地方銀行は、地域経済にどれだけ貢献しているのか。金融庁は、この貢献度をはかる指標を、 15日に公表した。50にも及ぶ項目の中には、「地域へのコミットメント」や「担保・保証に過度に依存しない融資」などが含まれている。
これは、昨年9月に金融庁が発表した「金融行政方針」に基づいている。金融機関を「グローバルに活動」「国内で活動」に区分した上で、後者に期待される役割を次のように記している。
従来型の担保や保証に依存する融資姿勢を改めること、取引先の企業の事業内容や成長可能性などを適切に評価すること、融資や本業への支援などを通じて、地域の産業や企業の生産性の向上や円滑な新陳代謝の促進を図ること。そして「地方創生に貢献していくことが期待される」としている。地方創生という広い意味での産業政策に、金融庁が金融行政を通じて、協力する姿勢を表明した、といえるだろう。
産業政策と金融機関の関係は、日本の経済史において繰り返し論点になってきた。よく知られた事例として、1960年代前半の特定産業振興臨時措置法(特振法)案をめぐる議論がある。
特振法案をまとめる中心となったのは、城山三郎の小説「官僚たちの夏」の主人公のモデルとされる通商産業省(現・経済産業省)の佐橋滋・企業局長だった。佐橋は、資本自由化に備えて特振法を制定し、企業合併などによる産業再編成を通じて、指定された産業の国際競争力を強化することを意図した。
その際、通産省は、こうした政策への金融機関の協力を得るため、特振法の原案に、産業の再編成政策に金融機関が協力する義務を盛り込んだ。これに強く反対したのが、当時は金融行政も担当していた大蔵省(現・財務省)だった。佐橋は後に回想して、原案では、銀行が融資判断を縛られることになるため、銀行と大蔵省が真っ向から反対したと語っている。当時の大蔵大臣は、後に首相となる田中角栄であった。
反対を受け、金融機関の義務規定は削除され、施策の内容についての大蔵大臣の拒否権付与などは大幅に修正され、政府案がまとめられた。63年に国会に提出されたが、審議未了で廃案となった。
特振法案に対する大蔵省の抵抗の理由を、通産省との所管争いにすぎないとする見方もあるだろう。しかし、動機は別として、当時の大蔵省は、金融行政当局としての立場から、金融機関が産業政策のために政府から強い介入を受けることに歯止めをかけた。
今回の金融庁の姿勢は、特振法案への大蔵省の対応と比較して、どう評価すべきだろうか。
地域経済の活性化には、各地域の個々の企業、特に中小企業に関するさまざまな情報を蓄積している地域金融機関の役割が欠かせない。したがって、地域経済政策を所管する経産省や内閣官房の「まち・ひと・しごと創生本部」が、地域活性化のために地域金融機関の役割を期待し、金融機関や金融庁に政策への協力を働きかけること自体は適切だ。
また、これまでの金融監督・検査が過度に地域金融機関を萎縮させていたとすれば、それを見直して、必要に応じて緩和することもすべきだろう。
しかし、金融行政当局が、通常の金融監督の範囲を超え、金融機関の融資姿勢・融資方針への介入を通じて、地方創生という産業政策に関与することには問題がある。
まず、90年代末以来、政府が一貫して追求し、現内閣も継承している規制緩和・市場重視という基本原則から外れている点だ。
金融庁は、業務停止の行政処分を含め、金融機関に強い権限を持つ。そうした官庁が、地方銀行の融資姿勢に政策的に介入すれば、金融機関の自主的な意思決定と金融市場の機能をゆがめる懸念がある。
金融監督の本来の目的との整合性の問題もある。広く預金を集めて融資業務を行う金融機関は、一般の企業に比べて自己資本比率が著しく低いという特徴がある。しかも預金者の多くは、金融機関を監視する能力を持たない少額預金者である。
そのため、金融機関と、有限責任しか持たないその株主は、預金者の利益を犠牲にして、融資や投資に関して過大なリスクをとる可能性がある。
預金者に代わって金融機関を監視することが、金融監督の本来の目的のはずだ。金融庁が地方創生という政策課題を産業政策当局と共有して、金融機関にリスクをとるように求めることは、この金融監督の役割と齟齬(そご)をきたす恐れがある。
政府の政策を、経済全体にとって合理的・整合的なものにするには、各省庁がそれぞれの本来の役割を通じて、チェック・アンド・バランス(抑制と均衡)を機能させることが重要になる。特振法案をめぐる通産省と大蔵省の例が示すように、産業政策当局と金融行政当局の間には、協力と同時に相互の牽制(けんせい)が必要とされる。