現代の世界が直面している深刻な問題に、経済格差がある。一国の中での所得格差は、フランスの経済学者トマ・ピケティ氏などが論じているが、国や地域間にも所得格差はある。世界には、平均所得が著しく低い水準に停滞している国が少なくない。低所得の国々の経済発展を実現するための方策は、開発経済学という分野で、理論と実証や実験に基づいて研究されている。
現在は先進国の日本も、かつては発展途上国だった。故アンガス・マディソン教授(オランダ・フローニンゲン大学)の推計によると、明治維新直後にあたる1870(明治3)年、日本の1人あたりの所得は、現代の通貨価値にして737ドルだった。2010年の各国の1人あたりと比較すると、同じ日本でも約30分の1にすぎず、アフリカのザンビアやジンバブエといった途上国の水準に近い。
日本経済は明治時代、さらには徳川時代を含むそれ以前の時期から、どのように発展してきたのか、経済史の分野では多くの研究蓄積がある。近年、こうした経済史の知見を現代の経済開発研究に活用することが、試みられている。
研究の成果の一つが、6月に北海道大学で行われた、経済史に関する学会(社会経済史学会)の年次大会で発表された。一橋大学経済研究所の有本寛・准教授によるセッション「『途上国』日本農業の開発経済史」は、明治以降の日本の経済史を現代の経済開発の視点から見直し、新たな検討を加えつつ、現代への含意と教訓を導くことを意図したものだった。
4本の論文に関する発表、コメント、および討論から構成された。特徴的なのは、4本の論文がそれぞれ経済史研究者と開発経済学研究者のペアによる共同研究の成果という点だ。経済史と開発経済学の深い融合をめざした工夫といえる。
このうち、東京大学の小島庸平氏と上智大学の高橋和志氏による論文は、戦前日本の産業組合による農業金融を、開発経済学で注目されている「マイクロクレジット」の観点から分析している。
マイクロクレジットとは、低所得者向けの少額金融のこと。その機能を担うバングラデシュのグラミン銀行を創立したムハマド・ユヌス氏が、2006年にノーベル平和賞を受賞したことで広く知られるようになった。
マイクロクレジットが重要な理由は、担保となるような資産を持たず、一般の金融機関からの融資を受けることが難しい人々を対象としている点にある。グラミン銀行の場合、借り手に5人の互助的なグループを形成させることにより、無担保の融資でも返済の確率を高める工夫をしている。
しかし近年は、グラミン銀行を含むマイクロクレジット機関への批判も起きている。金利が「高利貸」と比較すれば低いとしても、一般の金融機関より高い。収穫までの期間が長い穀物生産を主とする「耕種農業」のための金融には、有効に機能していないことなどがある。
戦前の日本にあった産業組合は、耕種農業(米作)にたずさわる小規模の農家に、銀行などとほぼ同等の金利で融資していた。どのようにして、可能だったのだろうか。
金融機関は、融資しようとする相手の返済能力を適切に評価する必要がある。ところが小規模農家を対象とする融資では、担保が少ないことも含めて、こうした信用評価が難しい。その結果、小規模農家は円滑に資金調達ができず、農業の生産性を上げるためのさまざまな投資が行われない。
小島氏と高橋氏は、戦前期の長野県小県(ちいさがた)郡和(かのう)村の産業組合について残されている個別の融資先に関する詳細な史料を用いて、融資のしくみを明らかにした。
和村の産業組合は、各融資先を「資産」、組合への出資額の「持分」、約束を守る程度を示す「守約」、「勤勉」の四つの項目をそれぞれ25点満点で評価した「信用程度表」に基づいて、融資判断をしていた。
そして統計的分析から、資産・持分といった客観的な情報が重視された一方、守約や勤勉といった融資先の人物の属性に関する主観的評価も、ある程度の役割を果たしていたことが明らかになった。
これは、現代の途上国における農業金融を改善するうえで、有力な手がかりを与える。地縁と人的な関係に基づいて、融資先の人物の属性に関する主観的評価を行う。さらに数値化することで、産業組合内で情報を共有し、融資のためのコストを節減する可能性を開いている。
金融機関に関する研究で、各融資先の個別的な情報を研究者が利用することは、現代の対象においては非常に困難である。しかし、歴史的な対象では可能な場合がある。この論文には、このような歴史研究の利点がよく生かされている。
経済史研究は単なる過去に関する研究ではなく、現代の問題と直接に関わっている。経済史研究と開発経済学研究の本格的協働は、大きな可能性を持っている。