論文 財政・社会保障制度 2016.04.15
はじめに
11回目は鳥取県日野町を取り上げる。日野町は岡山県に接した西南部に位置している。日野町の歴史は古い。日野町には、古墳が分布しており、起源を弥生時代にまで遡ることができる。戦国時代には尼子・毛利両氏の戦場となった。そして、江戸時代初期には、関一政が黒坂に城下町を形成し、伯耆黒坂藩が生まれた。その後、鳥取藩下となり、鳥取藩政時代には、宿場が形成されて、農業の生産拡大が図られた。また、山砂鉄の採取とたたら製鉄は、明治時代に近代製鉄が台頭するまで、この地域の重要な産業となった。最近では、おしどりの住むまちと知られ、縁起の良い名前の金持神社も有名である。
日野町は平成20年度決算で実質公債費比率が30.2%と実質公債費比率が基準値である25%を超えたため、財政健全化団体となった。要因は昭和50年代半ばから平成にかけて、庁舎や小中学校の建て替えや道路などの公共投資を行ったことに加えて、平成12年に起きた鳥取県西部地震の復興のために多額の地方債を発行し、その返済時期が平成17年から平成30年にかけて集中したことによる。
そのため、日野町は、平成17年9月に財政破綻宣言を行った。日野町はその前年の平成16年12月に「自立政策推進大綱」を策定し、行財政改革に取り組み始めていたが、当時の町長が、平成19年度に準用再建方式を選択すると表明した。しかし、当時の鳥取県知事に、まず先に行財政改革に努力すべきと忠告され、財政破綻宣言を取り下げた。その後、住民説明会を開き、町民の理解を得て、すでに開始していた財政再建の取り組みを継続した。鳥取県もただ指摘するだけではなく、日野町からの県貸付金の償還の延長に応じた。財政再建は、財政健全化法の施行開始には間に合わず、日野町は、平成21年度から財政健全化団体となり、財政健全化計画書(平成22年度から平成25年度)を策定し、それに則って実行していたが、平成17年度から取り組んできた財政再建の成果が表れ、地方交付税も予想よりも削減されなかったため、平成23年度に3か年前倒しで、財政健全化計画完了報告を提出した。
本稿では、地震や財政破綻宣言を町民とともに乗り越えた日野町の財政再建について検討する。・・・