約1カ月前の9月11日、東京で米国の友人と14年前に起こった多発テロ事件について語り合った。当時、筆者はテネシー州ナッシュビルに滞在し、ヴァンダービルト大学での講演終了後、ボストンに向かう予定であった。大学にある巨大ディスプレイが映す世界貿易センタービルの崩壊を眺めていた人々の目からは涙が静かにこぼれ落ちていた。あのテロ事件から10年以上経ったが、我々が抱く不安は一向に解消されておらず、リスク・マネジメントの検討が常態化しているのが現状だ。
米国の友人達は、"デジタル真珠湾"や"ステルス・ドローン攻撃"に関する日本社会の脆弱性を筆者に語る。技術者でなくとも、コンピュータ・システムへの不正侵入、また発電所や浄水場への無人機攻撃に対する現代社会の脆弱性は誰もが認めるところだ。こうした"明白かつ現在の危険"に対して、強力なファイアーウォールや高感度センサー等の技術的防御手段は非常に有効である。だが、そうした技術的対抗措置だけでは、"不明瞭かつ不意に襲ってくる危険"を完全な形で防止することは出来ない。
現在のリスク・マネジメントでは、①技術的防止手段の普及・質的向上に加え、②そうした優れた技術を効率的に活用するための制度的・組織的な改編、更には③テロ攻撃の対象とならないための集団的な意識改革が検討されている。
今回は③に関し、中国の友人と語り合ったことを諸兄姉に紹介したい。混乱が続く中東地域では、貴重な遺跡が破壊され、世界中が悲しむと同時に、破壊された史跡を誇りに思う人々の怒りと無念さが密かに蓄積されているのが現状だ。「怨みが怨みを生む」という形で、将来、史跡破壊を含む様々なテロが発生し、制止不能な悪循環が生まれないことを祈っている。こうしたなか、中国の友人が日中戦争という悲劇の最中に生じた史跡を巡る逸話を紹介してくれた。
1937年の盧溝橋事件直後、戦火は瞬く間に北京の街に広がっていった。この時、日本軍は「北京、万寿山の遺跡を破壊してはならない。遺跡を陣地とする敵(中国側)には直接攻撃せず、側面に迂回してから攻撃し、敵を遺跡から退却せしめよ。遺跡を砲撃することは厳禁する」との指令を出したという。日本軍はこの指令を厳守して、「遺跡は瓦一つ」破壊されなかったという。
当然のことながら、日中戦争の惨劇はこの紙面で語ることの出来ない程、史実で溢れている。だが、それが故に中国の友人が教えてくれたこの話は、筆者の心に清涼感を与え、「憎悪の悪循環」を制止する教訓として学んだ次第だ。
筆者が改めて調べてみると、当時、天津に駐屯していた帝国陸軍の参謀、池田純久中佐がその指令を出したことを、戦後の回想録の中で記している事を知った。池田中佐は、真の「知中派」として、日中戦争の泥沼化を懸念したが故に、当時、帝国陸軍内では「不拡大派・親中派」とレッテルを貼られたとのこと。盧溝橋事件以後は冷遇されたが、陸大卒業後に東京帝国大学経済学部にも留学していたため、陸軍中将・内閣綜合計画局長官として敗戦を迎えている。池田氏は、戦後、北京の遺跡を守ったことで中国側から感謝され、その時、「ほのぼのと心温まる思い」を感じたと記している。
繰り返しになるが技術や組織・制度だけで、連続するテロ攻撃という「憎悪の悪循環」は制止出来ない。技術や組織・制度を活用すると同時に、慧眼で志の高い「ヒト」が集団の中に数多く必要だと考えている。