メディア掲載 国際交流 2016.09.09
90年代における中国の国有企業改革の実践過程では、国有銀行がかなりのコスト負担を引き受けていた。主要銀行が株式を上場し、市場によるチェックを受けるようになった現在、銀行が国有企業の救済に関与するためには責任の所在が明確でなければならない。今次五カ年計画では、「金融が実体経済に貢献する」ことが強く求められているが、政府、企業、銀行が市場メカニズム活用と金融リスク管理の視点を共有することが重要である。
金融改革の原点
1984年10月、中国共産党第12期中央委員会第3回全体会議(12期三中全会)は、その5年前に農村部からスタートさせた同国の経済制度改革を都市部に拡げ、計画経済に商品経済の要素を取り込んでゆくことを決定した。これを受けて、国務院(内閣)は金融制度改革研究小組(委員会)を立ち上げ、金融改革の方向性を検討させた。
当該委員会は、関係政府部門の幹部だけでなく、30代半ばの研究者や人民銀行(中央銀行)の若手スタッフもメンバーとして呼び込み、金融に関する諸問題の実態調査を進めるとともに、国内外の専門家との意見交換を積極的に行った。委員会に若手を加えたのは、計画経済を追求した旧制度に捉われない、斬新な発想を求めてのことだったと言われている。
委員会は、金融改革の大目標として、①中央銀行が金融市場調節を自在に行える体制を確立する、②中央銀行を中心に、多種類の金融機関が併存する金融システムを徐々に構築する、③多様な信用供与手段や融資ルートを発展させる、④金融機関に経営自主権を与え、自らの判断で責任をもって融資を実行し、リスク管理を行うようにさせることなどを提案し、それらは党中央の方針として大筋で認められた。
30余年の時間を経た現在、中国の金融セクターが提供する資金量は当時の4百倍近い規模に達し(図1)、市場メカニズムもかなり効くようになってきている。しかし、80年代に設定された金融改革の目標は、今なお重要な課題として残されている。それは、当時の目標設定が本質を突いていたことと、その後の困難が大きかったことを示しているのだろう。計画経済から市場経済に漸進的に移行するという経済体制改革の大方針の下で、金融という「市場経済の権化」のような機能を適切に拡充していく難しさは、当初の想像を大きく超えていたのではないか。なお、当時若手研究者として議論に参加したメンバーの中には、現在、政府部門の責任ある立場で、改革の推進に当たっている人もあり、そのことは同国の金融制度改革を後退させない力の重要な部分になっているように思われる。