コラム  外交・安全保障  2016.10.27

南スーダンを巡る議論における論理の倒錯

 南スーダンに派遣されている自衛隊部隊に、「駆け付け警護」の任務を付与するかを巡り、政府の決定が大詰めを迎えている。これは本年4月に施行された平和安全保障法制を初めて具現化する実施計画であり、国連南スーダンミッション(UNMISS)における日本の貢献のあり方と、南スーダンの治安情勢に伴う自衛隊のリスクを総合的に勘案した政策判断が求められている。


 この議論を難しくさせているのは、同国内の政府側(キール大統領派)と、反政府側(マシャール元副大統領派)との戦闘が7月から激化し、一般市民はもとより国連や人道支援機関の職員までもが襲われる事態が頻発し、南スーダンが紛争状態であるか否かに焦点が集まったからだ。


 一般的な紛争学として捉えれば、現在の南スーダンは内戦状態にあると言うほかない。しかし、この状況にもかかわらず、なぜPKO法で規定された平和五原則(停戦合意など)が満たされていることになるのか、そこには日本独特の法的解釈が登場する。陸上自衛隊の南スーダン派遣にあたって想定された紛争当事者は、スーダン政府と現在の南スーダン政府であり、南スーダン政府から離反したマシャール副大統領派は、単なる無法者集団であって紛争当事者ではない。したがって、スーダン対南スーダンの紛争にならなければ、日本の法的には、派遣自衛隊部隊が撤収せざるを得なくなるような紛争は存在しないということになる。


 およそ10年前、戦火の止まないイラクに自衛隊を派遣した際、イラク特別措置法によって「非戦闘地域」のみに自衛隊を派遣することが規定され、比較的安全とされるサマーワが選ばれた。しかし、現地の武装集団が、自衛隊宿営地や車列に攻撃を加える事態のあったことはよく知られている。それにもかかわらず、「(法的には)自衛隊の派遣される地域が非戦闘地域」ということになっていると、当時の国会答弁で小泉総理は強弁した。論理の倒錯が招いた、実態との乖離だった。


 2016年現在の南スーダン情勢についても「(PKO法に規定される)停戦合意の崩壊にはあたらない=紛争状態ではない」という説明に、イラク当時の論理と同種のものを見て取れよう。すなわち、非戦闘地域という概念や、紛争の要件が法律に規定されていても、それには該当しないとさえ言えれば、現実はどうであっても少なくとも日本の法的に問題が生じることはないというものだ。


 しかし、活動を継続したい側に立って考えれば、「法的根拠が崩れている」と指摘されるような事態に際しては、法律の要件を満たしている説明を考えることに心血を注ぐということになるし、それによって奇妙ではあっても法的には正しい解釈が生み出される。これはつまり、法律の要件を満たしているのかどうか、現地の情勢が法的にどのように位置づけられるのか、こうした点を突こうとする議論は、状況が根本的に破たんするまで、延々と続けられる運命にあることを意味している。


 南スーダンをめぐる議論の状況は、まさにこの典型例だろう。法的整合性のみから議論をすると、結果としては、法律の形式的側面に過度に偏った奇妙な議論にしかならない。この、法的には一定の妥当性がありそうだが、現実的におかしいという奇妙さこそ、昨年の安保法制の議論の過程で安保法制推進派が、「厳しさを増す安全保障環境の現実を見よ」と主張し、「憲法違反」と主張する反対派を批判した所以だろう。


 それでは現在の南スーダンの状況と、駆け付け警護についての議論を見るとき、政府の対応や答弁の中に、現実に目を向けた視点があると言えるのだろうか。法的整合性ばかりを追求するのではなく、現実的に判断せよと強調して成立したのが安保法制であった。しかし、それによって可能となった活動の、初の適用事例である南スーダンにおける駆け付け警護任務の付与が、法的整合性に過度に偏った決定となっているのだとすれば、皮肉と言うしかない。


 法的整合性のみに焦点を当てる議論について、紛争や国連PKOの文脈では、ルワンダ大虐殺の際の米国の態度が有名である。当時、ジェノサイドの進行が徐々に明らかにされるなか、介入を避けたい米国は、介入義務(ジェノサイド条約における「防止と処罰」の義務)の生じる「ジェノサイド」と認定せず、「ジェノサイド的行為」と主張し続けた。しかし、ジェノサイドにあたるかそうでないのか、不毛な論争が続けられたなか、100万人近くの人々が虐殺されていたのである。


 法的整合性を追求する側も、「法的にどうなのか」という形に過度に集中して、現実の議論を行うことの危うさを示すこうした事例を、改めて振り返る必要があるのではないか。駆け付け警護の付与を含めて南スーダンの支援をどう考えるべきなのかについては別稿に譲るが、現在、南スーダンは内戦に伴う人道危機状況にあり、エチオピアをはじめ周辺諸国に多くの難民が押し寄せる事態となっている。UNHCRによれば、現代の難民の主たる発生元として知られるシリアやアフガニスタンと同様、100万人を超える規模の難民がすでに発生している。南スーダンでの取り組みのあり方を議論するのであれば、こうした場所で日本が何にどのように取り組むのか、法的整合性という、これまでも繰り返されてきた不毛なテーマではなく、現実を踏まえて議論する必要があるのではないだろうか。