コラム  財政・社会保障制度  2015.12.10

医療技術評価の新時代-押し寄せる新たな黒船-

 医療技術評価とは、「医療技術の可能な選択肢を考慮して、その技術が健康に与えるインパクトを経済的、組織的、社会的、法的および倫理的側面から学際的に検討する研究、およびその成果を医療政策に活用する立案の過程」を意味する。一般に、英名のHealth Technology Assessmentの頭文字をとってHTAと呼ばれる。

 90年代初頭にHTAを世界で最初に政策導入したのはオーストラリア、カナダであった。その後、1999年に英国ブレア政権によって設立された国立医療技術評価機構(National Institute for Health and Care Excellence; NICE) が最も有名かつ影響力をもつようになった。NICEは、経済評価手法を導入して医療技術の保険適用の可否を決定する政策システムの基本形を確立した。その影響はアジア諸国にも及び、韓国、タイ、台湾ではすでに制度が導入されている。

 我が国においても、ようやく4年ほど前から政府内の費用対効果評価を政策導入する動きが始まった。2011年5月、民主党の社会保障制度改革での検討への示唆に始まり、翌年5月に厚生労働省の中央社会保険医療協議会の第1回費用対効果評価専門部会(以降、中医協費用対効果部会)が立ち上がった。

 これらの動きは安倍内閣の2014年6月「日本再興戦略」のなかで明文化され、費用対効果手法によるHTAの導入が閣議決定された。それを受けて、中医協費用対効果部会では、2016年4月からHTAの薬価制度への試行的導入を予定する詰めの検討が行われている。

 その背景には、少子高齢化社会への急速な進行に伴う厳しい社会保障財政への懸念がある。社会保障の危機は給付と負担の財政上のバランスシートだけでは必ずしも解決しない。医療イノベーションや高価な新薬・医療機器への患者のニーズは高まる一方であるため、医療の効果と質を高めながら皆保険の財政的な持続可能性を担保しなければならない困難な舵取りが必要である。HTAへの期待はそこにある。

 そのような方法論の開発・研究を推進してきたのが、国際医療技術評価学会 (HTAi) 、国際医薬経済・アウトカム研究学会(ISPOR)、医療意思決定学会 (SMDM)などである。これらの国際学会は、近年、HTAのグローバルな地域への波及の流れを受けて、それぞれの立場からアジア・太平洋地域での活動を高めようとしている。直近の日本関連では、2016年5月にHTAiが東京にやってくる。いわば、新たな黒船来航である。

 そこで、第4回東大「医療技術評価」国際シンポジウム(キヤノングローバル戦略研究所共催、2015年11月2日)では、「医療技術評価と国際学会への招待-高まるアジアと日本への関心-」と題する討議を行った。国際学会のリーダーを招聘して、いわば、来年5月のHTAi本会議の紹介となる会を開くことを目的とした。

 HTAiについては、バスク厚生省医療技術評価室の医療イノベーション研究室長であるDr. Iñaki Gutiérrez Ibarluzea氏が、「グローバル医療技術評価学会HTAiの業績と今後の展望」について講演し、HTAiが欧米の政府系HTA組織の専門家を中心に活動する世界の代表的学会であることを語った。また、HTAi 2016 東京の国際プログラム委員会議長として来る東京大会への積極的参加を呼びかけた。

 ハワイ大学シドラー・ビジネススクールのDana L. Alden教授は、「SMDM:優れた意思決定によりグローバルヘルスを実現する」と題する講演を行い、SMDMが医療現場での意思決定の科学的方法論の研究を行う米国発祥の国際学会であること、SMDMもまたアジア進出に積極的であること、来年1月にSMDM第2回アジア・太平洋会議が香港で開かれることを紹介した。

 ISPOR日本部会会長である下妻晃二郎立命館大学教授からは、「ISPOR日本部会の使命と役割」についての追加発言があった。ISPORアジアコンソーシアム次期議長、およびHTAi2016東京組織委員会・国際プログラム委員会共同議長を務める筆者は「国際医薬経済・アウトカム研究学会ISPORのアジア展開」を報告した。また、中医協費用対効果部会への関心に対応して、厚生労働省保険局医療課の眞鍋馨企画官より、「日本における費用対効果評価の導入」の報告があった。

 第2部では、東大公共政策大学院の城山英明院長を司会として、招待講演者によるパネル討論「公共政策としての医療技術評価-どのような産官学の連携が求められるか」が行われた。新HTA制度導入を睨んで国内の対応態勢(研究、教育、あるいは、制度の実施への協力など)がまだ不十分であること、産官学間に起こりやすい利益相反の問題に欧米での教訓が活かされるべきこと、大学が産官学のリエゾンの役割をさらに果たすべきことなどが討議された。また、今後は患者の関与も含め、広範な社会的認知の確立への取り組みが必要となることも指摘された。

 これらの結果、このシンポジウムは、来年5月10-14日に京王プラザホテルで開催されるHTAi東京大会の目的や意義を明らかにする大きな役割を果たしたと言えよう。キヤノングローバル研究所の福井俊彦理事長は、閉会の辞として、世界がダイナミックに変化する中で、HTAをめぐる世界の学会が我が国の選択にどのような意義をもつのかを学ぶ貴重な機会を得たこと、また、今後、さらに活発な議論が続けられ、グローバルな視点から持続可能な医療制度改革が実現されることを期待する旨を語った。

 来年5月のHTAi東京は、世界の著名なHTA専門家を含め国内外から約700名の参加が見込まれ、1)HTAと皆保険制度、2)HTAの科学データの国際間活用、3)HTAと新技術の3大テーマの下で、約30のパネル討議、30のワークショップ、多数のポスター・口頭研究発表が行われる予定である。また、厚労省、経産省、外務省、国連WHO、英国NICEの協力を得て、わが国の新HTA制度に関わる3つの特別パネル討議も企画されている。

 押し寄せる新たな黒船はHTAi2016東京だけにとどまらない。さらに2018年、ISPORアジア・太平洋会議も東京開催を予定する。まさに近未来は、日本が世界のHTA論議で存在を示す好機である。今後、わが国の新たなHTA制度を確立する歴史の1ページが開かれていくことを期待したい。