論文  財政・社会保障制度  2016.05.13

財政再建への道のり-どん底からどのように抜け出したのか<長野県王滝村:プライドが対応を遅らせた>

『地方財務』(株式会社ぎょうせい)2016年5月号に掲載

はじめに

 12回目は長野県王滝村を取り上げる。王滝村は、山岳信仰の信者を全国から集める御嶽山の麓に位置し、御嶽山を取り巻く環境とともに発展してきた。王滝村は長野県でも有数の多雨地帯であり、日本一のヒノキの産地である。その歴史は古く、豊臣秀吉が木曽を直轄地と定め、天正14(1586)年以降、大仏殿、聚楽第、大阪城などが次々と建立された。徳川家康も同じく直轄地と定めたが、元和元(1615)年に第9子である尾張藩主徳川義直に譲り渡し、尾張藩領として明治維新まで統治された。明治時代になり、天皇家の世襲財産(御料林)に編入されたが、第二次世界大戦後、皇室財産は国に所属することとなり、昭和22年の林政統一によって御料林は国有林に編入されることとなった。王滝村のヒノキは、木材の輸入自由化になるまで、戦後の木材需要に対応し続けた。また、王滝村には牧尾ダム・三浦ダム・王滝川ダムがあり、水資源、電力源として中京や関西地方の人々の暮らしに深くかかわっている。トヨタ自動車や新日本製鉄名古屋製鉄所をはじめ、愛知県の尾張丘陵部から知多半島一帯に農業用・工業用・上水道用の水を供給している。そして、村内にはスキー場やキャンプ場、オートキャンプ場、宿泊施設などがあり、年間を通じて観光客が訪れている。このように、王滝村は、木材、水、電力と生活に欠かせないものを村内外に供給し、娯楽も楽しめる自然豊かな自治体である。

 しかし、御嶽山の豊かな自然を拝受している道を少しだけ誤ったことから、財政健全化団体になっていく。

 王滝村は牧尾ダム建設に伴って得た公共補償金をもとにスキー場を開発した。その後、山村振興事業の一環として、国有林内にスキー場を広げていくこととなり、民営化せずに村直営でスキー場を運営してきた。昭和61年11月からは地方公営企業法の全部適用による王滝村公営企業観光施設事業会計(以下、観光施設事業会計と略す)が設置された。昭和の終わりから平成の初めにはスキー場の経営収入で王滝村の一般会計の不足分を補うほどの勢いであったが、その間に、相次ぐスキー場関連施設の整備を行ったことで負債が増えていった。バブル崩壊後、スキー人口が減り、収入が減る中、スキーエリートのプライドが災いし、観光施設事業会計は一般会計の繰入金よりも、企業債の借り換えと元金償還の繰り延べを優先させたため、手当が遅れた。このことが後年度の債務負担を大きくした。平成11年度末時点で、王滝村の起債残高は一般会計と特別会計と合わせて33億円、観光施設事業会計の年賦償還を含む長期債務が30億円で、合わせて63億円となり、身の丈を超えた巨額の負債を抱えていた(住民一人当たりの負債額660万円)。そのため、平成17年度から村直営だったスキー場経営に指定管理者制度を導入することとなり、企業債償還のために一般会計からの繰出金を受け入れることとなった。それは、毎年2億円を超える額であったため、一般会計の負担が増大し、平成18年3月に「王滝村自立計画」を策定し、実行していたが、平成20年度決算において、実質公債費比率が32.1%となり、財政健全化団体となった。平成20年度において、一般会計を含む他の会計の債務償還費用が6億2000万円になったからである。そこで、平成21年度から平成22年度にかけて、財政健全化計画に基づき、財政再建に取り組み、平成22年度に財政健全化団体から脱却した。

 本稿では、王滝村の財政悪化に至る要因と財政再建の取り組みについて検討する。・・・


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長野県王滝村:プライドが対応を遅らせた