コラム 国際交流 2015.11.02
グローバルな経済活動が深化・複雑化し、技術進歩と共に、それを主因とする格差が世界中に拡散している。これに関連し、元世銀チーフ・エコノミストのフランソワ・ブルギニョン教授による本(The Globalization of Inequality, Princeton University Press, April 2015)を巡って内外の友人と意見交換を行っている。同書は教授による優れた著作(La mondialisation de l'inégalité, Paris: Seuil, 2012)の英訳で、訳本の冒頭、内容的にはデータを更新した以外は変更が殆ど無いと記されている。だが実際に読むと、章立てが変わった事に加え、データだけでなく重要な部分--例えば格差に関する最新かつ重要な諸研究--が注釈として加えられている。筆者は友人達に向けて「別の本、或いはrevised and expanded editionと示す方が良いかも?」とメールで送った次第だ。ただ、格差に関する研究活動は、研究の対象である格差の"実態"と同様に複雑化し、加えて日ごとに進化・細分化しているため、こうした翻訳におけるタイミングの"ズレ"が、微妙だが明瞭な違いを発生させるのは無理もない話だ。
文学賞こそ叶わなかったものの、日本人によるノーベル賞受賞は嬉しい限りだ。またスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ女史の文学賞にも喜んでいる。読者諸兄姉の中にはお気付きの方が多いと考えるが、小誌Nos.72,74(本年4, 6月号)の中で、彼女の著書(『チェルノブイリの祈り(«Чернобыльская молитва»)』)を部分的に引用している。引用の理由は、ソ連の原発事故に対する彼女の取材力と筆致に感銘を受け、「諸兄姉が同書を通じて、不慮の大事故に対する警戒心を強めてくれたなら」と願ったからだ。因みに初めて彼女を知ったのは、NHKの鎌倉英也氏による本(『ノモンハン 隠された「戦争」』)の中であり、更に興味深いことにノモンハンに関して、彼女と共に受賞が期待された村上春樹氏の長編小説(『ねじまき鳥クロニクル』)にも優れた記述がなされている。ノモンハンは昭和の教訓として忘れる訳にはいかない。ただ、チェルノブイリと同様、多面的な史実を理解するには外国語文献に目を通す必要があり、専門家による解説が今後も数多く発表される事を願っている。
最近の日本語文献では、秦郁彦氏の著作--「ノモンハン戦敗北人事の決算--無断退却から自決強要まで--」(『軍事史学』 2013年6月)等を収めた『明と暗のノモンハン戦史』(2014年)--が興味深い。また英語では知人であるゴールドマン氏の著作(Nomonhan, 1939: The Red Army's Victory That Shaped World War II, Naval Institute Press, 2012)が筆者の知り得る最新文献だ。素人かつロシア語に疎い筆者は古い文献資料--①ジューコフ将軍回想録(«Воспоминания и размышления»)や一橋大学の田中克彦名誉教授の翻訳で初めて知った②(従軍記者)シーモノフ回想録(«Далеко на Востоке (Халхин-гольские записки)»)等--を、"牛歩の歩み"で読んでいる。①の中には多くの日本語文献で紹介されている記録--即ち、スターリンやカリーニン等ソ連の指導者の前で将軍が行った報告「日本兵は良く訓練され、特に至近戦で屈強...若い指揮官は..."ハラキリ"を厭わない。だが... 高級将校と最高指揮官は訓練が足りず、紋切り型行動に陥っている」が収録されている。また②の中で著者は、優れた日本の将兵を数多く死なせた小松原道太郎将軍に関し、「麾下の2個師団を死滅の境地に陥らせたこの愚陋な将軍は、本来、日本の名誉の概念からすれば..."ハラキリ"をすべきであった」と手厳しい審判を下している。かくして大変興味深いことに、共に1969年に発表された回想録①と②は、"ハラキリ(харакири)"という言葉を共に使い、優れた人物がхаракириをして、харакириすべき人物が生き残るという、当時の帝国陸軍の特徴--アカロフ教授が示唆したgeneralized Gresham's lawの存在--を指摘している。
冒頭に記した格差問題では、如何に研究が進化しても、それが現実の政策に投影され、問題解決にまで至らなければ実学たる経済学は意味をなさない。またチェルノブイリやノモンハンも、その教訓を後人が記憶していなくては、同種の不幸を後日招来することになる。このことを我々は銘記しなくてはならない。