コラム  国際交流  2016.04.08

「東京=ケンブリッジ・ガゼット:グローバル戦略編」第84号(2016年4月)

小誌は大量の資料を網羅的かつ詳細に報告するものではない-筆者が接した情報や文献を①マクロ経済、②資源・エネルギー、環境、③外交・安全保障の分野に関し整理したものである。紙面や時間の制約に加えて筆者の限られた能力という問題は有るが、小誌が少しでも役立つことを心から願っている。

 Pax Americanaの衰微が不安視されるなか、2月のカーター米国防長官の講演に関し、友人達と情報交換を継続している(the Economic Club of Washington, Feb. 2)。国防長官は5つの国・地域(ロシア、中国、北朝鮮、イラン、そしてイスラム国)を問題視し、近年設立された2つの組織を中心に、希少な国家財源と先端技術を効率的に結合する方針を表明した--その組織とは、①2012年、長官と同じローズ奨学生で物理学者をトップに据えて設立した組織(Strategic Capabilities Office (SCO))と②昨年夏に、ICTに詳しい元海軍将校をトップに据えて、シリコンバレーで企業・研究者と協調的な活動することを目的に設立した組織(Defense Innovation Unity-eXperimental (DIUx))で筆者も注視している。

 先月初旬、東日本大震災5周年を迎える直前の石巻を訪れた。復興を完了した地区・分野と未だ苦境に喘(あえ)ぐ地区・分野が混在する現状を直接目にして沈思せざるを得ない。バーナンキ前米連銀議長は「地震学者は多数の微震よりも一つの大地震から多くを学ぶ。同様に30年代の大恐慌は学ぶべき重要な機会を提供する」と、代表的な論文の冒頭で語った("Employment, Hours, and Earnings in the Depression," American Economic Review, Mar. 1986; 『大恐慌論』 日本経済新聞出版社 (2013年)に所収)。だが、我々は果たして「3.11」から多く学んだのであろうか?--地震学者に限らず、政治経済学者や科学者、そして政策担当者や我々一般市民が今一度省察する必要があろう。

 歴史に興味の有る方はご存知の通り、世界一周を初めて経験した日本人は江戸時代の石巻の船乗りだ--出航直後に彼等は嵐に遭い難破民となり、ロシア船(«Надежда»)乗船の4人が西回りで世界一周し、約12年後に石巻に戻る。彼等との縁深い寺(観音寺)も「3.11」で本堂や山門等が全壊したと聞き胸が痛む。この世界一周を記録した本(『環海異聞』)の中で、著者である大槻玄沢先生は彼等を"野陋(ヤロウ)無識(ムシキ)"と批判している。誤解を招来する危険を覚悟で私見を述べると、真の意味で"野陋無識"なのは鎖国に固執した徳川幕府だ。当時の世界情勢を俯瞰すれば、幕府開闢時、黄金期にあったオランダは、それ以降、航海条例や英蘭戦争、更にはナポレオン戦争を経て19世紀初頭には既に国力を消耗していたのだ。かくして幕府の"野陋無識"について疑問は尽きない。

 例えば、①19世紀初頭の海上覇権が英国に移った事態を、なぜ幕府は理解出来なかったのか?-- 1820年、英国の外洋航行能力の世界シェアは42%に達していた。また②18世紀末から19世紀初頭にかけて、オランダ及びその植民地が危険な状況にあった事実を日本は如何なる形で認識していたのか? 更には③19世紀中葉になっても、日本がオランダ語を学び続けたのはなぜか?--明らかに時代がPax Britannicaに移行した1816年に、蘭和辞典(『ヅーフ・ハルマ』)を編纂し、多くの優れた洋学者が当時のworking language(英語)、更には当時のlingua franca(仏語)よりも寧ろ蘭語を学び続けたのはなぜか?

 こうした疑問に関して、一つの有益な視点を東京大学の松方冬子准教授が提供して下さっている。即ち、「通詞は、オランダとの貿易が存続しなければ生計が成り立たなかった。...自分たちの生活を守るため...長崎でのオランダ貿易を存続させようと情報を操作することがあった...。江戸の幕府にすべてをそのまま伝えたのでは、幕府とオランダ人の間に軋轢が生じて大問題になるかもしれない。彼らは、オランダ人ではなく、自分たちを守るために情報を操作した」 (『オランダ風説書: 「鎖国」日本に語られた「世界」』 中公新書 2010年)。

 昔も今も警戒すべきは、海外と常に接していながらその情報を正確に理解・伝達出来ない"通詞"である。



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「東京=ケンブリッジ・ガゼット:グローバル戦略編」第84号(2016年4月)