今年は年明け早々から中国の為替・株式市場が荒れた展開となり、その影響を受けて世界の金融市場が不安定化している。
中国の為替・株式市場は昨年央以降、不安定な状態が続いていた。9月から10月にかけていったん落ち着いたかのように見えたが、10月24日に中国人民銀行が預金・貸出基準金利と預金準備率を同時に引き下げたことを契機に元安期待が再燃した。
中国人民銀行は巨額の為替介入を続けて、必死に大幅な元安を防ごうとしてきたが、現在に至るまでその努力は満足できる成果にはつながっていないように見える。巨額のドル売り元買い介入の結果、外貨準備は11月以降、3か月連続で月間約1000億ドルの急速なペースで減少を続けている。
こうした状況下、中国政府は状況打開のために以下のような様々な政策措置を講じたが、市場との対話能力が不十分なため、市場参加者の理解と信頼を得られていないことから、依然として根強い元安期待を払拭することができず、元売り圧力との戦いが続いている。
中国人民銀行が運営するCFETS(中国外貨交易センター、The China Foreign Exchange Trade System)は昨年12月11日、「CFETS人民元為替指数」の公表を開始した。これは13の通貨からなる通貨バスケットを人民元レート決定の参考指標として示すものである。
これまで対ドルレートばかりに市場参加者の注目が集中していた状況を修正し、通貨バスケットに連動する形で人民元レートを動かす方向に持っていくことが、同指数の公表を開始した中国当局の政策意図である。
2014年央以降、人民元の対ドルレートはほぼ同水準を維持してきたが、昨年8月の基準値算定方式の変更以降元安方向に向かい、1月末では昨年7月対比8%程度元安になっている。しかし、実質実効レートを見ると全く異なる推移を示している。
2014年6月から2015年7月にかけて15%強の元高となり、昨夏以降もほとんど元安にはならず、過去最高の元高水準圏内を維持している。中国通貨当局はこの事実を示して、昨夏以降も中国政府には人民元安に誘導する意図がなかったことを示そうとしたものと推察される。
そうした当局の意図に反し、市場参加者はCFETS為替指数の公表を中国政府が人民元安を容認する姿勢を示したものと受け止めた。
それは同指数公表開始の数日後の12月16日(米国現地時間)に決定された米国の利上げによって、通貨バスケットに含まれる他通貨がドルに対して減価したため、同指数を参考にして人民元レートを誘導することがドルに対して元安方向に向かうことを意味したからである。
このため、同指数の公表がかえって人民元売り圧力を強めさせる結果を招いてしまった。
こうした状況で今年の年明けを迎えたが、いきなり1月4日(月)の第1営業日の朝から中国の為替市場と株式市場が揃って荒れた展開となった。
まずは為替市場である。毎朝中国人民銀行が設定する基準値が、前営業日の終値対比元安に設定されたため、市場はこれを中国通貨当局による元安容認と受け止め、元売り拡大に伴う元安が進んだ。
6日(水)も同様の現象により元安に振れ、同日の人民元レート(外貨交易センター、中間値)は1ドル=6.565元と昨年7月末(同6.117元)対比で7%以上の元安となった。これを眺め、8日(金)以降、当局は逆に前日終値に比べて元高に設定するようになった。
その後人民銀行は外貨の流出を制限する資本規制を強化するとともに、巨額の介入を続け、2月中旬には1ドル=6.51元程度にまで戻した。
株式市場はもっと荒れた。1月4日からサーキットブレイカー制度が採用され、導入初日の午後1時半に売買停止の限度幅と定められた7%まで株価指数が下落したため、その日の取引が終日停止された。
3日後の1月7日には寄り付き後30分で7%下落し、終日売買停止となった。市場安定化のために導入された同制度がかえって市場の不安定化を招いたため、8日以降、同制度の運用が中止された。
サーキットブレイカーを発動させた株価下落の主因は、1月8日に予定されていた、株式売却解禁と見られている。
中国の証券当局はその半年前に株価暴落を防ぐ下支えのための施策として国有企業などに株式を大量に購入させた。その株式の売却が解禁される日が1月8日だった。しかし、その直前に株価が暴落したため、証券当局が解禁前日の1月7日になって、主要株主の株式売却を厳しく規制する措置を発表した。
もっと早く株式売却規制を発表していれば、年初以降の混乱を回避または緩和することができたはずである。
以上の中国の為替・株式市場の不安定化を招いた直接的な要因は中国政府の市場との対話能力の不足と海外メディア報道による中国経済に対する過度な悲観論にあることは、前回1月の本稿で述べた通りである。
ただし、年明け後の中国および世界の金融為替市場の混乱拡大については、昨年12月16日に米国FRB(連邦準備制度理事会)がゼロ金利政策を終了し、利上げを決定したことが根本的原因だったとの見方が多い。
昨夏以降、人民元レートに対する元売り圧力が強まるなか、米国が利上げに踏み切れば、元売り圧力が一段と強まることは明らかだった。
筆者は米国FRBが当然この事態を予測し、利上げの決定に先立ち、中国人民銀行やIMF(国際通貨基金)と利上げ時期や通貨安定策等に関する事前のすり合わせを行うのではないかと予想していた。
しかし、その後の状況から見て、そうした事前の準備は行われていなかったようである。
12月の米国の利上げは、昨年央以降の中国の為替・株式市場の不安定化を一段と悪化させ、世界各国の為替・株式市場も不安定化させた。このような世界各国の金融市場の混乱の拡大を受けて、FRBのジャネット・イエレン議長は米国の追加利上げの時期を先送りする可能性を示唆せざるを得なくなった。
これは米国の金融政策運営において、中国をはじめとする新興国経済の影響を無視することができなくなったことを示唆している。すなわち、グローバル経済における米国経済の地位の相対的低下を背景に、米国経済自身が回復に向かっても、世界経済全体の回復をリードすることが難しくなっていることを示している。
これはリーマンショック後の世界経済の回復をリードしてきた中国経済が世界経済に与える影響が、それ以前に比べて格段に高まっており、米国が回復に向かっても中国経済が不安定化すれば米国自身がその影響を受ける状況になっていることを意味する。
中国経済の実情はグローバルな金融市場の参加者、とくに日本の市場参加者の多くが考えているほど悪い状況ではなく、現在も安定を保持している。今後数年間は安定した状況が続く可能性が高い。
しかし、最近の中国の為替・株式市場の混乱は中国経済が失速リスクに直面しているとの誤解や過度な悲観論を助長した。それが中国経済への依存度が高い国々の経済に関するダウンサイドリスクをより強く意識させることになった。
それが世界の為替・株式市場の不安定化につながり、結局米国自身の金融政策運営にも影響したのである。
以上のような年明け直後からの世界の金融市場の不安定化と並行して、外交面でも新たな時代の到来を意識させる出来事が生じた。
1月19日から23日にかけて、習近平国家主席がサウジアラビア、エジプト、イランの3国を訪問した。
サウジとイランは宗教問題に絡む対立から1月3日に国交を断絶したばかりである。以前であれば、米国がリーダーシップを発揮して中東諸国間の対立の仲裁の役割を担ったが、バラク・オバマ政権の下で米国の役割は大きく後退した。
また、1月16日にはイランに対する欧米諸国の核開発関連の経済制裁が解除され、各国がイランとの経済関係の回復を目指して働きかけようとしていた矢先でもある。
中国が中東においてかつての米国が担っていたような仲裁機能を担うことは期待されてはいないが、インフラ建設支援や貿易投資関係の拡大など経済連携を強化することによって、中国の存在感を世界に示すことには成功したと言えよう。
年明け後の米国の金融政策運営の変化と習近平主席の中東諸国歴訪は直接的な関係はないが、いずれも金融経済面および外交面において米国の地位の相対的低下を象徴する出来事である。これらがたまたま同時期に生じたため、世界秩序形成の多極化を意識させる出来事だったと思われる。
そうした状況下、日本経済の相対的安定性が評価され、日本円が買われ、円相場が急騰した。また、中東諸国とは日本は以前から宗教的対立を超えて幅広い国々と経済関係を結んできた経緯がある。
今年の年初はいろいろな意味で中国の存在感が意識されたが、日本も為替面で一定の存在感を示している。
米中に次ぐ世界第3の経済大国である日本としても同盟国の米国の地位が相対的に低下し、世界秩序が多極化に向かう局面において、今後世界に対してどのような形で貢献を果たしていくべきかを考え直し、より積極的な姿勢を実践行動で示す時期を迎えている。