりも国内の我々は、過度な期待とプレッシャーを派遣部隊にかけず、その判断を信頼し、静かに支える環境を醸成していくことが必要なのではないか。