李克強指数から判断すれば中国の成長率はもっと低いはずだという見方に対し、これまでもしばしばその誤りを指摘してきた。
しかし、最近になっても、政府機関、有識者、メディア報道等において、李克強指数で中国経済を判断している例は枚挙にいとまがない。そこで改めて、この問題について論点を整理してみたい。
李克強指数というのは、以前李克強総理が総理に就任する前に、中国の経済指標で信頼できるのは、電力消費量、鉄道貨物輸送量、中長期の銀行貸し出しの3つであると述べたことから、このような名前が付けられた。
結論から言えば、李克強指数を見て中国経済を判断できた時代は過ぎ去った。10年前であれば、ある程度意味のある指標だった。
その後、中国経済の構造は大きく変化したため、今では李克強指数を見て判断すれば、確実に実体経済に比べて下方バイアスがかかる。したがって、中国経済を客観、中立的に分析する場合には李克強指数を用いるべきではない。以下ではその理由を説明する。
李克強指数に含まれる3つの指標のうち、電力消費量と鉄道貨物輸送量は製造業の生産動向に左右されやすい一方、サービス産業の動向は反映しにくい。
製造業の生産拠点は高炉、造船所、石油化学コンビナート、自動車工場、半導体工場など電力多消費型である。サービス産業の生産拠点であるオフィスビル、商店、レストラン、病院、学校などに比べて電力消費量が桁違いに大きい。
また、鉄道貨物は製造業の生産に必要な原材料や生産された製品を運ぶ手段であり、サービス業にはほとんど無縁である。
このように、電力消費量と鉄道貨物輸送量は製造業の生産動向を判断するのに適した経済指標である。したがって、製造業の動向が中国経済の動きを代表していた時代には、李克強指数は中国経済を判断するうえである程度有益な指標だった。
しかし、ここ数年、中国経済は急速な構造変化の時代に入っている。
図1を見ると、2012年以降、中国のGDP(国内総生産)に占める製造業のウェイトが急速に低下する一方、サービス産業のウェイトが急上昇していることが分かる。
習近平政権は「新常態」(=ニューノーマル)を経済政策運営の基本方針に掲げ、重化学工業を中心とする過剰設備の削減を進めている。このため、製造業の生産の伸びは大幅に低下した。
製造業のウェイトが高かった2003~06年には工業生産が毎年16~17%も伸びていたが、足もとの伸び率は5~6%だ。
一方、サービス産業と関係の深い小売総額を見ると、2003~06年は13~15%だったのに対して、今も10~11%と小幅の低下にとどまっている。このように製造業とサービス業の伸び率は完全に逆転し、その結果、GDPに占めるウェイトが図1のように急速に変化している。
(資料:CEIC)
習近平政権が堅持する「新常態」(=ニューノーマル)の政策運営方針の下、過剰設備の削減は少なくとも今後2~3年は続く一方、都市化の進展に伴うサービス産業の発展も続くと見られていることから、この構造変化は今後一段と顕著となる見通しである。
このような構造変化をGDP成長率の寄与度の観点から見ると、図2にあるように、2012年以降、製造業の寄与度が急速に縮小する一方、サービス産業は寄与度を維持している。
これは、中国経済の成長の牽引役がすでに製造業からサービス産業に移ったことを明確に示している。
このように経済のサービス化の急速な進展を背景に、製造業と関係の深い李克強指数が実体経済の動向を適切に反映しなくなっている。
それに加え、製造業の中でもとくに過剰設備問題が深刻な鉄鋼、アルミ、造船、石油化学、ガラスといった重化学工業分野の停滞が、李克強指数と実体経済の乖離に追い打ちをかけている。
重化学工業は製造業の中でもとくに電力多消費型の産業であるため、この分野の停滞は、他の産業以上に電力消費量を減少させる影響が大きい。
(資料:CEIC)
さらに、中国の重化学工業は従来より電力の浪費が問題視されていたことから、近年省エネ努力を進めてきている。
今でも日本企業に比べれば、さらなる省エネの余地は大きいが、以前の浪費レベルに比べれば大幅な改善が見られている。これも電力消費量を実体経済の伸びに比べて押し下げる要因となっている。
貨物輸送については、経済発展に伴って高速道路等の整備が進むと、トラック輸送の利便性・効率性が大幅に向上することから、鉄道輸送からトラック輸送へとシフトする(図3参照)。
このため鉄道貨物輸送量は経済全体の成長速度に比べて伸び悩む。
この現象は、かつて日本の高度経済成長期(1955~75年)においても同様に見られた(図3参照)。当時の日本では高い経済成長が続いていたにもかかわらず、鉄道貨物輸送量はほぼ横ばいで推移した一方、トラック輸送だけが高い伸びを示した。
現在、中国でも同様の現象が起きていると見るべきである。
中国でも高速道路の整備が急ピッチで進む中、貨物輸送の主役はトラック輸送である。とくに中国の鉄道貨物は、貨物を発送してから目的地に到着するまでの日数が何日かかるか分からないという問題も抱えていることから、トラック輸送を利用するニーズが強い。
このため、李克強指数の鉄道貨物輸送量は実体経済の伸びから大きくマイナス方向に乖離した推移を辿っている。
(資料:総務省統計局 日本の長期時系列統計)
以上の説明により、李克強指数で中国経済を判断すれば実体経済に比べて下方バイアスのかかった見方になることが明らかになったと思う。
李克強指数の問題に加え、中国の経済統計に関してよく耳にするもう1つの誤解がある。それは、中国の経済統計は政府が都合のいいように操作しているので信用できないという誤解である。
確かに中国の経済統計の作成方法は日米欧諸国と大きく異なる部分があるため、単純に比較することができない。
たとえば、GDPの推計方法を見ても、日米欧諸国は支出法を採用しており、消費、設備投資、政府支出、輸出、輸入、在庫といったコンポーネント別に推計して合算している。
これに対して、中国では生産法を主に採用しており、第1次産業(農林水産業)、第2次産業(製造業)、第3次産業(サービス産業)の産業分野別に推計して合算する。中国政府は支出法による推計結果も公表しているが、年1回である。
また、各地方政府が各地域のGDP(GRPという方が適当)を推計しているが、地方の成長率の平均が国家全体のGDPを上回ることはよく指摘されている。地方政府の推計するGDP推計については、国家統計局が関与しておらず、その推計の精度も保証されていない。
しかし、そうした問題点を含んでいることを十分理解したうえで、中国全体および各地方のGDPなどの経済指標を時系列で比較すれば、経済情勢を分析・判断することは可能である。
また、中国は地域別に貧富の格差が非常に大きく、所得水準が高い北京市、上海市と極めて低い甘粛省、貴州省の農村を比較すれば、依然として数倍の格差が存在する。これほど生活水準が異なると、消費生活の中味が全く異なる。
北京や上海では教育費、医療費、娯楽費、外食費などのウェイトが高いが、貧困地域ではそもそも高等教育機関、塾、高水準の医療機関、レジャー施設、中級以上のレストランなどがない。
これほど生活水準が異なる地域が国内に併存している状況で、統一的に消費者物価などの経済データを計測するのは極めて難しいというのも中国独自の問題である。
しかし、中国政府内でマクロ経済政策担当の人々はこの分析・判断が難しい経済を分析し、的確に経済政策を企画・運営している専門家である。
彼らは国家統計局が公表する経済統計指標だけでは多様な中国経済の実情を理解するには不十分であることを知っているため、各地の実情を把握するためにしばしば中国各地に出張し、実体経済の実情を自分の目で見て分析・判断している。
その分析の基本にはやはり国家統計局が公表している各種の経済統計を用いている。これは、彼らと1991年以来ずっとフランクに意見交換してきた筆者の経験から分かることである。
もし彼らが経済分析に際して公表統計とは異なる統計を用いていれば、すぐに分かる。実際、彼らと中国経済について議論する際の判断材料となる経済指標はほとんどが国家統計局の公表統計である。
もしこの統計が政府の都合のいいように操作されていれば、実体経済と経済指標の動きに乖離が生じる。そんな統計に基づいて経済分析を行えば、分析結果は不正確となり、それに基づく政策判断も間違える。
それは経済政策運営にとって致命傷になりかねない。マクロ経済政策に携わる人間にとって、経済統計は最も重要な判断材料であり、それが信用できなければ仕事にならないのである。
中国経済統計は日米欧諸国の統計指標とは異なっているため、単純に比較することはできないが、総合的かつ時系列的に分析すれば、中国経済の実情を分析・判断することは十分可能である。