4月下旬に北京と上海に出張した。目的は定例の中国経済情勢に関する現地での情報収集である。習近平政権が掲げる「新常態」の方針の下、的確なマクロ経済政策運営と積極的な構造改革の組み合わせによって、経済の安定が保持されており、安心して見ていられる状況である。
この点については、今回の出張中に面談した政府内および民間の経済専門家の全員がほぼ一致した見方をしていた。
しかし、その面談相手と話しているうちに、「経済は安定しているが、最近政治情勢が不透明になってきていて心配だ」との懸念を耳にすることが少なからずあった。
これまで習近平政権が行ってきた政策について、政治面では反腐敗キャンペーンの断行が国民的支持を得ている。
経済面でも雇用と物価の安定を確保し続け、過剰設備の削減や過剰不動産在庫の処理への取り組みも一定の成果を上げるなど、こちらも高い評価を得てきた。最近は政治リスクの高い軍組織の抜本的改革まで実現し、着々と政策の結果を積み上げてきている。
こうした政策面の大きな成果もあって、多くの国民から「習おじさん」(中国語では「習大大」、シーターターと発音)と親しみを込めた愛称で呼ばれるなど、政権基盤も安定度を増していた。
ただし、有識者の間では、学者やメディアに対してイデオロギーや政府批判に関わる活動の取り締まりがますます強化されてきていることに対する疑念がしばしば指摘されていた。
それでも昨年までは習近平政権の政治的な安定性が強まる傾向が続いていたように感じられていた。
しかし、今回の出張中およびその後に耳にした習近平政権に対する評価は、そうした従来の政権基盤の安定性の増大傾向に変化の兆しを感じさせるものだった。
具体的には以下のような出来事がそうした変化の兆しを感じさせた。
第1に、2月7日の夜(中国の春節<旧正月>の大晦日の夜)に放送された中国版紅白歌合戦(春節聯歓晩会、略称「春晩」)の中で、習近平主席を中心に共産党指導層全員の映像が流されたことである。
内容的には習近平主席をプレイアップするものであったため、党が禁止している個人崇拝の事例に当たるのではないかとの懸念が指摘されている。
第2に、3月初旬にネット上の公開の場に出された習近平主席に対する辞任要求である。
この文章は、新疆ウィグル自治区、有名経済誌の「財経」を傘下にもつ財訊集団およびアリババが3社共同で設立した「無界新聞」のニュースサイトに掲載された。
その内容は、習近平主席への権力集中、周辺国に対する非融和的な外交政策、過剰設備の削減に伴う失業の増大などに対する批判である。
中国の有識者の目から見て、この内容は一般の記者が書いたものではなく、党指導層に近い人物が習近平政権の政策運営を批判するために誰かに書かせたものであるように見える由。
第3に、李克強総理の政策実行力に対する評価がますます低下してきていることだ。
政府内部の幹部級の間でも、国有企業改革推進の遅れや昨年来の株式市場の混乱を収拾し解決することができなかったことなど、政策運営能力の不足を指摘する声がある。
メディア関係者からの情報によれば、1月末の政治局常務会議の席上で、李克強総理が辞任を申し出たと聞く。
これは本気で辞任を考えたのではなく、習近平主席が李克強総理を尊重しようとしない姿勢を示していることに対する反発を表すための意思表示と見られている。
しかし、李克強総理が歴代の総理に比べて存在感の薄い総理であるとの評価はすでに幅広く定着した見方であるように見受けられる。
これに関連して、日本のメディア関係者の間では、全人代において李克強総理が政府活動報告を終えた際に、習近平主席が慣例となっている握手を交わさず、目を合わせることすらなかったことを2人の間の関係悪化ととらえる見方が一般的である。
しかし、中国人の間ではこのことを重くとらえる見方は多くないように感じられた。
第4に、5月初旬に人民大会堂で、毛沢東元主席を称賛する革命歌(中国語で「紅歌」)のコンサートが開かれ、「56フラワーズ」(中国語名「五十六朵花」=56輪の花)という日本のAKB48に似た女性アイドルグループが出演した。
彼女らは習近平主席を讃える歌も披露したことから、これが党内で個人崇拝を想起させると批判された。しかし、その批判に対する批判も出され、党内で意見対立が表面化している模様である。
以上の出来事に見られる新たな懸念材料を整理すれば、第1に、習近平主席に対する個人崇拝懸念とそれを巡る党内の意見対立の表面化、第2に、党内おける習近平政権の政策運営批判、第3に、習近平主席と李克強総理の間の信頼関係の低下である。
このうち、第1と第2は密接に絡み合っていると考えられる。第1の点を批判するのは一般庶民ではなく、主に有識者層である。一方、第2の点についても、習近平政権の政策運営に不満を抱いているのは、同じく有識者層である。
有識者層の習近平政権に対する不満の火種は数多く存在している。具体的には、反腐敗キャンペーンによって給与水準、福利厚生水準、社会的ステータスなどが大幅に悪化した公務員および国有企業関係者の根深い不満がある。
それに加えて、構造改革の推進によって税収が減らされる地方政府、当局の監視が強まる金融機関、当局による情報統制が強まるメディア、当局の規制により学術研究の制約を受ける学者などである。
こうした人々は習近平政権による政策運営によって様々な不利益を被っており、強い不満を募らせている。彼らが習近平主席自身の問題点として個人崇拝容認の懸念を指摘し、抵抗姿勢を強めようとしていると見るのが自然ではないだろうか。
第3の点は、前の2つとは異質であるが、習近平政権の今後の政策運営において1つの不安材料である。
今年は第13次5か年計画の初年度であるほか、過剰設備の削減という構造改革を推進するうえでも非常に重要な局面を迎えている。
しかも来年の秋には第19回党大会が開催され、通常であれば習近平主席の後継者が明らかにされるため、党内人事政策上も重大な時期である。こうした時期に政治状況の不透明化が見られているのは、先行きの政策運営の安定にとって大きな不安材料である。
中国政権基盤の安定および中国経済の安定持続は日本をはじめ、アジア諸国にとっても重大な関心事である。
上記の変化の兆しが政権基盤の不安定化につながることなく、今後も安定的な政策運営が保持されるかどうか、しばらく政治から目が離せない状況が続きそうである。